連日、各地で相次いでいる100歳以上の高齢者の所在不明問題で、実態がメデイアで報道されているが、あまりにも寂しい状況を聞いて、唖然とするばかりである。
百歳を超える長寿といえば、家族に囲まれて和やかに余生を過ごしておられるというイメージを描くのは、自分だけではないと思うが、今回の明らかになった事例では、家族は30年近くも所在すら確認していないそうだ。
同居しているか否かはあるだろうが、一般的には一緒に暮らしている筈の子供が、生存すら確認しないで放置されていたと聞いて、家族とは何なんだろう?と考えざるを得ない。
現在統計上では、百歳を超える方は、4万人以上おられ長寿社会と言われているが、こうした生存確認が出来ていない人は、報道によると少なくないようだ。
百歳超の方へのお祝い贈呈などで、形式的には確認されているようであるが、面会確認されているのは、あまり多く無いようである。
問題は、年金などが不正に受給されている疑いがあることである。
本来は、失踪したり何らかの事情で所在不明の場合は、捜索願など常識的には手続きが取られると考えるが、全くそれすら放置されて届けでもないとは、何らかの悪意が働いているとしか思えない。
法的には、死亡届や消息不明者については、現状届けが義務付けされている筈である。
親族や利害関係者が不在の場合は、戸籍上の手続きは何ら取られないままになっているそうで、今回の問題発生の原因も、その辺にあるのではないだろうか?
年金支給などは、長年にわたり公的資金を使うことでもあり、徹底した行政による強制調査が必要であると思うが、あいまいなまま放置状態にしてきた責任は大きいのでは?
さらに昨今は、家族の絆が薄れており 子供も親と生活を共にせず、安否確認も充分ではないケースが多くなってきたそうだ。
また、超高齢化社会の中で、それを支える地域社会の中でも、プライバシー問題も絡んで充分な情報が得られず、都会では高齢者の所在すら知らないケースが少なくない。
今後も少子高齢社会が進むなかで、高齢者が孤立していく傾向が進むと思うが、如何に家族と地域が出来る事を棲み分けていくかは、喫緊の課題となっている。
「長寿大国日本」の実態の裏側を魅せられて、高齢者の仲間入りをした我が身に照らして考えている。