NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」の放映以来、全国的人気スポットとなっている、柴田勝家とお市の方、お江ちゃん三姉妹のゆかりの地、福井「北の庄城址公園・柴田神社」などを巡り歩いてきました。
柴田神社は、ふるさと実家の近くにあることもあり、ふるさとに戻る度に必ず通っているが、1年ぶりに立ち寄り、北の庄通りから鳥居をくぐってみると、その変わりように驚いた。
というのは、決して広くない柴田神社境内の公園に、巨大なお城が目に飛び込んできて、「あれっ~いつこんなお城が出来たのだろうか」と、社務所に伺ってみました。
説明によると、市の観光プロジェクトの一環として、完成したばかりだったようで、翌日の夕方に竣工式を行いライトアップされるのだということでした。
納得して新装なった「北の庄城」を観てみると、5層天守閣を備えて強化ブラステイック製で、時代も近い丸岡城などを参考にして、設計されたそうで大きさは、4m×4m×5.7mHで中々の出来栄えで、瓦や塀などの細部にも繊細な工夫がされており、素晴らしい景観である。
敢えて言えば、小さな公園内のため、回りのビルなどの建物に取り囲まれており、今一、周辺との調和は良くなく、決して戦国時代のそれとは結びつかないのは、やむを得ないところだろう・・・・
残念ながらライトアップされた景観は観る機会が無かったが、暗闇に浮かぶ北の庄城は、幻想的な雰囲気が醸し出されるようだ。過っての北の庄城は、8年間で落城したそうであるが、この復元模型の北の庄城は、約2年間設置されているそうで、観光福井のシンボルとして発展に役だって欲しいと願うばかり・・・
北の庄城址公園は、「日本の歴史公園100選」にも選ばれていますが、園内には、勝家公の銅像をはじめ、お市の方や三姉妹の銅像が並んでおり、三姉妹の銅像も昨年訪れた時には無かったので、これもお江人気で新しく建造されたものではないかと思います。
三姉妹神社や稲荷神社を参拝して、拝殿に進み本殿に参拝するが、福井地震で焼失してから建て替えられたようで、あの勝家公やお市の方を祀るにふさわしい風格を感じていた。
境内には、発掘された石垣などの遺構が保存されているが、この辺には江戸時代の福井城の日向門があったところだそうです。
隣接する資料館には、勝家の偉業などが紹介されており、いにしえのふるさとの栄枯衰勢を感慨深く学ぶ機会となりました。
また、資料館の裏庭には、石庭がありますが、勝家とお市の方が詠んだ辞世の句の石碑があります。
勝家公は、 『夏の夜の 夢路はかなき あとの名を 雲井にあげよ 山時鳥』 と詠み、「夏の夜のように、短くはかない私の名を、あとの世まで 伝えておくれよ 山ほとぎす」と心の内を詠ったそうです。
一方、お市の方は、「さらぬだに うちぬるほども 夏の夜の 夢路をさそう 時鳥かな・・」と詠んで、「夏の夜のほととぎすの鳴き声が、別れの悲しさをさそっているように聞こえる・・」と、これも悲しい心の内を詠まれたのだろう。
2人の命日である4月24日には、北の庄城址周辺には、ほととぎすの鳴き声が止まないと伝えられているようである。
ふるさと福井を起こした戦国武将のゆかりの地を想いながら、さらに次の歴史のみちを歩んでいた・・・・