65回目の終戦の日の朝は、猛暑と窓に貼りつく蝉の鳴き声に起こされて迎えていた。
昨日から、テレビなどメデイアも、この日を迎えて特別番組で、歴史や戦争の悲惨さを伝えており、遅くまで見ながらあれこれと想いを馳せていた。
報道を見る限りこれから日本を背負う若者は、余り第2次世界大戦の事実については、知らないのが多いようだ。
戦中派の我々は、これまでもその戦争歴史や戦中・戦後の生活経験から、当然のことながら知るところも考えるところも多く、家族でも機会ある毎に経験談を語り聞かせているつもりであるが、これも関心が無いと聞き流しで終わることが多い。
我々世代は、経験の上に事あるごとに両親などから聞かされていたので、それなりに関心も高く、資料などから学んだことも多いと思う。
自分も小学入学前の幼心に記憶しているが、空襲に見舞われてあの焼夷弾の雨は、鮮烈に目に映っており、家族やご近所の方と10人が防空壕で辛うじて生き存えていたのだ。
そんな戦中・戦後の生活ぶりは、現在では想像を遥かに超えるものであるが、時代と共に風化させること無く、後世に伝えながら二度と繰り返さないために、如何に生きるかを考えていかねばならないのである。
そんな想いを持ちながら、今年はテレビで戦没者追悼式の模様を見ながら、改めてあの戦争により犠牲となられた方々のご冥福を心より祈り護国のために尊い命を捧げられた英霊に慎んで哀悼を示していた。
そんな中で、菅総理はじめ全閣僚や政務官は一人も靖国神社への参拝をしなかったと、報道されているが、異例のことだそうで誠に残念である。
これまでもA級戦犯との合祀問題や、中国・韓国など近隣諸国に配慮して公式参拝を自粛するというのは、これまでの政権でも見られていたが、これでは戦没者は浮かばれない・・・
いろいろな歴史観があり多くの議論がされてきているが、尊い命を賭けて護国のために戦った御霊には理屈抜きで日本人として哀悼の意を表すのは、当然のことであると考える。
今日の日本の平和は、戦没者の犠牲の上に成り立っていると言っても過言ではないと、考えている。
今、この国の危機的状況の中で、国を守るために尊い命を失った英霊に敬意を払い、改めて毅然とした態度で国の再生に向けて、立ち上がる姿勢を示すときだと思っている。
既に戦後処理の終わっている近隣諸国への配慮は、これからも外交努力や経済協力で努力して行けばよいと思う。
今こそ、英霊や先祖に感謝して、国を守り発展させる決意を示すときであると思う。