先日、横浜市民ギャラリーで開催されている知人の水彩画教室の展示会の案内を受けて、関内の市民ギャラリーへ出かけ、その後久し振りに伊勢佐木町から馬車道を散策してきました。
水彩画展では、ベテラン画家の素晴らしい作品約120点が展示されており、ベテランらしい画風の画が多く、風景画や静物画に約1時間何回も回って見せてもらい、会場におられた出品者と水彩談義をしていたが、会員の方はやはりベテランの方が多いようだった。
ギャラリーを出て「イセザキ・モール」へ出てみると、丁度「お三の宮日枝神社」の例大祭を迎えており、前座である「火伏神輿行列」が行われる直前でした。
イセザキ・モールには、もう何年も訪れていないが、久し振りに2丁目までぶらりと歩いて見ると、松坂屋もすでに閉店されており みなとみらい(MM21)の開発とともに忘れがちとなっており、過っての歓楽街の面影はなかったが、緑の街路樹は昔のままでした。
本部前には、豪華な大神輿も飾られており、「かながわまつり50選」にも選ばれているそうです。係の方に伺うと、「火伏の神輿」は、災難除けの神輿とも言われており、今年は「火伏神輿」を前面に出してアピールしているそうです。
行列は、勇壮な神輿とは異なり、雅楽の演奏に先導されて白装束の担ぎ手に担がれて、厳かに進行していました。
神輿を見送ってから、いろいろな日本で初という発祥の地がある「馬車道」へと移動して、記念碑などを見ながら、のんびりと歩いて見ました。
馬車道の入口であるJR架線橋の脇に、かって「カネ(鉄)の橋」と言われた吉田橋の記念碑があり、日本で初の橋脚の無い橋だったそうです。
馬車道に入ると美しい街路樹が続いていますが、これも日本初の近代街路樹の発祥の地だそうで、美しい馬車道の景観があったとかで、その面影が残っていました。
さらに次の筋には、「太陽の母子像」がありましたが、これもこの地に日本で初めてアイスクリームを販売した記念に建てられたものだそうで、文明開化のシンボルだったのだろうか?
さらに、関内ホールの前には、日本に初めてガス灯が灯った発祥の地で、記念のガス灯やレリーフがありますが、馬車道商店街は相応しい美しいガスの街路灯が並んでいますが、これも当時のガス灯を復元したものだそうである。
また、馬車道には、近代建築が沢山残っておりスケッチポイントとしても有名で何度も描いているが、代表的なものは、県歴史博物館(旧横浜正金銀行)や現日本興亜火災横浜ビルなど馬車道の顔としてシンボルタワーが多く存在しています。
今も、ジャズが流れて異国情緒が味わえる街として、横浜が歩んだ歴史が薫る街として、みなとみらい地区と対照的な素晴らしい文化街で管理者が最も好みのストリートでもあります。
その昔、横浜港開港当時には、港と外国人が住む関内を結ぶ道路として乗合馬車が唯一の交通手段だったようで、牛馬の水飲み場も残されているが、名前の由来にもなっているようだ。