『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、楽しく生きる事
周りにも笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

家族の慰労会

2011年02月11日 | Weblog
この3ヶ月間お袋をずっと看病してくれた姉貴が
来週の月曜日に帰国するので、兄弟の家族が集まって慰労会。
最初の予定では、青梅にある料亭で集まる予定だったけれど
雪が降りそうなので、急遽場所を変更した。

六本木のミッドタウンにある「ユニオンスクウェアトウキョウ」に
姉貴の同級生の息子が働いていて予約した。
この息子、かつてFC東京のU-22でサッカーをやっていて、
ユースの日本代表まで選ばれた海東君。
いまは訳あって、サッカーを引退して飲食関係の店で勤めているが、
この3月で、この店を辞めてニューヨークへ行くそうだ。

この彼のお陰で、六本木のど真ん中で貸切のスペースを用意してもらった。

それもランチタイムが1時から4時までなのに、休日返上できてくれた
海東君のお陰で、我侭三昧の会食は盛り上がって4時半過ぎまで大騒ぎ。

食べ物は美味しいし、雰囲気も抜群。
子供たちも、今流行りの街で高級感たっぷりのお店で楽しかったみたい。
時間が過ぎて、誰も居なくなったお店で全員が揃って記念写真。

まだ5時で、弟と僕は飲み足りなくて、もう一軒行こうと相談。
弟の長女がお気に入りの店を6時から予約してくれたので、
それまで1時間半、一旦解散してそれぞれが好き勝手に
田舎者宜しくミッドタウンを楽しんだ。

1万円のバレンタインのチョコや、

一個数百円するキャラメル
など
かつてのバブル期を彷彿させる品が、ずらりと並ぶ店があったり
僕はアイスが食べたくて、子供と一緒に食べに行ったり。
1時間半があっという間に過ぎて、2次会のお店に移動。

今度は本当の居酒屋だったけれど、高校生の長女、中学生の次女も
若い人たちだけで別テーブルを作ってもらい、大人が酒を飲む横で、
美味しいものを好きなだけ頼んで、楽しんでいた。

僕はひさしぶりに、弟と2人で日本酒の熱燗。
最初に頼んだ酒があまり美味しくなくて、と言うより
どうやら冷酒を熱燗にしちゃって、酒の辛味だけしか残らなくて失敗。
その後、新潟の酒を頼んだら途中で売り切れ、
その後は千葉の「木戸泉」という酒を、弟と2人でガンガン飲んだ。
結局2人で一升以上呑んじゃった。
弟は5合飲んでも、平然としているが、僕は流石に眠くなって
テーブルに頬杖突いて、暫く気を失っていたみたい。

その間、僕が左手の指をピクピク動かしていたらしく
みんなは「きっと、宇宙人と交信してるんだよ」と言って大笑いしていたそうだ。
帰りの電車を待つベンチでも、再び気を失って「交信」していたらしく
それを子供たちが見るたびに「いま、受信してるんだよ」とか
言って、写真を撮ったりしていたみたい。

僕は電車の中でも爆睡。それでも、いつもどおり吉祥寺に到着した時には
酔いも半分以上抜けていて、家族全員でタクシーでの帰宅。

久しぶりに、弟とゆっくり飲んだかな?
とにかく今日は楽しい話題で一杯だった。
こういう家族の会合は、たまにはいいなぁって思った。

雪が降らなければ、車で出かけて単なる大人だけの会食で終わったかも知れない。
雪のお陰で、子供も連れて六本木に出かけ、子供同士も楽しんだ。
姉貴が帰国したら、もうこういう時間はなくなるのかな?
お袋を軸に、お袋に会う為に集まっていた兄弟が、
これからはどんな形で集まるようになるのか?
兄弟たちの新しい時代が始まった気がした。
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「兄弟仲良く、力を合わせて」

2011年02月10日 | Weblog
この一週間、精神的に辛かった。
兄弟がメールでやり取りして、言いたいことを伝えても
悲しいかなメールというツールには、ニュアンスや空気を伝える術がない。

ちょっとした言葉が、文字になると受け取り方も変る。
誰が悪いとかじゃなく、メールという顔の見えない会話は
一歩間違うと、とんでもない誤解を生じて助長してしまう。
姉貴が僕に「どうして、お兄さんに冷たいの?」って何度も言われ
そのうち、自分が全部悪者にされているような気分になって
気持ちがどんどんネガティブになってしまった。

今日、兄貴のメールのちょっとした一言で、不思議なほど気持ちがほぐれた。
それは兄貴が意識した訳じゃなく、読んだ僕が感じたのかな?
いままで、舌足らずだった自分の言葉や、偏見を持ってしまって
誤解していたことが、無意識の兄貴の言葉で解きほぐれた。
そう考えた途端に、自分が恥ずかしくなった。

幸い、僕の兄弟は思っていた以上に強く繋がっていたようだ。
兄弟みんなに謝る僕に、「自分にも責任がある」と弟が謝ってくる。
兄貴は、最初から一歩引いたところで見守っていた。
姉貴は、兄弟の間を何とか繋ごうと必死になって言葉を投げかける。

お袋が居なくなった途端に、兄弟が崩壊かよ・・・・
なんて思っていたけれど、地球の裏側に居る兄貴まで巻き込んで
兄弟が言いたい事を言い合って、かえって良かった気がする。

弟から「改めてうちの兄弟はいいな・・と実感させられました」
とメールが来て、僕も同じようなことを思った。
50歳を過ぎた4人兄弟は、嫌な意見を投げかけているにも拘わらず、
皆、真剣に自分の意見を返して、思っていること、考えていることが
手に取るように解った。
本当に良い兄弟だなって・・・・・。

来週には姉貴も地球の反対側に帰って行く。
お袋の最期に立ち会えずに後ろ髪を引かれたであろう兄貴も
いまは地球の裏側、ブラジルで頑張っている様子。
僕をずっと支えてきてくれた弟も、やっと元の落ち着いた生活に戻る。

そう考えると、お袋を看取れた僕は、兄貴よりは幸せだし、
気楽に帰れる場所を失った姉貴ほど失ったものは小さい気がして来た。
弟も、今まで献身的なサポートで、本当に大変だった事を考えると、
こんなことで精神的に滅入って居る自分は、なんて阿呆だなって思う。

「兄弟仲良く、力を合わせて」
と、たった一言の遺言を残して亡くなった親父と
喧嘩しながらも繋がっていられる素敵な兄弟を生んでくれたお袋に
改めて感謝の気持ちで一杯になった。
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オバチャマに感謝!

2011年02月09日 | Weblog
何となく、落ち込んで居る気がするんだけれども、
会社に行くと、いつもの自分を演じている。
部下には、『親方』とか『将軍』といったイメージで捉えられているから
ヘナヘナした自分は見せられない。
冗談を言い、馬鹿を演じる。
でも、こういう事が意外と自分が落ち込まないための秘訣の気もする。

帰宅したら、線香と手紙が届いていた。
送り主は、劇団の大先輩であるオバチャマ。
数年前に、落ち込んでいた僕を劇団に誘ってくれた人である。
以前から、劇団に不満を持っていた僕は、今年の公演で一区切りするつもり。
その上、お袋が亡くなって、芝居の稽古どころじゃないくらい
休日にやる事が沢山あるのも手伝って、稽古をずっと休んで居る。

オバチャマは、お袋の姉にあたる亡くなった伯母と、いまの劇団で一緒に、
プライベートでもずっと仲良くしていた方で、年齢もお袋とさほど変らない。
お袋が亡くなった事を、劇団へ直に報告していなかったために
オバチャマに対して、失礼だったかも知れない。

でも、線香と共に頂いた達筆の筆書き。
多分、子供には読めないだろう行書の手紙。
手紙には凄く愛情がこもっていて、何だか凄く癒された。

そういえば、この人に誘われて入った劇団にも癒されていた。
皆が一生懸命で、上手い下手など二の次で、お互いに元気を分け合う。
公演を観に来たお客さんが、その元気を感じ取って帰って行く。
そういう、他には無い素敵な集団。

オバチャマの手紙を読んで、
『あぁ、この人たちにこうやって、可愛がられて来たのだ』って
お袋の葬式の後に、固まっていた心が少し解きほぐされた気がした。

それと同時に、また劇団のみんなに会いたくなった。
あの「家族」と過ごす、面倒でイライラする時間が不思議と恋しくなった。

来週、姉貴が帰国した後は出遅れた分を取り戻さなくちゃ!
そして、オバチャマたちの「中年の星」にならなくてはいけない。

人の心が伝わるとは、不思議な力が湧くんだなぁ・・・と思った。
オバチャマに感謝!
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あの頃に似ている・・・

2011年02月08日 | Weblog
いま、精神的にちょっとおかしい。
会社で目いっぱい、元気を出しているせいなのか?
数年前に、会社に裏切られて体調がおかしくなった時とそっくり。

お袋が亡くなって、色々と煩わしいことが舞い込んできて
兄弟の間で、ちょっとした行き違いがあって、
その中心に自分が居る。
いつもポジティブに物を考えてきた自分が、凄くネガティブになってる。
そんな自分が嫌で、更に悩む。
そうこうしているうちに、何もかも失くしてしまいたくなってくる。

何となく体温コントロールが出来ない。
暑かったり寒かったり、自分の体で上手くコントロール出来ないで居る。
前にこんな事があって、それ以来嫁さんとは別部屋に寝るようになって
一人でエアコンをガンガン効かせて寝ていたけれど、
今回は暑さも寒さも、両方に対しておかしい。

姉貴に話をしたら
『好きなことやって気分転換が大事。そのままじゃ、欝になっちゃうよ』
と言われた。
そういえば、ずっとサッカーも音楽もやっていない。
以前に、こういった精神的に欝になりかけた時に、芝居を始めた。

何も判らない自分が、一生懸命やることで気持ちがポジティブになった。
それからずっと芝居が自分の心の支えになっていた。
でも、今はその芝居も面倒になってきている。
劇団の姉様から、誘いのメールが来ているんだけれど、その気が起きない。

何だか、自分の精神的な弱さが凄く嫌だ。
好きなことを、思い切りやる・・・・・かぁ・・・・
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一番嫌いな、自分が居る

2011年02月07日 | Weblog
いままで、後悔したことが無いといったらウソになるでしょう。
何時までもクヨクヨ考えていたら、前に進めない。
そう思うから、後悔はしないように心がけてきた。
ところが、今回は真面目に考えれば考えるほど、
後悔しか沸いてこない。

お袋が生きている間は、色々なことがあってもお袋の顔を見ると
なんだかホッとした感じになって、気持ちが楽になった。
子供の頃と同じように、お袋のところに逃げていたのかも知れない。

お袋が他界して、一区切りついた途端に、残された土地や現金の
相続が発生して、兄弟の間で意見が食い違う。
と言うより、「自由にしていい」と言われて僕が引き継いだつもりで、
今後のことを考えていたら、それについて色々言われて腹がたった。

これまでの見返りを貰おうなんて思っていないのに、
なんだか僕が遺産を独り占めしようとしているかのように言われ
土地の権利はどうのこうの・・・・
それなら、最初から売り払っちまえばいいのに、引き継いだ僕に
あれやこれや注文をつける。

こんな兄弟じゃなかったのになぁ・・・・って思ったときに
裏切られたという気持ちが湧いてきて、全てが面倒になってきた。

28才の時に、もっとやりたい事があった。
その当時付き合っていた彼女と海外へ出て行きたかった。
家を引き継いだ直後に、姉貴が「シドニー日本人学校」の教諭採用試験に
全国から来る、数百人の応募を押しのけて採用が決まった。
相談されて、行くなとは言えなかった。
兄貴に続いて、二人目。弟は、最初から家の相続を一切放棄して
嫁さんの両親と一緒に暮らす道を選んだ。

それで自分は、オヤジが亡くなった直後のお袋に、婆さんを残して
海外に出て行く勇気が無かった。
それ以来、ずっと何かを背負わされている気持ちで暮らしてた。
その後、三年後に帰国するはずだった姉が海外で結婚し、
姉の帰国までずっと待たせていた彼女と、別の人生を歩むことにした。

誰が悪いでもない。運とかめぐり合わせとかがあるんだろう。
彼女とは「縁」が無かったんだと思って、自分に言い聞かせた。

それが、蓋を開けてみれば建物はお前のものだけど、土地は別・・・
みたいな事を言われて、耳を疑った。
そんな話だったとは、思わなかったから何だか全てが嫌になっちゃった。

そうしたら、自分でも戸惑うほど後悔し始めてる。
自分の人生や、いろんなことに対して、『あの時こうしていれば・・・』
なんて、一番嫌いな自分が居る。
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姉貴帰国まで、残り8日

2011年02月05日 | Weblog
今日は午前中に次女の中学校の公開授業。
3時間目は理科。太陽系の天体の話。
最初に一光年=1兆Kmって黒板に書いたから、この距離の解説を
楽しみに、自分なりに暗算していたんだけれど、
結局、解説は無し。
ここで簡単な算数をやって、教えれば理科と数学の楽しさが判るのに・・・

隣に居たおじいちゃんが、メモを取って一生懸命授業を聞いていた。
そういう姿って、微笑ましいし、いくつになっても学習する姿勢は
何処か尊敬の眼差しで見てしまった。

次の4時間目は数学。
ところが、公開授業だというのにいきなりプリントを配って
小テストが始まっちゃった。
公開授業で、テストは無いでしょう・・・・・
そんな訳で、つまらないので帰ってきちゃった。

その後は、嫁さんと買い物をして、荻窪の姉貴のところへ。
弟夫婦が来て、香典のまとめとリストを作って
49日の納骨の準備と、予約などを相談。

姉貴が帰国した後は、僕がお袋を自宅に連れて帰って、
49日まであずかる事になって居る。
その後の事は、どうするのか?
いまだに決まっていないのだけれど、荻窪の実家は
暫くの間空き家になるので、そこに放置しておく訳にも行かない。
まぁ、兄貴がどうするのか?決めると思うけどね。

お袋が亡くなって、ちょっと兄弟の間がおかしくなりつつある。
いままで何でもなかった事が、お袋が居なくなった途端に
皆の思惑が見え隠れして・・・・
うちの兄弟は、そんな事無いと信じていたけれど、
意外とそうでもなかった、世間一般のありきたりの兄弟だった。

とは言え、姉貴が来週帰国するまで残り8日。
帰国前に、兄弟だけで慰労会をやる事になった。
そういう場所は、楽しい場所でありたいけれどね・・・・
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何だか疲れたぞ・・・

2011年02月04日 | Weblog

今週は火曜日まで忌引きで休み。
水曜日からの職場復帰だったが、この三日間は長かった。
水曜日に出勤して、メールチェックをしようと受信ボックスを開いたら
画面が真っ赤。なんと280通あまりの未読メールの山。

仕事の頭になっていないから、メールを片端から見る。
タイトルや名前だけで、中を読まずに削除しちゃうメール。
それと、居ない間にすでに終わってしまっている会議の招集。
トラブル対応の依頼通知等など・・・・

普段はこんなメールも、一応目を通すのだけれど、流石に280もあると
そうでもしない限り、時間ばかり使って実のない一日になっちゃう。
そうこうしている間でもメールがどんどん飛び込んでくる。

7日休んで280通ということは、一日平均40通。
メールなんて無い時代は、こんなことの連絡はどうしていたっけ?
緊急会議なんて、あまり無かったのか?

今はワークフローと称した、回覧があるので書類がスムーズに動くという
利点は出来たものの、逆にどうでも良いことまで回覧する。
便利なようで、会社という組織も不便になってきている。

自分の判断で事を進められない。だから、メールで気楽に何かを要請する。
海外出張でさえ、いまやインターネットで繋がっちゃうから
一人放り出されて・・・なんて状況は、昔に比べたら楽なもの。

とにかく、リハビリの一日は終わりました。
一つ、嬉しかったのは自分が休んでいる間に、仕事が捗っていたこと。
居ないから、頑張ったのか?
それとも、うるさいオヤジが居なくて伸び伸びと出来たのか?
定かじゃないけれど、結果は良い方向へ進んでいた。

居ない方が良いなら、そうしたいのだけれどねぇ・・・・

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人生をクローズするという事・・・

2011年02月03日 | Weblog
お袋が亡くなって、あっという間に10日が経った。
何だか嘘みたいに早く過ぎて、お袋が亡くなったのが
もう随分前のような錯覚に陥る。

あんなに長くゆっくりと感じた、姉貴の看病生活も終わってみれば
あっという間に時間が元の時間に加速されてしまったような感じ。

不思議なのは、お袋の夢を全く見ないこと。
これは、伯父や姉貴も同じようなことを言っていた。
考えてみれば、親父が亡くなった時もそうだった気がする。
何時までも、親の死を引きずるなという事なのかな?

姉貴が14日に帰国することが決まり、実家にある荷物を
少しずつ片付けてもらう事にして居る。
なんだか、お袋が亡くなって兄弟の関係も少しずつ離れている気がする。
本当の意味で、それぞれが独立した拠点で生活するって言うのかな?

結婚や出産と言う生まれて行くイベントは、手続も簡単で、見た目は華やかだ。
逆に、人が亡くなって人生をクローズするのは手続も簡単じゃない。
前を向いて進むと言う意味では同じだけれど、何処かネガティブな
人だけでなく、失ってゆく物が多いなあと感じる。
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合格通知

2011年02月02日 | Weblog
今日から職場に復帰。
溜まっていたメールが280通。一気に目を通した一日。
休んでいる間、みんなが頑張ってくれたみたいで
むしろ居ない方が仕事が捗るんじゃないかって、思ったくらい。

今日は次女の都立高校推薦入学選考の発表。
昼過ぎに写真と共に『合格しました。合格マーク』のメール。

倍率が2.6倍と、少々心配していたが何と合格という嬉しい誤算。
これで次女は、私立高校の受験もペーパー試験を経験しないで
晴れて希望の高校へ入学が決まった。
約束どおり私立高校の入学金は、次女への賞金有料になる。

次女はお姉ちゃんと同じように自分のパソコンと、
今流行りのPSPに『モンスターハンター』が欲しくて
動機はともかく、毎日遅くまで塾へ通い、頑張ってきた。
結果的に、そんな塾での頑張りは、しなくても良かった事になった。

面接はお袋の葬儀の翌日なので、精神的にはきつかったと思うけれど
部活推薦は上手く行かなかったが、一般推薦試験での面接では
自分の意見をしっかり言って、それなりに手応えはあったみたいだった。

で、合格!合格マーク
何よりも、これで卒業までギスギスとした受験生活を送らずに済む。
卒業まで、のんびりと生活して行けるのが良かった。

子供には『頑張った分だけ結果が出る』とか『思いが強い人が勝つ』
と言って、励ましてきたんだけれど、今回は後者だったかな?

お祝いに買って帰ったケーキを、入口でぶつけてしまいげっそり

ケーキのイチゴが全部落っこちてしまって大笑い。
その後、修復して何とか元通りに戻って、

みんなでお祝い。

今日から我家は
『落ちる』とか
『こける』とかの言葉は禁句じゃなくなった。

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特別休暇(忌引き)終了

2011年02月01日 | Weblog
7日間と言う、長い特別休暇。
この間、相続の手続に必要な戸籍謄本やら、墓石の彫刻の依頼など
意外とやる事が多くて、結局全部終わらなかった。
今月はちょっと忙しい日が続くかな?

昨日は朝から、茨城県の筑西市まで戸籍謄本を取得しに行って来た。
その足で我家の菩提寺の天台宗の千妙寺、積善院へ足を伸ばした。
ここの住職新井さんは、僕と同い年で若い頃からなんとなく仲が良い。
親父が亡くなった後に、バイクに乗って一人で2度ほど遊びに来ている。
今回は家族と一緒に3度目の訪問。

実は、親父やお袋の位牌や、墓の引き継ぎを兄貴がするのだけれど
暫くの間、日本に居無いのでに、その間のことについて
どうしたら良いのか?ずっと悩んでいた。

昨日になって姉貴が、
『7回忌まで、自分が連れて帰って世話したい』
と言い出した事もあって、新井住職の考えを姉貴に聞いてもらいたかったから。

お袋の病気が治ったら、姉貴の結婚式で行って以来、
ずっと『もう一度行きたい』と言っていた豪州へ、
結局連れて行ってやる事が出来なかったから
姉貴は、そう考えたみたい。
姉貴がシドニーに位牌を持って行けば、一周忌や3回忌などに帰国する口実になるし
ずっと離れて暮らしていた姉貴は、そうすることで罪滅ぼし的な気持ちを
満足させられるんじゃないかと思うし・・・・・

このことについて、僕は反対じゃなく、むしろ素敵な話だと思ったけれど、
それには先祖や祖父母の位牌も一緒じゃないとまずいんじゃないかって・・・・
それは姉貴が全部一緒に連れて行くことにしたとしても、
果たしてそういうことをしても良いものか?判断がつかなかったからね。

結局、親父とお袋、先祖の位牌と共に、宗派が違った祖父母の位牌も
一緒にして構わないという事を聞いて、姉貴は喜んだ。
『宗派が違っても、家族ですからね、お世話してあげることが大事です』
という、住職の言葉は僕と姉の気持ちを楽にしてくれた。

霊園にある祖父母の墓の引継ぎも、僕がすれば良いって思えたし
祖父母の家は、後継者が居ないので、僕が引き継げば無縁仏にならずに済む。
宗派だとか、苗字だとか、そんな事はどうでも良くて
住職の言う『家族』という言葉が、凄く説得力が有って、心に響いた。

田舎の空気は美味しく、近くに見える筑波山の雄姿が美しかった。
子供たちが修学旅行や遠足気分で楽しめた事も良かったかな?
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