今日はドイツの戦災の惨禍と冬のドイツの思い出を書いてみたいと思います。
さて伊澤孝平著、「そういう時代の旅と人」という本の69ページに書いてあります。
「ドイツへ行って沁々と感じたことは、戦争の惨禍ということである。
どんな犠牲を払っても、この地上から戦争を無くすることは、人類に課せられた使命であると思った。徹頭徹尾戦った国ほど荒廃している。風車が清流に影を浮かべているオランダの美しさ、豊かさと、ドイツの惨めさとを比較して特にそう思った。・・・」
著者の伊澤孝平氏はライン河に沿って、デュッセルドルフ、ケルン、コベルンツ、アルト・ハイデルベルヒ、シュツットガルト、カールスルーエと戦火に見舞われた街々を巡ったのです。
当時は戦後8年もたっていたのですが、街々にはまだまだ爆撃で破壊された建物が残っていたと書かれています。
その様子を、「大戦中のヨーロッパの写真」(http://www.inspiration-gallery.net/.../europe-during-ww2-38/)から下にご紹介いたします。
1番目の写真には米軍兵士が乗ったジープが写っています。
下の2番目の写真には爆撃でねじまがった橋を自転車とともに渡ろうとしている住民を米軍兵士が助けています。
このような時代がヨーロッパにあったのです。
2番目の写真は爆撃でねじまがった橋を渡ろうとしている住民と米軍兵士です。
そして著者の伊澤氏は戦争中には仙台市に住んでいたので「仙台の大空襲」を体験しているのです。1945年の7月10日にB29が百機以上来襲して仙台市を一挙に焼き尽くしたのです。私は高台から燃えさかる街々を長い間見下ろしていました。
さて私も1970年にシュツットガルトに家族と共に住んでいたのです。
ドイツは独特な文化を持っています。伝統を大事にし静かな思考を大切にします。街を歩くドイツ人は決してイタリア人のように陽気でありません。フランス人のようにお洒落をしません。何時も真面目で堅い雰囲気を持っています。
ドイツでの生活は1969年夏のにローテンブルグでの3ケ月間のドイツ語研修から始まりました。そしてその後、シュツットガルト市にあるマックス・プランク金属研究所で1年間の研究生活をしました。
3番目の写真は寒々とした冬のドイツの風景です。
4番目の写真は雪に覆われたドイツの古い町です。
5番目の写真は冬のシュツットガルト市の街路にたつ市です。近くの農民が作物を売っています。
私どもが住んでいたような古いアパートでした。墓地のそばにあり3階に住んでいました。家からは娘の行っていた小学校、息子の幼稚園はすぐ近くにありました。八百屋や花屋が近所にある住宅街でした。
ドイツの冬は暗くて寒いのです。その長い暗い冬を体験した結果、ドイツの文化を理解するためにはこの冬の厳しさを体験すべきだと思ったのです。
今日はドイツの戦災の惨禍と冬のドイツの思い出を書きました。シュツットガルトのマックス・プランク金属研究所で働いていた頃の思い出です。シュツットガルトはスイスに近い場所です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)