先月、友人の『深川のカズ』こと、カズさんが急逝した。
酒好きで、肝臓を患って肝硬変で昨年の11月に入院していたが、
急に肝性脳症であの世に逝ってしまった。
音楽好き、政治好き、神輿好きの酒飲み。
ビジネスチャンスだと言って、去年はキューバに出かけて居たほど元気だった。
奥さんの真由美さんは2回りほど歳下の40代。
10年ほど前に結婚して、子供には恵まれなかったけれど仲の良い夫婦だった。
今夜はカズさんの大学の後輩で、ロンドン在住のTonokoさんの声かけで、
真由美夫人と僕、それとカズさんと知り合うきっかけになった相方に、
カズさんが経営していた店で店長をしていた朴ちゃんの5人で、
鰻の老舗、赤坂の『ふきぬき』で『カズさんを偲ぶ会』を開いた。
Tonokoさんとの出会いは、カズさんが居なければ無かった。
2006年10月から約2か月、仕事でオックスフォードまで出張に行った。

その時にカズさんから『ロンドンに後輩が居るから会って来いよ』と言われ
ロンドンで待ち合わせして、ロンドン市内でデイトしたことが始まり。
とは言え、ロンドンとオックスフォードは高速バスで2時間ほど。
電車で1時間ほどで、東京と山梨の大月くらいの距離にある。
Tonokoさんと待ち合わせしたのは、ビートルズの『アビーロード』のジャケットで有名な
アビーロードスタジオの近くにある地下鉄セントジョーンズウッド駅。
初めて顔を合わせるのだけれど、全然違和感のない不思議な出会いだった。
彼女とアビーロードスタジオまで歩いて、その後は地下鉄でロンドン中心部へ。

オシャレなワイシャツの専門店等をウィンドウショッピングして、
夕刻までカフェのテラスで、色んな話をしたのが始まり。

その後は、彼女が帰国した際に矢沢永吉のコンサートへ同行したりで、
カズさんは僕に、素敵な友人を巡り合わせてくれた。
今日の集まりに使ったお店は、初めての店。
カズさんと飲みに行く時は『ソバ屋で一杯』というこだわりが有ったのだけれど、
その時の定番だった『田中屋』が廃業してしまったので、この店にしたと言う訳。
皆でカズさんの悪口を言って、楽しい時間を過ごした。
人の繋がりっていうのは、同窓生、会社の同僚、音楽仲間、サッカー仲間など、
色々とあるけれど僕にとって『純粋な飲み仲間』は、カズさんだけだった気がする。
カズさんが亡くなってもう2カ月になろうとしている。
今日の集まりは、故人を偲ぶ湿っぽい集まりじゃなく、
むしろ、そう云う事は過去のものとして前向きな人生を送る人間の集まりだったように思う。
酒好きで、肝臓を患って肝硬変で昨年の11月に入院していたが、
急に肝性脳症であの世に逝ってしまった。
音楽好き、政治好き、神輿好きの酒飲み。
ビジネスチャンスだと言って、去年はキューバに出かけて居たほど元気だった。
奥さんの真由美さんは2回りほど歳下の40代。
10年ほど前に結婚して、子供には恵まれなかったけれど仲の良い夫婦だった。
今夜はカズさんの大学の後輩で、ロンドン在住のTonokoさんの声かけで、
真由美夫人と僕、それとカズさんと知り合うきっかけになった相方に、
カズさんが経営していた店で店長をしていた朴ちゃんの5人で、
鰻の老舗、赤坂の『ふきぬき』で『カズさんを偲ぶ会』を開いた。
Tonokoさんとの出会いは、カズさんが居なければ無かった。
2006年10月から約2か月、仕事でオックスフォードまで出張に行った。

その時にカズさんから『ロンドンに後輩が居るから会って来いよ』と言われ
ロンドンで待ち合わせして、ロンドン市内でデイトしたことが始まり。
とは言え、ロンドンとオックスフォードは高速バスで2時間ほど。
電車で1時間ほどで、東京と山梨の大月くらいの距離にある。
Tonokoさんと待ち合わせしたのは、ビートルズの『アビーロード』のジャケットで有名な
アビーロードスタジオの近くにある地下鉄セントジョーンズウッド駅。
初めて顔を合わせるのだけれど、全然違和感のない不思議な出会いだった。
彼女とアビーロードスタジオまで歩いて、その後は地下鉄でロンドン中心部へ。

オシャレなワイシャツの専門店等をウィンドウショッピングして、
夕刻までカフェのテラスで、色んな話をしたのが始まり。

その後は、彼女が帰国した際に矢沢永吉のコンサートへ同行したりで、
カズさんは僕に、素敵な友人を巡り合わせてくれた。
今日の集まりに使ったお店は、初めての店。
カズさんと飲みに行く時は『ソバ屋で一杯』というこだわりが有ったのだけれど、
その時の定番だった『田中屋』が廃業してしまったので、この店にしたと言う訳。
皆でカズさんの悪口を言って、楽しい時間を過ごした。
人の繋がりっていうのは、同窓生、会社の同僚、音楽仲間、サッカー仲間など、
色々とあるけれど僕にとって『純粋な飲み仲間』は、カズさんだけだった気がする。
カズさんが亡くなってもう2カ月になろうとしている。
今日の集まりは、故人を偲ぶ湿っぽい集まりじゃなく、
むしろ、そう云う事は過去のものとして前向きな人生を送る人間の集まりだったように思う。