前日の北の庄城址公園・柴田神社に続いて、この日は、最近整備されている「福井・歴史のみち」の案内に沿って、福井城址から足羽川、左内公園、西光寺、藤島神社、足羽神社など福井の歴史や文化に触れながらの散策を楽しみました。
ホテルを出て直ぐ近くの市役所前には、かっての福井城郭の石垣に使われていた石材が並べられており、石に彫られているマークには福井城の昔の微かな面影が残されていました。
福井城址の御本城橋を経て城内に入ると、福井城を築城した結城秀康の白い石像が迎えるが、城址内は城郭と天守跡を除いて殆ど残されているものはなく、県庁や県警の関連施設のみで面影はなし・・・
お濠沿いの遊歩道に戻り、御本丸緑地の内堀公園には由利公正と横井小楠の「旅立ちの像」、中央公園には「岡倉天心像」など福井の歴史に貢献した偉人の功績に触れながら、お濠を一回りしてみたが、石垣の上の桜が咲くころは、絶景が見れるのではと期待しながら 変貌しつつある福井でも唯一余り変わらない懐かしい濠端の光景が見られていた。
足羽川堤防に出て、桜橋をへて左内公園に移動すると、ここにも幕末の福井藩士として松平春嶽の右腕だったと言われる橋本左内像があり、福井の発展に寄与した偉人の一人だったようで、現在の世相を考えながらこのような偉人が出れば、国難を救ってくれるのではと想いを抱いていた。
さらに、近くにある柴田勝家とお市の方の菩提寺である「光明院西光寺」に向かったが、あの柴田勝家を祀るお寺として大きなお寺かと期待していたが、ひっそりとしたお寺で、二人のお墓も北の庄の礎石と並んで、脇道路に佇んでいました。
資料館も併設されていましたが、残念ながら開館前でしたので、次のお市の方の菩提寺の「自性院」へと向かった。「自性院」は、お市の方の院号である『自性院微妙浄法大姉』に由来して改称されたそうで、静かに境内の隅に墓石が建てられていました。
本堂の「寿薬師堂」は、閉じられていましたので拝観は出来ませんでしたが、見どころが一杯あるとご近所の方に勧められていた。
続いて近くの木田神社に参拝していたが、同じ境内に隣接してあの陰陽師・安倍晴明の「晴明神社」が鎮座しているのに気付き、早速ご利益にあやかるべく参拝し、「願い牛」にも触れながら健康を祈願した。
夏の日照りも強くなり暑さも厳しくなっていたが、足羽山へと移動して緑に覆われた参道の階段を駆け上がり、藤島神社に到着して参拝した。あの鎌倉を攻め落とした新田義貞公を祀る神社として、別格官幣社ともなっており風格を感じているが、丁度訪れた4日前の、義貞公の命日である25日に例大祭が行われたばかりでした。
さらに三段広場の頂上に立つ継体天皇像へと駆け上がってみると、この日も福井平野を見下ろしながら、福井の平和と発展を見守っている変わらぬ姿がありました。
続いて継体天皇をご祭神とする越前の祖神である「足羽神社」へと歩を進めて参拝してから愛宕坂を駆け下りて足羽川へと戻ってきた。
桜の名所でもある足羽川堤防道は、桜緑道のトンネルとなっており、涼しさを感じながら九十九橋へ辿り着いたが、この橋は、案内板によると、柴田勝家が架けたという半石半木の奇橋だったそうで、明治時代には木造の弓型構造のメガネ橋となり、その後昭和に入ってモダンな鉄筋コンクリート造に架けかえられたようです。
九十九橋の欄干には、柴田勝家の家紋が付けられており、福井の歴史を刻んだ名橋となっている。
福井育ちの管理者にとって、「歴史の散歩みち」は格好のふるさとの歴史と文化を学ぶ機会となり、改めてふるさとを想う楽しいお散歩となっていた。