ニッカやサントリーも飲みますが香りがスコッチとは違う、良い蒸留酒と割り切って楽しみます。そんなウイスキーの写真をお送りします。先程、業務用スーパーで撮って来ました。ニッカの余市という瓶(3799円)はきっと美味しいに違いありません。
三枚目の写真にある1099円のものはあまり有名ではありませんが、みな美味しいスコッチです。スコッチが国産のものより格安になったので隔世の感を深くします。昔は輸入税が大変高かったのです。外国に行くと重いのにスコッチを2本位買って持ち帰ったものでした。時代ですね。
アルマBB
縦横上から見た原図は以下のURLに出ています。
その他多数のバッグについては、http://jp.louisvuitton.com/jpn-jp/women/handbags をご覧下さい。
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以下、http://www.shopping-search.jp/g/link/cat_0101000000/key_%A5%B7%A5%E3%A5%CD%A5%EB に続く。
日本にある湖の大部分は火山のカルデラに水が溜まったカルデラ湖です。
琵琶湖と霞ヶ浦はカルデラ湖ではありません。それは知っていましたが諏訪湖もカルデラ湖ではないという話を聞きました。
「日本のカルデラ湖」を検索したら、なるほど諏訪湖もカルデラ湖でないのです。
ついでに諏訪湖を検索したら面白そうな水陸両用観光バスの情報がありました。
これから始まる夏の楽しみになると思い以下に写真をお送りいたします。
下の写真の出典は、 http://blog.goo.ne.jp/nobosan_domo/e/0aa5cd88ea7fec4d3324f6014093c8f3 です。
上の写真のように陸上では背の高いバスです。
諏訪湖に設置してあるコンクリート製のスロープを下りて水に浮かべば後ろについているスクリューが回ってモーターボートのように巡航しす。
上の写真の出典は、 http://www.suwakanko.jp/note/c_note.cgi?page=97&mode=moveです。
上の写真の出典は、 http://blog.goo.ne.jp/nobosan_domo/e/0aa5cd88ea7fec4d3324f6014093c8f3 です。
この観光バスに乗った方の 動画は沢山あります。
1922年(大正11年)に神戸より北野丸でイギリスに出帆。同船した福田敬二郎を通じて従弟の郡虎彦と到着したロンドンで交わる。オックスフォード大学の入学手続きに間に合わず、一年間はロンドンでジョン・コリアー、シェラード・ヴァインズらとの交友の結果、モダニズム文学運動に接する。1923年(大正12年)1月より住居をケンジントン地区のホテル・ローランドに定め、7月にスコットランドを旅行。10月にオックスフォード大学ニュー・カレッジ(New College)英文学Honors courseに入学。フランス、スイスに旅行し、1924年(大正13年)の夏学期に大学のニューディゲイト賞にラテン語で応募しようとしたが、時間不足のため英詩に転換。後に『Ambarvalia』に「哀歌」として名残りのラテン詩が載った。
「A KENSINGTON IDYLL」がT・S・エリオットの詩と共に『チャップブック (Chap Book)』39号に掲載され、この年に英詩を乱作し、12月フランスで『シュルレアリスム革命』誌が刊行される。1925年(大正14年)にオックスフォード大学を中退し、ロンドンで英文詩集『Spectrum』をケイム・プレス社より自費出版。これがデイリー・ニューズ紙とタイムズ紙文芸附録の書評に取り上げられ、一躍文名をあげた。帰国の途中にパリで仏文詩集『Une Montre Sentimentale』を出そうとしたが果たせなかった。
西脇順三郎は1894年(明治27年)1月20日生まれ、 1982年(昭和57年)6月5日に亡くなる。日本の詩人でかつ英文学者(文学博士)。戦前のモダニズム・ダダイズム・シュルレアリスム運動の中心人物。水墨画をよくし、東山と号した。小千谷市名誉市民。
人気をどのように客観的に評価するか疑問がありますが、とりあえず訪問してあまり失望するようなお寺ではなさそうです。
このHPの優れているところは、有名なお寺を下に示したように、所在地によって3段階にわたって絞り込めるようになっています。
例えば、関東甲信越を絞り込んで、首都圏に限定し、更に私の住んでいる多摩に絞り込むと近所の有名なお寺が出てくるのです。
そのお寺の名前を見ると、なるほど有名なのです。納得します。
皆様もご自分の住まいの地域に絞り込んで、調べてみて下さい。
そして少し遠方への観光旅行のご参考にして下さい。
下に一例として、関東甲信地域のランキング1位から10位までを写真とともに示します。
エリアを絞る 更に 関東甲信越の地域を絞ると: 北関東 新潟・佐渡 首都圏 伊豆・箱根 山梨・富士 信州・清里 更に首都圏の地域を絞ると: などと詳細に観光地として興味のあるお寺の名前と住所が出てきます。 下に一例として関東甲信地域のランキングを示します。
東京都葛飾区柴又7-10-3
「寅さん」でおなじみの葛飾柴又の帝釈天の名水。寛永6(1629)年の開山以前より湧き続けているこの水こそが、題経院日栄上人がこの地に寺を開くきっかけになったという。
茨城県那珂郡東海村村松8
807年に開山、建立された寺で弘法大師が彫った虚空蔵菩薩を本尊としている。数え年の13歳で参拝すると知恵と福が授けられるという「十三参り」の言い伝えが残っている。東京都新宿区神楽坂5-36
「善国寺」といってわからなくても「神楽坂の毘沙門天さん」といえば神楽坂の顔。創建は文禄4(1595)年だが、寛政4(1792)年にこの地へ移転した。(4)大善寺
山梨県甲州市勝沼町勝沼3559
ぶどう薬師ともいわれ、行基が夢に現れた右手に葡萄を持つ薬師如来を刻み、安置して創建されたと言われる古刹です。優美な姿の桧皮葺の薬師堂は国宝に指定されており、堂内の仏像も見ごたえがあります。葡…( 5)目黒不動尊 瀧泉寺
東京都台東区上野4-6-2
およそ600年前に創立。摩利支天(開運守護神)安置。特別祈祷を毎日受け付けている。正月、5月、9月、11月に特別大祭(月初の亥の日)が行われる。冬になりました。山林の中の小屋の魅力は薪ストーブです。
先日その薪を作っていました。しかし体力が無くなり、ノコギリで丸太を切るのが大変です。
以前から電動チェーンソーを買おうと思っていました。しかし凄い勢いで回るチェーンソーが危険そうです。それで何年もガマンして購入しないでノコギリを使っていました。
ところが小屋からの帰りがけに木内山荘に寄ったら彼が気楽にチェーンソーを使って薪を作っていました。
そこで今朝から「チェーンソーの使い方」を検索して安全な使い方を勉強しました。安全な使い方に確信が持てたのでホームセンターに買いに行きました。
買ったのはナカトミの電気チェ-ンソーEC-305Nです。850Wで直径30cmの丸太まで切れる性能です。
価格は4980円でした。
帰宅後、早速、使用方法の冊子を読んで、付属の潤滑油を注入し、試し切りをしてみました。下がその時の写真です。
チェーンソーの重量が2.6Kgと軽いので77歳の小生にも気楽に使えます。
切るときは必ずチェーンの刃の根元に丸太をあてがうことが鉄則です。そして木屑が多量に手前に飛んで来ますので、上の写真のように木屑を入れる大きな入れ物を手前に置いておきます。
上の写真で切っているものは木内さんから貰って来たシイタケの原木です。
5年間も数十のシイタケが生えて来ましたが、今年は原木が古くなり過ぎてキノコが出ませんでした。また山へ持って行き最後は薪ストーブの薪にします。
それにしても電気チェーンソーがこんなに便利で楽なものとは思いませんでした。
後期高齢者の方々にお勧め出来る便利な道具です。ただし使い方はあらかじめ勉強しておくことが重要です。(終わり)
重いものを持ち上げたりして腰が痛くなり、数日後に自然に直ることは度々ありました。
しかしこの秋に山仕事を面白がってし過ぎたら、それ以来、腰が痛くなり3ケ月が過ぎても痛みが取れません。
朝、寝床から起き上がると腰が痛くて歩けないのです。しばらく腰を少しずつ回して、やっとソロソロ歩き出します。椅子に長く座っていると、立ち上がった直後は腰が痛くて動けません。
現在、77歳の立派な後期高齢者なので、それが自然の摂理とあきらめていました。家内に何度も医者に行ったらと言われても諦めていて行きませんでした。
ところが昨夜、家内が効く薬を戴いたと言って貼ってくれたのです。
それが劇的に効いて、今朝は痛まず、いきなり歩き出せたのです。
左の貼り薬のモーラステープという久光製薬社製のものです。この薬はお医者さんが診断して出すものなので市販はしてないようです。
完全に痛みが取れたので、嬉しくなりました。
あまり嬉しかったので、今日は近所の整形外科医の待合室に根気良く座り込んで、やっと長時間後にレントゲン写真を何枚も撮って、診察を受けることが出来ました。お医者さんは私の足をさんざん回したあげく異常なしという診断でした。
やはり老齢の自然現象なのです。痛み止めの貼り薬と大きなベルトを貰って帰宅しました。
今まで貼り薬など効いたためしが無かったのですが、それが効いたので驚きました。同時に案外、貼り薬など効きはしないとあきらめている老境の方々も多いのではないかと思いここにご報告する次第です。
しかし薬は人それぞれ効いたり、効かなかったりしますので保証の限りではありません。
====この貼り薬の使い方にご注意ください===========
情報を寄せて下さいましたhoteisan2004さんと竹内義信さんへ感謝します。
有難う御座いました。後藤和弘
=====竹内義信さんからのメールです================
そして以下の連載記事をこのブログに書いてくださった竹内義信さんかからもメールで教えて頂きました:
後藤様
楽しく読ませて頂いております。本日「モーラステープ」
の劇的効果のご紹介は嬉しくなりました。久光製薬には
何の恨みもありませんが、人によってテープを使用
した患部を日光に当てると皮膚炎になることが
あるそうです。後藤さんが腰を日光に当てることはない
でしょうから安心していますが、一言ご注意まで!
竹内義信
余談ながら、以下はこの竹内さんが書いてくれた記事です。題目をクリックすると直接その記事が開きます。
竹内義信著、「イタリアの魅力とその混沌」(1)その魅力のいろいろを纏めてみました
竹内義信著、「イタリアの魅力とその混沌」(2)社会の混沌ぶりと犯罪の多発
竹内義信著、「イタリアの魅力とその混沌」(3)イタリアの地域主義
竹内義信著、「イタリアの魅力とその混沌」(4)確かな仕事をするイタリア人管理職
竹内義信著、「イタリアの魅力とその混沌」(5)イタリア料理の知られざる世界
===そしてもう一つの面白いコメントです=======
帆走子さんは「ロスミナの風」という楽しいブログ( http://rusmina-2.cocolog-nifty.com/blog/)を書いていらっしゃいます。その中で飛行船の短い紹介記事を見つけました。
小生も昔から飛行船にあこがれていました。夢のような空の乗り物です。
そこで、株式会社日本飛行船のHPを色々調べてみました。埼玉県の桶川にある本田飛行場を営業基地にして、全国を回っている飛行船を運行している会社です。今日は関西の空にいますが、東京の上空でもよく見かけます。そのHPから美しい写真を転載致します。
上の左は第一次大戦以前に開発されたツェッペリン号で、右は1916年に所沢から大阪へ飛んだ軍用飛行船「雄飛号」の写真です。
下の写真は現在、日本の空を飛んでいる、ツェッペリンNT号の写真です。お楽しみ頂ければ幸いです。写真は全て株式会社日本飛行船のHPを出典としています。(http://www.nac-airship.com/ )
(終わり)
先日、府中郷土の森博物館公園を散歩していたら江戸時代中頃の1700年代の庚申塔が数基と馬頭観音塔が一基集めて保存してありました。
庚申塔は江戸時代に大流行して全国に建てられたそうです。
不思議な信仰活動なので家に帰ってから調べてみました。
そうしたら庚申塔信仰は道教が日本に導入されたもので、日本では珍しい道教起源の信仰でした。
その信仰は体内に棲む三し(さんし)という虫が庚申(かのえさる)の日に眠っている間に抜け出して、天帝へ棲み込んでいた人間の罪状を報告するという信仰です。これを防ぐために庚申(かのえさる)の日に徹夜をして、体内の虫が抜け出さないように見張っているのです。いかにも道教らしい民間信仰です。
下に府中郷土の森博物館公園で撮った庚申塔の写真2枚と馬頭観音の写真を一枚示します。
上の馬頭観音はヒンズー教の影響を受けた仏教の観音様の一つの変化なので道教とは関係がありません。
しかし江戸時代にはこれも沢山建てられ本来の意味を離れ旅の安全を守るものとして信仰を集めていました。
下に目黒区の区役所の庚申塔の説明が明快なので添付します。
=======庚申塔信仰とは?=================
旧暦では60日に1度、庚申(かのえさる)の日が巡ってきますが、この夜眠ってしまうと人の体内にすんでいる三し(さんし)という虫が天に昇り、天帝にその人の日ごろの行いを報告するという道教の教えがあり、罪状によっては寿命が縮まると言われていました。寿命が縮まっては大変。この日は身を慎み、虫が抜け出せないようにと徹夜して過ごしました。日本では既に10世紀ごろには盛んだったようで、「枕草子」、「大鏡」などに記述があります。この教えが広まっていく中で仏教や庶民の信仰が加わり、江戸時代には全国の農村などで大流行しました。
身を慎むことから始まりましたが、徐々に米や野菜、お金を持ち寄り、皆で飲食・歓談して過ごす楽しい集まりになっていきました。また、さまざまな情報を交換し、農作業の知識や技術を研究する場でもありました。この集会を3年18回続けた記念に建立したのが庚申塔です。長寿や健康のみならず、家内安全や五穀豊じょう、現世や来世のことなどを祈り、それを碑面に刻みました。
病魔・病鬼を払い除くといわれる青面(しょうめん)金剛像や謹慎の態度を表すという三猿を彫ったものをよく見かけますが、文字だけを刻んだものや観音様やお地蔵様の姿のもの、さらには道しるべの標石を兼ねているものもあります。建造した年号・建立者の名前などが刻まれていて村の歴史やその土地の信仰、人々の生活、集落形成の様子などを知る貴重な資料となっています。
盛んだった庚申信仰も時代を経るにつれ、次第に忘れられていきました。都市開発や宅地の造成に伴って場所を移動させられたり、行方不明になった庚申塔もあります。また親睦会という形で人々の集まりが続いている地域もあります。
=====そして馬頭観音については下記をクリックしてご覧下さい========
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E9%A0%AD%E8%A6%B3%E9%9F%B3
梵名のハヤグリーヴァ(音写:何耶掲梨婆)は「馬の首」の意である。これはヒンドゥー教では最高神ヴィシュヌの異名でもあり、馬頭観音の成立におけるその影響が指摘されている。 他にも「馬頭観音菩薩」、「馬頭観世音菩薩」、「馬頭明王」など様々な呼称がある。衆生の無智・煩悩を排除し、諸悪を毀壊する菩薩である。
近世以降は国内の流通が活発化し、馬が移動や荷運びの手段として使われることが多くなった。これに伴い馬が急死した路傍や芝先(馬捨場)などに馬頭観音が多く祀られ、動物供養塔としての意味合いが強くなっていった。このような例は中馬街道などで見られる。なお「馬頭観世音」の文字だけ彫られたものは多くが供養として祀られたものである。
======以下省略==========================
戦前、戦後の育ちなので、「あーかーいーリンゴにくちびる よせて、だまって見ている青い空、リンゴは何にも言わないけれで、リンゴの気持ちはよくわかる。リンゴ可愛いや、可愛いやリンゴー・・・・」という流行歌を聞いて育ちました。
そのせいでリンゴが木に実っている光景が憧れになり心に焼き付いています。
先日、北信濃のあるリンゴ畑でリンゴを枝からもぎ取る体験をして来ました。
例によって、文字どおりお転婆の家内は高い脚立のてっぺんに登って真っ赤な実を捥ぎました。帰宅後、持ち帰ったリンゴへ多量の砂糖とバターを入れて煮リンゴを作りました。
食べてみると新鮮なリンゴの風味がして、北信濃のリンゴ畑を思い出させてくれます。
東京近辺でリンゴ狩りの出来る場所を探したら、「全国秋の味覚狩りスポット」(http://www.rurubu.com/season/autumn/mikaku/list.aspx?KenCD=19&sc=2)というHPを見つけました。
東京から日帰りでリンゴ狩りの出来る果樹園が埼玉県に2つと山梨県に4つあることが分かりました。その他に千葉県にもあります。
この中で見晴し園は山梨県の笛吹市にあり中央高速道路から近くて東京から2時間くらいで行けます。その他、甲府市の南に隣接した南アルプス市には塚原山フルーツ農場 と観光農園・中込農園 があります。そして北杜市には南八ケ岳花の森公園 があります。
「全国秋の味覚狩りスポット」というHPには全国の都道府県の秋の果物狩しやクリ狩りやキノコ狩りの出来る場所が紹介してあります。地図もついています。
ですからご自分の自宅に近い場所が簡単に分かります。
秋晴れの日には子供さんや孫達とお出掛けになっては如何でしょうか。
下に北信濃の夕方に訪れたリンゴ畑の写真をお送り致します。
・夕空の光景はリンゴ狩りの後、木島平温泉へ向うバスの車窓から撮りました。
毎年、10月、11月は奥日光の戦場ヶ原、小田代原、竜頭の滝、湯ノ湖、中禅寺湖、などは紅葉が綺麗な場所として訪れる人々を魅了します。
それにしても戦場ヶ原は遠方すぎます。中年の頃、金精道路を通って裏側から何度か訪れましたが、もうそのような元気もありません。そこでネットでその紅葉の情報を調べ以下に見ごろの時期と写真をあちこちからお借りして示します。
・上の写真出典は、http://nikkokouyou.web.fc2.com/2009kouyou.htmlです。
・上の写真出典は、http://jyokei.jugem.jp/?eid=195です。
上の写真出典は、http://www.sanyasou.com/nikko2/nik_at10.htmです。
以下の出典は、http://nikko.4-seasons.jp/special/kouyou2013/index.shtmlです。
紅葉スポット | 9月 | 10月 | 11月 | 地図 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
下旬 | 上旬 | 中旬 | 下旬 | 上旬 | 中旬 | 下旬 | ||
奥日光エリア | ||||||||
小田代原 【草紅葉】 | ||||||||
戦場ヶ原 【草紅葉】 | ||||||||
小田代原 | ||||||||
竜頭ノ滝 | ||||||||
湯ノ湖 | ||||||||
中禅寺湖 | ||||||||
戦場ヶ原 | ||||||||
いろは坂 |
今日、府中の森公園へ行った折りに公園内にある府中市美術館に寄りました。その一階で宮本和郎画伯の彩墨画の個展をしていました。
入場無料で5月6日までしています。
感動しました。正確な描線に淡い色彩が添えられ、素朴で暖かい絵ばかりです。静かで柔らかい光を放っています。
プロの画家には人々に迎合する部分を描きこむ人もいますが、宮本画伯はリンとして、そんな雰囲気がありません。徹底的に具象的に丁寧に描いています。
そして全ての絵が見てて気分が良くなるのです。嫌な絵が1枚も無いのです。
数十点の大作を見ながら感動しました。小野竹喬画伯が大好きな家内も「きっと性格の善い立派な方なのでしょう」と言っていました。
下に絵の写真を示しますが、宮本画伯の鮮明な絵画は「とんとん・にっき」http://ameblo.jp/tonton3/entry-11513885183.html に掲載されていますので、是非そちらをご覧ください。
宮本和郎:略歴
1936年、東京・日野市に生まれ、15歳より府中市に住む。東京藝術大学日本画科卒業。現在、日本美術家連盟、日本美術会、日本山林美術協会会員。公募展、グループ展に出品のほか、山形、群馬、東京、山梨、名古屋、大阪などで個展、企画展などを30数回。著書に画集「スイス・アルプス花の旅」「墨で描く基本」画文集「山里の彩譜」「四季の花」シリーズなど10冊。
・
・
尚、同じ美術館の2階では、5月6日まで、「かわいい江戸絵画」という特別企画展をしていました。入場料は700円です。「かわいい・・・・」なんて子供だましのような企画展の名前を見て、私はかんべんして貰いました。家内だけ見ました。
しばらくたって出て来た家内は、江戸時代の著名な画家のほとんどを網羅した絵画展で、予想以上に良かったと言ってました。蘆雪の象の背中、応挙の虎や狗、若冲の栗鼠などのユーモラスな動物の絵が多く、展示してあった絵画の質が良く、そしていろいろな画家の作品を167点を前後の2期間に分けて展示しているそうです。(http://ameblo.jp/tonton3/entry-11502136845.html)
私も見るべきでした。「かわいい・・・・」なんていう言葉を馬鹿にして残念なことをしました。
是非、こちらもご覧ください。(終わり)
日本の共産党が何故中国と友好関係があったかを知るためには、徳田球一の一生と1950年のレッドパージを知っておくと納得できます。
共産主義者の徳田球一は昭和2年に特高に逮捕され18年間刑務所にいました。敗戦とともに釈放され日本共産党の書記長になりました。
しかし解放後の昭和25年、マッカーサー司令部の赤狩り、「レッドパージ」に合い共産党は非合法化され、共産主義者は全ての職場から追放されたのです。
徳田球一は北京に亡命し、日本共産党の北京機関を組織し、日本共産党を存続させたのです。マッカーサーの「レッドパージ」は1952年5月の講和条約の発効で解除されますが、徳田球一は1953年に北京で客死しました。
日本の新聞と共産主義との関係の背景には「徳田球一」とマッカーサー司令部の赤狩り、「レッドパージ」の事を知っておく必要もあるとお思います。
そこで、それぞれのネット情報のURLを以下に示します。
徳田球一の一生:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E7%94%B0%E7%90%83%E4%B8%80
レッド・パージ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B8
今日、東京都区内で唯一の乳牛牧場を経営している練馬の小泉牧場の写真を撮って来たので以下にご紹介いたします。
この牧場はとても開放的で、何時行っても出入り自由です。牧舎の中まで行けるのです。
こんにちは!、写真を撮らせて下さい!と大声で言うと、ご主人の代わりにボスの牛が、モウと返事をしてくれます。
今日は子牛が2頭いましたので、まずその写真を撮りました。親牛の方は丁度、お昼寝タイムらしく、みんなゴロリと横になっていました。
いつも搾りたてのアイスクリームを売っている店にも誰も居ません。牧舎の牛たちだけが私の相手をしてくれました。のどかな午後のひとときでした。
兎に角、乳牛を40頭近く飼っていて牧場を本気で経営しているのです。詳しくは、http://www.agriworld.or.jp/agriworld1/tikusan/bokuzyo/ をご覧ください。
・下が大きい方の子牛です。生まれたての小さい方は暗い小屋の中だったので写真が撮れませんでした。
・
・下の写真の振り返っているボスの牛だけが私の話し相手になってくれました。
小泉牧場は、東京都練馬区大泉学園にある都区内唯一の牧場です。
小泉牧場を経営するのは、小泉興七(こいずみよしち)さんと息子さんの勝(まさる)さんです。
小泉牧場は、とても家庭的で、暖かい雰囲気の牧場です。
昭和10年に小泉藤八(とうはち)さんが小泉牧場を開業し、興七さんが、受け継ぎ、現在は息子の勝さんが経営の中心となり、約40頭の乳牛がいます。
今では、子供から大人まで多くの人が訪れ、牛乳の生産の場としてだけでなく、酪農体験、「食べ物」や「命」の教育の場としても親しまれ、地域のシンボル的存在になっています。
しかし、小泉さんによると、小泉牧場がここまで地域の人たちに受けいられるれまでには、多くの苦労があったそうです。
先生 ご無沙汰しております。ご紹介の薬は確かに効くようです。
家人も長年の腰痛で苦しんできました。最近はこの薬で皮膚のかぶれを起こしましたので、薬を変えています。科研製薬の貼り薬 アドフィード パップ40mgです。
この薬も有効のようです。「肉月に要」で腰とは上手く表現したもので、「要」ですから
快方に向かわれていくこと祈念致します。投稿 hoteisan2004 | 2013/12/12 11:48