透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

見える通りにではなく、知っている通りに描く

2023-05-25 | D 新聞を読んで



 ルイ・ビバンという素朴派の画家が5月23日付 信濃毎日新聞の文化面で取り上げられ、「ラングル駅の風景」と「ノートルダム・ド・パリ」という作品と共に紹介されていた。素朴派については独学で絵を学んだ画家、ということくらいしか知らない。素朴派の画家はアンリ・ルソーくらいしか知らず、ビバンの名はこの新聞記事で初めて知った。

記事によるとルイ・ビバンは1861年にフランス東北部のアドルという小村に生まれ、18歳のときに鉄道会社の郵便部局の仕事に就いたそうだ。31歳のとき、パリに出て郵便配達人となったビバンは、仕事の傍ら絵を描いていたという。ビバンは子どものころから絵を描くことが好きだったそうだ。1922年、61歳で郵便局を退職してから絵を描くことに専念、評論家に認められて素朴画家としての道が開けたとのこと。

**「素朴派の画家は、見える通りにではなく、知っている通りに描く」とよく言われます。ビバンは、まさにこの言葉にぴったりとあてはまる画家でしょう。** 遠藤 望さん(下諏訪のハーモ美術館長)は記事にこのように書いている。記事を読んで、この箇所にサイドラインを引いた。

優れた画力、テクニックによって、見える通り、リアルに描かれた絵もすごいとは思う。けれど、理解した通り、把握した通り描かれた絵により強く惹かれる。後者はすごいなぁ、ではなく、いいなぁ。

**風景をなにもリアルに描く必要はない。無い方が好いと思う要素は省略するなどして、風景を魅力的に再構成すること。創造行為とはそういうものだ、と私は思う。** 4月3日、ブログにこのように書いた。過去ログ

ルイ・バランは目の前の風景をそのままリアルに描くのではなく、郵便配達人として熟知している通り描いた。ビバンは生まれ故郷に近いラングル駅をよく知っていて、「ラングル駅の風景」では遠くに立つ塔もその手前の家も近くの駅舎や列車もどれも同じ密度できっちり描き込んでいる。遠近感を表現することには全く無関心かのように。他の作品も同じような描きかたをしているようだ。

「対象を知らなきゃ、アートをする資格がない」 植物写真家・いがり まさしさんのこの言葉をラジオ深夜便で聞いた(5月24日午前4時5分からの「心に花を咲かせて」)。この言葉にアンカーの須磨佳津江さんが「自分の姿勢ということですね」と応じていた。「自然のすばらしさを伝えるために自然のことをよく知る」「正確に知ることとイメージを届けることは矛盾しない」という言葉も印象に残った。

いがりさんは自然のことをよく知って、そのすばらしさを伝えるために写真を撮っている。ルイ・ビバンは仕事を通じて知った街の魅力を伝えるために描いた。アートとはそういうものだろう。

ここで改めてなぜ火の見櫓のある風景をスケッチするのか自問。火の見櫓の立つ風景っていいなぁ、と思うから。そしてその魅力を伝えたいから、と自答。


 


「思索のノート」

2023-05-07 | D 新聞を読んで

 信濃毎日新聞 5月7日付朝刊の文化面「思索のノート」に**技術頼らず 偶然に委ねる**という見出しの記事が掲載されていた。寄稿者は伊藤亜紗さん(東京工業大学教授)。記事を読んで思ったことを書きたい。

群馬県在住のある彫刻家が大学時代から憧れていたのは鎌倉彫刻。この彫刻家は東大寺からの発注で仏像制作に携わるほどの高度な技術の使い手だったとのこと。だが病で視力を失ってしまう・・・。大好きな木彫を続けることが困難になり、興福寺の阿修羅像にも使われている脱乾漆と呼ばれる伝統的な技法に取り組み始めたという。この技法の特徴は制作過程で偶然の要素が大きく、狙った形にはならないということ。従って、記事の見出しの通り、技術頼らず 偶然に委ねることになる。

**木彫に取り組んでいたときには、徹底したコントロールによって、形をなるべくリアルに作ることに腐心していた。でも本来、思いを伝えるのは形ではない。**記事のこの一節に共感した。ここには彫刻について書かれているが、絵画について同じ想いを抱いているから。

もちろん、彫刻や絵画などの芸術作品のどのようなことに感動するのかは人それぞれだ。中にはリアルに描かれた風景画を前に画家の超絶技巧に感動する人もいるだろう。ぼくも描画力、描写テクニックを凄いとは思う。けれど、そのような作品には、それ以上の感動が湧かないことが多い。

その風景を描こうと思った作者の動機、それはその風景を美しいと感じたからだろう。作者が感じた風景の美が描かれ、その美が絵から感じられるかどうか・・・。風景(に限らず描画対象)をリアルに描くのではなく、再構成することによって表現されている「美」に魅せられ、感動する。

ぼくが感動するのは「すごい、写真みたい」な絵ではなく、「美しいな」「楽しいな」「いいな」って感じられる絵だ。


過去ログ


「友だちとは、何する人ぞ」(追記)

2023-02-12 | D 新聞を読んで



 信濃毎日新聞に「角田光代の偏愛日記」というエッセイが不定期で掲載される。10日に掲載されたこのエッセイのタイトルは「友だちとは、何する人ぞ」だった。

角田(*1)さんは**小説を書くにあたって、友だちとは何かとか、友だち関係はどう変化するのかとか、考えることは多いが、私個人の生活のなかで友だちについて考えたことがない**そうだ。で、あらためて考えてみたという。友だちってどんな人のことを言うのか、いっしょに何をする人を言うのか、と。

角田さんはこう書いている。**気安く連絡して、気軽に会話する、という、自分自身はまったく未経験の友だち関係が、なぜ恋しくなったのだろう?** 

友だちとは、角田さんが書いているように特に用事もないのに気安く連絡して話ができる人だと思う。で、知り合いとは用事がなければ連絡して話をすることがない人。これが一般解だと思う。

買い物、映画、マラソンの練習・・・。何でもひとりでするという角田さんが友だちとすること、それはお酒を飲むこと。**ひとりで飲むのも好きだが、友だちとならば、何時間でも飲んでいられた。(後略)**と、暮らしのなかで友だちの出番は酒の席だったとパンデミック前を振り返る。

先日、友だちと一緒に北杜市内の火の見櫓を見て回ったけれど、その移動中に訊いた。「友だちと単なる知り合いとどう違うと思う?」

友だちは一緒に食事をすることがある人、単なる知り合いは食事をすることがない人だとぼくは考えている。ハードルを下げて(?)、友たちにお茶する(なんて言い方って古いのかな)人を加えても構わない。そう、友人と知人の違いはお茶、食事をすることがあるか、ないか。もちろんプライベートで。親しい友人は一緒にお酒を飲むことがある人。

で、友だちとは、何する人ぞ。楽しく語らう人。お茶しながら、食事しながら、お酒を飲みながら。


2023.01.30 撮影者のK君以外、7人写っている。

この日の夕方集まった親しい友だち8人。みんな同い年、保育園から一緒。持ち寄ったお酒を飲みながら楽しく語らう。次回は花見かな。


*1 2022年、角田さんが現代語訳した『源氏物語』を読んだ。


気になっていること

2023-01-15 | D 新聞を読んで


 しばらく前から気になっていることがある。それは本当にコロナワクチンが感染リスクと重症化リスクの低減効果があるのか、ということだ。更に今さらではあるが、ワクチンの安全性について。

1 感染リスクの低減効果

このところ新型コロナウイルス感染者の死者数が多い。12日付 信濃毎日新聞(文中信毎と略記)朝刊の1面に、長野県では今月11日までの1カ月余に245人が亡くなり、流行が始まってからの累計732人の3分の1を占めているという内容の記事が載っていた。長野県ではこれまでにコロナに感染して亡くなった人の1/3がこの1カ月で亡くなっている・・・。この記事を読んでびっくりした。え、そうなのか・・・。

昨日(14日)の毎日新聞のコラム・余録でもコロナ禍を取り上げていた。コラムの前段では、年明け以降の感染死者数が4,000人を超えている。前年同期の20人に比べても異様さが際立っている、と。 え、200倍・・・。このことについて、後段で**重症化率が低いとされるオミクロン株にもかかわらず死者がこれほど多いのは、実際の感染者が公表分をはるかに上回っているためだろう。**と書いている。

これは正しい推論だろうか。200倍もの死者数になっている主因がコラムの推論の通りだとすれば、実際の感染者も同じ比率、感染確認者の200倍(もちろん単純に200倍とはならないのだろうが)ということになるのではないだろうか。14日の信毎が報じている東京都の感染者数を見ると、前日から11,241人増加している。余録の推論に従えば実際はこの200倍、いや、日によって相当数のバラツキがあるだろうから仮に半数としても1日でおよそ100万人が感染したということになる。にわかには信じがたい数字だ。多すぎる。だが、信毎の記事のこともあるから、感染者が信じがたい人数であることは確かだ。

なぜ、こんな事態になっているのだろう。ワクチン接種のことがどうも気になる。今や、ワクチンに感染リスクを低減する効果があるなどと思っている人は少ないのではないか。インフルエンザワクチンも、ウイルスのタイプに合わないと効果があまり期待できないことが知られている。同じことがコロナウイルスにも当てはまるようで、最近ではブレイクスルー感染という用語を新聞でも目にするようになった。

ワクチンの感染予防効果って期待されているほど無いのでは・・・。そればかりか、週刊誌には**米誌が紹介「ワクチン接種者の方が感染しやすい」調査の内容** という見出しの記事が載っている(「週刊新潮」1月19号)。ネット検索しても同様の内容の記事が見つかる。

2 重症化リスクの低減効果 



14日の信毎に上掲の見出しの記事が載っていた。少し長くなるが以下に引用する。**県は13日、新型コロナウイルス感染症対策専門家懇談会で、県内流行「第8波」で感染した高齢者のうち、ワクチンを3回以上接種した人は中等症以上になる割合が低下するとのデータを初めて公表した。委員からは、ワクチンの有効性を分かりやすく示す結果で、積極的に県民に周知すべきとの指摘が出た。県は詳細を近く公表する方針。**

すでにワクチンを5回接種した私としては、この記事は信じたい。

メディアはコロナに感染して亡くなった人について、基礎疾患の有無についてはその都度報じているが、ワクチン接種の状況については全く報じていない。自治体の発表時、記者がこのことについて質問しないのだろう。前からこのこと、亡くなった人たちのワクチン接種状況が気になっている。

更に気になるのはワクチン接種によって、重症化してしまうのではないか、ということ。具体的にはADE(抗体依存感染増強)について。

このことについて厚生労働省はウェブサイトに下のような報告を載せている。


厚労省のこの記事では報告はありませんとなっている。これはADEが生じているのかも知れませんが、そのような報告はありません、というように読まなくてはならない。

ADE(抗体依存感染増強)って何? しばらく前に読んだ 『コロナワクチン失敗の本質』に次のような説明がある。**ウイルス感染やワクチンによって体内にできた抗体が、感染や症状をむしろ促進してしまう現象。同じコロナウイルスの仲間によって引き起こされたSARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)のワクチンは、このADEの発生がネックとなって開発が断念された。**(『コロナワクチン失敗の本質』宮沢孝幸、鳥集 徹(宝島社新書2022年)31頁 からの引用)



「週刊新潮」1月19号には**「すでに〝大薬害〟になっている」という専門家の警鐘**という見出しの記事も掲載されている。

新型コロナ死者急増にワクチンが関与しているなってこと、ないよね。でも、接種したワクチンがヒトの生来からの自然免疫システムを混乱させてしまうことがあるのではないか、という懸念が拭えない・・・。


 


全国紙は磯崎 新さん死去をどう報じたか

2023-01-10 | D 新聞を読んで

 昨年の12月31日、新聞各紙が建築家の磯崎 新さんの死去を報じた。購読している信濃毎日新聞は1面に**磯崎 新さん死去 ポストモダン建築の騎手 91歳**という見出しで、また27面(第一社会面)に**「死の影を感じる作品」磯崎 新さん死去 藤森照信さん語る**、**「スケールが違った」別荘ある軽井沢でも悼む声**という二つの見出しで報じている。写真で紹介してる作品はアートプラザ(大分県立大分図書館)。

このニュースの全国紙の扱いが知りたくて、えんぱーくで朝日、毎日、読売、産経、日経、以上の5紙を閲覧した(1月9日)。

次の項目について比べてみた。1 記事の見出し   2 割いているスペース    3 紹介している建築作品と著作    4 人物評、作品評

以下に割いているスペース、写真付きで紹介していた建築作品と著作、人物(作品)評を挙げる。

朝日:約380㎠ つくばセンタービル 「空間へ」「建築の解体」
   思想家、歴史家、政治家にもなれたはずだ。
   豪快さ、崇高さ、寂寥感がないまぜになった磯崎建築

毎日:約380㎠ つくばセンタービル 評論集や作品集など100冊を超える、と紹介して、書名は挙げていない。
   知的好奇心が強く独特な嗅覚を持ち、常に若い世代との交流に積極的だった。
                 (建築史家、東北大大学院教授 五十嵐太郎)

読売:約320㎠ つくばセンタービル 「磯崎 新建築論集」
   不世出の知の巨人、言葉とものとしての建築の乖離、矛盾を痛感していた。
                               (伊東豊雄)

産経:約840㎠ 大分県立大分図書館(現アートプラザ)、水戸芸術館
   「空間へ」「建築の解体」「瓦礫(デブリ)の未来」
   巨視的なビジョンを描くことができる稀有な建築家だった。
   大局的見地で将来を見渡すとともに、精力的な実務を通してさまざまな交流を促した、
   まさに建築界の巨星だった。

日経:約370㎠ つくばセンタービル 「建築の解体」
   各国を代表するような知識人や芸術家とにこやかに議論を交わし、友情をはぐくむ
  「知の巨人」。
   建築界は偉大な異能のボスを失った。

割いているスペースは朝日、毎日、読売、日経があまり変わらないのに対し、産経は4紙の倍以上と扱いが最も大きい。産経は代表作の例えばつくばセンタービルについて、国家的プロジェクトである筑波研究学園都市の中心施設でありながら、中央を窪地にして「中心不在の日本」を逆説的に暗示。また、ロサンゼルス現代美術館については西洋の黄金比の美学と陰陽説など東洋の概念を融合し評価された、というように解説文を付けているし、作品も年表にして掲載している。

信濃毎日新聞にはハラミュージアムアーク(群馬県渋川市)で行われた米寿を祝う会であいさつする磯崎さんの写真が掲載されている。この時着ている黄色いシャツは三宅一生さんから贈られたとのこと。全国紙には載っていない写真だ。インタビューした藤森照信さん(茅野市出身)の顔写真も載せている。藤森さんが茅野の実家近くに建てた「高過庵」を磯崎さんが訪れていたことが記事に出ている。

*****

磯崎さんはものとして実在する建築より、建築思想に意義を見出していたのではないか。著作が多いことも、このことを示しているように思う。毎日新聞は「建築の本質はコンセプトにある」と紹介している。また、日経新聞は磯崎 新アトリエという名前としたことについて「建築とは単なる建物なのではなく思想や歴史、文化の厚い層の上に成り立つとの思い」から、と紹介している。

代表的な作品としてポストモダン建築を挙げるなら、やはりつくばセンタービルになるのかな。著作は「空間へ」と「建築の解体」だと思う。

磯崎さんの文章は難しい。私の老化脳では読み解くことは無理だろう。『建築における「日本的なもの」』(新潮社2003年発行、2005年4刷)を書棚から取り出したが、戻そう。産経新聞に載っている「瓦礫(デブリ)の未来」という著書は全く知らなかった。前述のように、読解力の無さを自覚しているが、読んでみたい。

磯崎さんは不世出の知の巨人と伊東豊雄さんが評しているよう建築界ではぶっちぎりのトップランナーだったと思う、磯崎作品の好き嫌いはあるにせよ。各紙が報じているように、建築という枠の中には納まらない、思想家という印象が私は強い。


 


こんな書店が近くにあったらいいなぁ

2022-12-30 | D 新聞を読んで

 信濃毎日新聞の12月25日付朝刊に岩手大学人文社会科学部教授・丸山 仁氏の「個性勝負 街の書店の可能性」と題した論考が掲載されていた。丸山教授はネット通販全盛の時代にあって、**リアルな店舗に人を呼び込むためには、「店舗にまで足を運ぶ理由」、「店舗でしか味わえない楽しみ」を提供する工夫が鍵となる。**と指摘し、その仕掛けのひとつとして「御書印プロジェクト」を紹介している。

今年3月に全国の46店舗で始まったプロジェクトは10月22日時点で381店舗にまで広がったとのこと。私が時々行く塩尻市の中島書店もその内の1店舗。御書印は試みとしてはおもしろいと思うけれど、残念なことに有料だ。無料なら集めてみようかなと思わないでもない。いや、集めないか。本を買う書店は数店に限られるし、御書印だけのために書店に行こうとも思わないので。

また、論考には**「書店ゼロの市町村が全国で26%」という報道が目に留まり、愕然とした。**とあり、全国1位の沖縄県に次いで長野県では51.9%の自治体に本屋が無いことが紹介されている。

この数字は12月28日付 の同紙の「時の顔」というコラムにも出ていた。この日は文藝春秋の社長・中部嘉人(なかべよしひと)さんが紹介され、**長野県内で書店がない市町村の割合は52%を占め、沖縄県に次ぐ高い割合だったとの最近の全国調査結果を残念がる。「われわれもいい本を出し続けるので書店さんも頑張ってもらいたい」**

長野県は全国で最も村の数が多く、35ある。次いで沖縄が19(2022年10月1日現在)。人口の少ない村には書店が無いことが多いだろうから、沖縄県や長野県に書店の無い自治体が多いことは当然といえば当然のことだろう。

人口当たりの書店数を比較したらどうなるだろう。人口10万人当たりの書店数をネットで探すことができた。長野県は8.40軒で12位、結構多い。比較の仕方で結果は随分違うものだ。印象も違う。東京都は書店が全国で最も多いが、10万人当たりでは8.28軒で意外なことに長野県より少なく13位だ。

丸山教授は**日々の暮らしの中に本屋がない。そんな社会を私は子供たちに残したくない。**と書いておられる。このような視点で考えるなら、確かに書店の無い自治体が多いということは残念なことだと思う。小さな村にも書店があればいいなぁと思う。

この論考に長野市の「書肆(しょし)朝陽館」が紹介されている。この書店の前身は明治初期から続く老舗とのこと。**店主の情熱と目利き力で真っ向勝負をする姿勢は同じ。(中略)同店にはセンスで勝負の雑貨屋と、居心地のよさそうなカフェを併設している。コーヒーの香りに包まれて、早速買った本を読みふけるもよし、その場で友人と推し本談議で盛り上がるもまたよしである。** 同感。

善光寺に初詣に行くことにして、帰りにこの書店でコーヒーを飲みながら本を読もうかな。  「店舗でしか味わえない楽しみ」ってこのようなことを指すんだろうな。


 


「思考力」って?

2022-12-21 | D 新聞を読んで



 今朝の(21日付)信濃毎日新聞の教育面に上掲した**国の教育目標の一つに位置付け 「思考力」あなたはどう考える?**という見出しの記事が載っていた。「コンパス」というコラムにこの記事を書いたのは数学者の秋山 仁さん。

学習指導要領に新たに掲げられた「思考力、判断力、表現力等」の中で、思考力については具体的な内容が示されていないそうだ。で、研究会「思考力を育む」を東京理科大学で開催して識者が議論したとのこと。「思考力を磨きなさい」と先生や親に言われても子どもたちは戸惑うだろうと。子どもたちに具体的にどうしたらいいの?と尋ねられたら、どう答えますか?と秋山さんは問う。それで、見出しは「思考力」あなたはどう考える?となったのだろう。

コラムの中で秋山さんは**思考力のある人を「問題発見能力と問題解決能力を兼ね備えている人」と定義づけている。自分で問題を見つける。そしてその問題を自分で解決する。従来の教育では子どもたちは与えられた問題について解き方を教えてもらい、それを暗記するということが一般的ではなかったか。暗記と言えば地理や歴史などの元々暗記ものと言われる科目はもちろん、数学でさえ、解き方を暗記する科目だと言い切る者もいた、と私の遥か彼方の記憶にはある。

思考力が求められるというのは時代の要請だろうか・・・。いや、本当は前々からそうであったように思われる。取り掛かりとなる「なぜだろう」という問いかけを普段からしているだろうか・・・。

答えがあるのかどうなのかなどと、先回りしてそんなことは考えずに、常に色んなことに「なぜだろう」という問いかけをするという姿勢でいたいものだ。

コラムの結びは次の通り。**皆さんは「思考力」について、どうお考えでしょうか?**


 


スペインに勝てば決勝トーナメント進出決定だが

2022-12-01 | D 新聞を読んで

360

 サッカーのワールドカップ、明日(12月2日)の早朝、日本はスペインと対戦する。新聞のテレビ欄は深夜の時間帯にスペースを割かないから、ドイツ戦やコスタリカ戦(過去ログ)の時のような隠しメッセージはつくることが出来ずストレートに**運命の大一番勝って再び列島歓喜!**と伝えている。

日本がドイツに2:1で逆転勝利したものだから、コスタリカ戦は大丈夫、勝てると大方が予想していた。だが、ぼくは勝てないと予想していた。

コスタリカ戦をぼくはいらいらしながら見ていた。日本もコスタリカも点を取る気があるの?と。日本はコスタリカの戦いぶりに合わせるかのように、ぼくのようなサッカーがよく分からない者には意図不明な細かなパス回しに終始していた。バックパスなんかしないで前線に早くボールを送って、ペナルティエリア辺りで競って欲しかった。コスタリカが守備を固めていたとはいえ、なんだかなぁの試合展開。結局、日本はハイライトシーンを全くつくることができず0:1で負けた。

さて、明日の朝4時からのスペイン戦。残念ながらドイツ戦のような奇跡はもう起こらないと思う。良くて1:2 まあ守備を頑張った結果として0:2か。コスタリカ戦に比べれば、前半からハラハラドキドキの激しい試合になると思う。

この悲観的な予想が外れて、決勝トーナメント進出、16強入りを果たすことを切に願う。


追記(2022.12.02 06:26AM)スペインに2:1で逆転勝利した日本、すばらしい。 予想が外れて本当によかった、うれしい。ドーハの歓喜再び!


漢数字と洋数字

2022-11-13 | D 新聞を読んで

       

 大相撲九州場所は今日、13日が初日。関脇に転落した御嶽海が10勝以上を挙げて大関復帰成るか、長野県民として気になる。昨日(12日)の信濃毎日新聞のスポーツ欄に上掲した見出しの記事が掲載されていた。「一日1勝、それだけ」という漢数字と洋数字の見出しにあれ? 御嶽海の勝敗に一喜一憂とか、一期一会というような熟語と同じ扱いで「一日一勝」とはしないのだろうか・・・。同じ記事の別の見出しは「1場所で復帰7例」となっている。

手元にある『記者ハンドブック 用字用語の正しい知識』共同通信社(1956年初版第1刷、1994年第7版第1刷)で調べた。なぜ一日一勝ではなく一日1勝なのか。

目次に「数字の書き方」とある。**記事には数字が非常に多く出る。数字の間違いは言い訳のきかないものである。** はじめの一文にこのように書かれている。**記事中の数字には漢数字を使う。必要に応じて、洋数字を使う。**とある。必要に応じてって、具体的にどんなときなんだろう。

洋数字を使う場合がいくつか示されているが、その中に「運動記事の中のスコア、記録」がある。そうか、これだ。他には「震度、マグニチュード」「日程表の中の日時など」「台風の号数」「横書きのとき」などが示されている。一日1勝という表記の理由は分かった。でも、見た目は一日一勝のほうがいいんだけどなぁ・・・。


と、ここまで書いてきて・・・、火の見ヤグラーな私のことを紹介した記事ではこの資格の表記がどうなっていたのか気になって確認してみた。
市民タイムス、MGプレス、日本経済新聞は「1級建築士」、中日新聞は「一級建築士」となっていた。ぼくは資格名も固有名詞に準ずると思うので新聞記事でも「一級建築士」ではないかと思うけれど、判断は新聞社によって違うのだろう・・・。

漢数字と洋数字、注意して新聞記事を読もう。


 


11月1日は何の日?

2022-11-01 | D 新聞を読んで

 

 信濃毎日新聞には毎月最終日に岩波書店の広告が載る。全国紙もそうだろうか。で、昨日(10月31日)も載っていたが、そこに「11月1日は本の日」とあった(写真)。

365日、毎日何々の日となっているが、11月1日が本の日だということは知らなかった。

え、何で? と思ってネット検索してみた。見つかったサイトの説明によると、111を書棚に並ぶ本に見立てたのだそうだ。そうなのか・・・。だったら11月11日の方が良くないのかな。そう思って調べると11月11日は麺の日だそうだ。1111を細い麺が並ぶ様に見立てたようだ。

かつて10月10日は体育の日だった。1964年に開催された東京オリンピックの開会式が10月10日だったことを記念して制定された。その後(2000年)にハッピー・マンデー制度が導入されたことで10月の第2月曜日に変更になった。この時点でオリンピックの開会式の日ではなくなったわけだ。更に2020年からスポーツの日と改名された(経緯がきちんと頭に入っているわけではないのでネット情報で確認して書いた)。

10月10日は他にも目の愛護デーになっている。10と10を時計回り(右回り)に90度回転すれば、眉と目が並ぶ様に見えるからだろう。

ではここで問題です。10月11日は何の日でしょう。ヒント、10月10日が目の愛護デーだということに関係します。

ウインクの日(勝手に決めました)。

では11月11日は?

睡眠の日(やはり勝手に決めました)。11日は早めに寝て睡眠時間をきちんと取りましょう。翌12日は土曜日。休みだからといって遅くまで寝ていないように(って余計なお世話ですね)。


 


歩こう

2022-10-28 | D 新聞を読んで



 地方紙・信濃毎日新聞の昨日(27日)の朝刊のくらし面に**「1日2000歩増」で死亡リスク減**という見出しの記事が載っていた。

1日1万歩といわれるウォーキング。そこまで頑張らなくても2000歩増やすだけで死亡リスクが減少する。このことがデンマークやオーストラリアなどの研究機関が行った大規模な疫学研究で明らかになったと記事は伝えている。

死亡率だけでなく、心臓血管系の病気やがんの発症リスクも歩数が多いほど低いという結果も得られたそうだ。速く歩けば尚効果的とのこと。

歩こう!


 


「〇〇前駅」の分類

2022-08-28 | D 新聞を読んで

 日本経済新聞を読むことはあまりなかったが、今年4月21日付同紙の文化面に「火の見櫓 孤高の姿撮る」という私の記事が掲載されたのを機に文化面(最終面)を読むようになった。8月22日の同紙文化面に掲載された「「〇〇前駅」は本当に近い」という落語家・古今亭 駒治さんの記事を読んだ。

三越前駅(東京メトロ銀座線・半蔵門線)、成城学園前駅(小田急小田原線)などの「〇〇前駅」、略して「前駅」は本当にその施設や名所に近いのか・・・。「前駅」でも施設に近いとは限らないことが分かった古今亭 駒治さんは、ロードメジャーで距離を測り、ストップウォッチで所要時間を測って確かめているそうだ。全国にはおよそ330の「前駅」があるとのことだが、7年ほどかけて230の駅を調べたという。

ぼくが興味を持ったのは、記事の後半に書かれている調べた駅の分類のこと。このところ火の見櫓の分類のことをあれこれ考えていたので。

駒治さんは前駅を「駅名の種類」と「駅と施設の関係」というふたつの観点から分類している。前者を~系、後者を~型として、このふたつを組み合わせて「前駅」を分類していて、記事には「表記違い系南海型」「愛称系南海型」などの分類名が例示されている。

施設の旧名がそのまま残る「前駅」は「小林旭系」と名付けられている(理由は分かりますよね)。「小林旭系」か・・・、名付け親が落語家だからなぁ、おもしろいなぁ、とその名前に感心した。記事には~系の名前も~型の名前もそれぞれ「フルネーム系」「ダブルス系」、「ホーム直結型」「通路直結型」などが例示されているだけで、全てが示されてはいない。記事のスペースがきっちり決まっているので仕方ない。

全部知りたいと思い、ネットで検索してみると、駒治さんのブログがヒット!。

ブログに全て示されていた。~系は全部で11、~型は17ある。系と型の組合せによる分類名は長野県内の5つの「前駅」のうちの2つを例示するに留める。

アルピコ交通上高地線「北新・松本大学前」――「地名先行系対面型」 
上田交通別所線「大学前」――「一石二鳥系中距離型」 駅の近くに上田女子短期大学と長野大学がある。単に大学と表記しているので一石二鳥というわけ。上田市真田町まで電飾火の見を見に行った時、この駅のすぐ近くを通った。



火の見櫓の分類名は固いなぁ・・・。トラス脚は網タイツでよくないか? いや、スケベなおっさんが名付けたなんて思われるのはいやだから、トラス脚のままにしておこう。


 


新型コロナ感染者全数把握見直し

2022-08-21 | D 新聞を読んで



 「新型コロナ感染者全数把握見直し」 昨日(20日)、各紙このことを報じていた。上掲したのは信濃毎日新聞20日付朝刊2面の見出し。全数把握の目的は何か、その目的は全数把握しないと達成できないのか、という疑問が私には前からあった。

昨日の朝日新聞の記事は全数把握には2つの機能があるとして、**感染状況の全体像や地域差を明らかにして対策につなげる**ことと、患者の入院の必要性や隔離方法を判断する**ことを挙げていた。他紙も同じ内容で、読売新聞も感染状況の把握と重症化リスクの高い患者の健康管理、必要な医療提供と書いていた。

統計学に関する知識は全くないが、感染状況の全体像を把握するのに全数把握は必要なく、実施が検討されている定点把握でできるはずだ。国政選挙でも開票が終了する前に、即ち全数把握する前に、出口調査など一定数を適当にサンプリングして得られた結果により(基本的に定点把握と同じことだと思う)、速報しているのだから。

患者の重症化を防ぐという目的が感染者を全数把握していないと達成できないのかどうかは、私にははっきり分からない。だが、全数把握から定点把握に変えて、医師が感染確認者の諸情報を保健所に報告するという事務的業務の負担を軽減し、その分患者の治療や病状の経過把握に割いてもらった方が、重症化を防ぐことになるのでは、と思う。

素人が生意気にも新聞記事を読んでの感想を書いてしまった。




信濃毎日新聞は同じ2面に「3回接種で発症リスク半減」という見出しの記事も掲載していた。
ワクチン接種後に生じる体調不良(倦怠感、頭痛、胸痛など)は接種回収が増えるとより重くなるというようなことも聞くことがある。このようなワクチン後遺症のことなどについても、報じて欲しいものだ。

まあ、いろんな情報を得て、それらを総合的に検討・判断することが大事。分かってはいるけれど、それは難しい・・・。


 


新型コロナウイルス感染確認者数

2022-08-17 | D 新聞を読んで


信濃毎日新聞8月17日付朝刊21面より

 新聞に毎日一覧表で都道府県の新型コロナウイルス感染確認者数が示される。上掲したのは信濃毎日新聞の表だが他紙も同様だと思う。表のタイトルが「国内の新型コロナウイルス感染者」となっているが、数字は感染者数ではなく、感染確認者数。この表で太文字で示されている数字(長野県は136558となっている)は累計数でカッコ内の数字が新規感染確認者数。むしろこちらの数字を太字で示して欲しい。累計数という大きい数字を示したいのだろう。そこに事態の深刻さを示す、必要以上に不安を感じさせるなどという意図があるのかどうか、分からないが・・・。

極端な例で考えれば分かりやすいが、実際に新たに感染した人が5,000人だとしても、検査によって(最近みなし陽性者も含めるようになったと思うが)感染が確認された人数が2,000人だとすると、この表には2,000という数字が記載される。だから、この表の細かな数字にそれ程意味はないと僕は前々から思っている。感染確認者が増加傾向にあるのか、あるいは既にピークを過ぎて減少傾向にあるのかが分かればそれでよいのではないか。

示して欲しいのは感染確認者のワクチン接種率。感染が確認された人のうち、どのくらいの人がワクチンを接種していたのかという値。ワクチンを接種していたのに感染した人が多いとなれば、それは不都合な数字かもしれないが、事実としてきちんと伝えて欲しい。ワクチン接種によって重症化を防げるというのであれば、それを示す値。感染確認者数を連日報じる必要があるのかどうか、むしろ知りたいのはこのような数字だ。コロナを正しく恐れるために有益な情報を伝えて欲しい。

メディアが毎日報じているのは、情報としては最も低次の感染確認者数だけで、感染者の状況を分析することで得られる(分析して得られるというほど、高次の情報でもないと思うが)前述のような数字が示されることはほとんどない。

既にワクチン接種を4回している身として気になり、知りたのはこのようなことなのだが・・・。