MR.コールマンの挑戦日記

セカンドライフを迎えて趣味のランニングや街歩き、スケッチ水彩画、地域活動などの日常のあれこれを綴っています。

ぶらりジョグ~湘南辻堂海岸

2011年09月13日 | ジョギング

今日も朝から残暑とは言い難い真夏のようなギンギラギンの陽が射していたが、勇気をふるって引地川の「川べりの遊歩道」を経て辻堂河岸へ走った。

途中の田園では、刈入れが始まっており刈り込みの終わった田圃には、鳩や雀の大群が落ち穂拾い?を狙って群がっていたが、秋の風景が拡がっていた。

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海岸に着いてみると、この日の江の島も朝日を浴びて青い空・青い海の中に浮かぶように美しい姿で迎えてくれ、鵠沼海岸にも多くのサーファーが集まり、夏を過ぎた光景が見られていました。

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しばらく「砂浜のみち」を走ってから、砂浜へ降りて波打ち際を歩いていると、サーファーにとっては絶好の波が立っていたようで、しばらく寄せては返す白波の美しさに見とれていた。

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富士山も微かに山頂を見せており、青い空の向こうには烏帽子岩の姿も見えて、実に爽やかな海岸風景が見られていた。

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砂浜は、いつもきれいにクリーニングされていますが、突然 漂流物なのだろうか?巨大な冷蔵庫が砂浜に転がっており、あり得ない光景が見られたが、まさか津波で流されて湘南にたどり着いたのだろうかと?驚きの光景だった。

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また、この日は、数人の投げ釣り人が釣りを楽しんでおられ、ベテラン釣り人に聞いて見ると湘南海岸は投げ釣りの発祥の地だそうで、ベテランでは150Mから200Mも遠投されるそうで、白キスが釣れるのだそうだ。

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この日の収穫である3匹のキスを見せてもらったが、多いときは20、30匹が釣れるそうで、やはり釣り竿やリールの性能とともに、テクニックが左右するそうだ。

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リールも見せてもらったが、何とあのバイクパーツ専門メーカーのSHIMANO製で、やはりリールや竿の性能によって成果も違うそうで、想像以上のスポーツの世界でした。

茅ヶ崎海岸を折り返して辻堂海浜公園に戻り一休みして家路についたが、過ぎゆく夏を惜しみながら真夏の浜辺のジョギングを楽しんだ。

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スケッチ散歩~平塚八幡山

2011年09月12日 | 水彩画

からりと晴れ渡った秋空になり久し振りに仲間と平塚八幡山へスケッチに出かけてきました。

平塚八景の八幡山公園にある明治時代の西洋館「八幡山の洋館」は、歴史的建造部物として国の有形文化財に登録されており、その優雅な姿はスケッチ対象としては、一度は描きたい誘惑に駆られる名スポットである。

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この洋館は、案内書によると日露戦争時に平塚に設置された火薬製造所のイギリス人の執務室や住居だったものを、横浜ゴムが払い下げを受けその後、平塚市に寄贈してこの公園に移設復元されたそうです。

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外観はレトロな感じは無いが、屋根上のシンボル塔や窓の造りなど非常に木造建築の優しさを取り入れられたデザインは、実に優雅で秋の陽を受けた光と影の景観は、筆舌しがたい魅力がありました。

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午前中は、隣の八幡宮側の大きなクスノキの木陰から洋館の最も美しいサイドを描いていたが、気温は高くても秋風が通り抜けて爽やかな空気の中で筆を走らせていた。

洋館が醸し出す柔らかい雰囲気の表現が難しく苦労していたが、久し振りのスケッチを楽しんで満足していた。

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午後は、公園の西から再び緑に囲まれた洋館の遠景に挑戦したが、大木の向こうに輝く洋館はとても火薬製造所とは結びつかない景観で、現在は演奏会やコーラスの発表会などに利用されているようで、文化施設となっているそうです。

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この日は、休館日でしたので内部には入館できなかったが、以前に入館した時は、古い調度品やソファーなどが保存されており、憩いのスポットとなっていました。

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描き上げてから、平塚のパワースポットである八幡宮に参拝して境内を散策してみたが、訪れる人も無く静かな境内でしたが、応神天皇や神功皇后、武内宿禰を祀る由緒あるスポットでした。

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また、拝殿前には諏訪社・若宮社・神明社の三社があり、それぞれ建御名方神、仁徳天皇、天照大神・徳川家康を祭神としているそうで、パワーの強さを感じていた。

久し振りのスケッチ散歩でしたが、期待以上の素晴らしい秋空の元でしたが、筆の歩みは相変わらずの足取りでした・・・・

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地域スポーツ交流試合・ソフトボール大会

2011年09月11日 | 地域活動

スポーツの秋を迎えたかと思いきや、今日も30度を超す真夏日となっていたが、地域スポーツ振興と地域間の交流を目的とした、社会体育振興協議会(社体協)主催の自治会対抗のソフトボール大会を開催した。

年会事業の中で、男子の種目としては、最も多くの参加者のある大会として力を注いでいるが、わが地域も例外ではなく高齢化が進む中で、参加者が現象傾向にあることは否定できないが、この日も秋晴れの好天気に恵まれて、6自治会で約120名の参加があり、面白いゲーム展開もあり盛り上がっていた。

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参加チームの中では、ようやくメンバーが揃ったチームや二世代のファミリーを交えての老若メンバーで望むチームなど いろいろチーム編成に苦労されたチームも見られたようでしたが、珍プレーありファインプレーありで最後までハラハラドキドキの展開もあり楽しむスポーツを満喫していたようだ。

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応援団も自治会のご近所や我が子、我が夫、我が父を応援するファミリーなどが多く、最後まで盛り上がり、評価を高めたお父さんや、何やってんのよ~と叱咤される光景など熱い声援が続いて家族の交流もあり、日頃少ない家族交流の場にもなっていたようだ。

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決勝戦では、ラグビー試合のようなスコアを記録しての熱戦が続いていたが、実態は一日3試合をこなして身も心も疲れ果てての展開だったようで、途中タオルが投げられても可笑しくないゲーム展開だったようだ。

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この日の天候も絶好の秋晴れかと期待していたが、真夏のような炎天下の試合となり、途中でグランド一杯にスプリンクラーで水撒きを行い、熱中症などに万全の注意を払っての振興させていたが、最後にはどの選手の顔にも疲労感が現われて、勝負はどうでもいよ~と顎が上がっていたようだ。

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午後には、真夏のような空に珍しい姿の入道雲があちこちに見られて、その雲の動きに注目していたが、大きな空の元でいろいろなアニマルの追っかけを見ているようなワンダーランドの世界を覗くようだった。

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散会の後は、各自治会とも一杯やって盛り上がるようですが、夏空の下で「スポーツの秋?」を堪能して、スポーツを通じて地域コミュニケーションが図られる機会となっていたようだ。

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救急フェア2011&健康つくり推進

2011年09月10日 | 地域活動

救急の日(9月9日)を迎えて今年も一般市民を対象にした「救急フェア・2011」が、秩父宮体育館のメインアリーナで約300人が参加して開催され、地域の方々と参加してきました。

このフェア・大規模救命講習は、市の消防本部の主催で毎年行われているが、今年は東北大震災や大雨洪水などの災害が相次いでおり、各自治会の自主防災会や養護施設の看護師、一般市民などの関心が高く、例年以上の参加申し込みがあったそうです。

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大規模災害を問わず、日頃は身の回りで万が一の事故や病気が発生することもあり、救急車が到着するまでの僅かの時間が、生死を分ける大切な時であり、救命救急の術を会得することの重要さを多くの人が感じているようです。

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管理者は、毎年プール監視指導員として救命講習を受講しており、救命救急士の資格を得ているが、毎年救命処置の内容の一部が変更されており、関心を持って聞いていた。

この日も、消防士や救命普及推進会の講師から、各グループ毎に発見からの初動対応や人工呼吸法、心臓マッサージ、AEDの使い方など詳細に説明があり、全員が真剣に実施訓練を行っていたが、見るとやるのとは大違いで、実際に現場での対応が問題なく出来るだろうかと不安にかられる様子がうかがえられた。

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救命率を向上させるには、「早い通報」「適切で速やかな救命処置」が大切で、誰もが救命に関する知識と技術を共有し合うことを寛容であることを学んでいた。

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また、この日は別の会場で、今年度の体力つくり運動推進功労者の表彰式が行われたので、推進団体を代表して列席してきました。

今年度は、各体育協会と体育振興協議会から33名の功労者が表彰されましたが、長年に亘り地域へのスポーツの普及・推進に尽力された方々で、その知識や実践行動が多くの市民のスポーツライフの向上に寄与された功績は計り知れないものがある。

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我が藤沢市は、昨年市制施行70周年を迎えて「私たちの藤沢、健康都市」を宣言しているが、生涯を通じた健康つくりと地域の活力ある街づくりの推進役を長年務めておられ、改めて敬服していた。

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ぶらりジョグ~大庭御厨

2011年09月09日 | ジョギング

ようやく朝晩は涼しさを感じて気分よく走れるようになり、この日はホームコースの引地川親水公園から大庭神社など大庭御厨エリアの田園風景を楽しみながら朝ランを楽しんできました。

親水公園へ向かう途中の舟地蔵交差点で、北条軍が大庭城を攻め落とした時に殺されたという老婆を弔って作られたという伝説が伝わる「舟地蔵」では、今日もお水やお花をご近所の方に声掛けられて、テンションがハイとなっていた。

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親水公園の湿地帯には、群生するガマの穂がしっかりと褐色に色付き雄花を呼びよせているようで、開花も間もないようで、着実に秋の風を感じるようになっていました。

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今日は、親水公園から大庭御厨のシンボルでありパワースポットでもある大庭神社へと百段坂を駆け上がり久し振りに参拝したが他に参拝客もなく、境内の建造約60年という古い梵鐘を突いてみたが静かに大庭一帯に音が響き渡り、わが身も洗われるような気分となっていた。

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大庭神社の別当寺であった神社裏にある成就院へと回ってみると、丁度朝のおつとめちゅうでしたが、藤沢では珍しい「愛染明王」を本尊としているそうで、愛を成就する守護神とも言われており、多くの老若男女が訪れているようです。

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また、境内には椿の古木から彫られたという鶴・亀の姿の縁起彫刻が鎮座しており、寺の名物ともなっています。

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朝の陽も通らない鬱蒼とした竹林を抜けて引地川遊歩道へと向かうが、ここでは蜘蛛の巣や藪蚊?に見舞われて、かろうじて脱出して親水公園に戻って汗滴る肌に纏わる蜘蛛の巣を払うのに一苦労していました。 

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親水公園に戻ると、今日もワンちゃん散歩やジョグを楽しむ人達と声掛けあいながら、引地川上流の聖ケ谷、権現庭方面へと向かうと美しい田園風景が拡がっていた。

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この地域は、藤沢では周辺の景観とマッチしてもっとも田園風景が美しいところで、秋の刈入れ収穫前にはパッチワークを描くような美しさがあり、特にこの一角は珍しい黒米を生産している田圃で、しっかりの稲穂が実っていました。

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しばらく先に進むと、田圃の脇に雀の大群が稲穂を狙っており、案山子を横目にしてせせら笑うように、刈入れ間近い稲穂を襲っていましたが、対応する術も無く茫然と眺めて立ちつくしていた。

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さらに天神方面に向かうと、横浜への導水管の脇の小高い丘に駆け上がると、小さな祠の「熊野権現堂」があり、石碑の案内によると、小栗半官の子がこの地で襲われ照手姫に助けられたと記されていますが、この地を訪れる人は恐らく殆どいないのではと思われる故事・伝説の地でした。

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しばらく引地川上流の天神町までジョグって引き返してきたが、親水公園にはいつ戻ってきたのだろうか?姿を消していたカモの仲間たちが水辺に姿を現わしており、大庭御厨の自然豊かな秋の風景をたっぷりと味わった朝ランを終えた。

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ぶらりジョグ~里山

2011年09月08日 | ジョギング

今週に入っても真夏日が続いているが、先日までのようなじめじめした蒸し暑さが消えて、カラッと爽やかさを感じる晴天となり、いよいよラン・シーズンが来た~と実感できる数日である。

今日は、小出川周辺から茅ヶ崎里山方面へと向かい、田園風景を楽しみながらのジョギングとなったが、周辺の田畑には収穫時期を迎えたオクラの花と実が咲き誇り、秋の色合いを感じていた。

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途中、懇意にしている果樹園に立ち寄り、園内を案内されて見せてもらったが、あの藤沢生まれのぶどう「藤稔」や「竜宝」に代わって、シナノスマイルや翆峰が旬の時期を迎えているそうで、今年は水不足で苦労したそうですが、甘味の強いいい葡萄が獲れたと喜んでおられた。

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今は、梨の豊水や秀玉が甘味が乗ってきて大玉の収穫が期待できると、一つ一つの玉を見せてもらいまたの訪問を約して、小出川へと走りだしていた。

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まもなく樹齢100年近い木々に囲まれた古民家を改造した食事処にある「水琴窟」に寄ってみたが、手水鉢からの滴の音が実に耳障りがよく、暑さをわすれる涼しげな音色を奏でていました。

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さらに、小出川沿いの田園地帯を走るが、まもなく刈入れ時を迎える稲穂が黄金色に色づいて周囲の緑と織りなすパッチワークの世界が拡がり、スズメ脅しの大砲の音が絶え間なく響き渡っていました。

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茅ヶ崎里山公園へと向かう谷戸には、夏を惜しむようにひまわりの大輪が見事な姿を誇っていたが、秋空に映えて王様のように君臨しているようである。

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里山公園内に入る途中に、近くの神社の神馬?が放牧されており、近づくと優しく首を振ってくれましたが、その姿が何とも神々しくその生い立ちは何だろうと聞いて見たが返事はありませんでした・・・・・ 

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竹林を抜けて一寸峠から公園内に入り、「子どもの村」や「山頂の村」のアップダウンの遊歩道を周回していたが、園内には木陰でお昼と摂る家族連れの姿が見られ、芝生公園には秋の風が吹き爽やかさを実感していた。

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公園を出て帰路には栗畑が多くありますが、着実に栗のイガイガが大きく膨らんでおり、大きな栗の樹の下には、数え切れない丸々と熟れた実が落ちており、秋の訪れを告げているようでした。

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「大きな栗の樹の下で、あなたとわたし 仲良く遊びましょう・・」と懐かしい歌を口ずさみながら幼い気持ち抱きながら、秋色を満喫したジョギングでした。

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ぶらりジョギング~江の島ダイヤモンド富士へ

2011年09月07日 | ジョギング

この日は、江の島からダイヤモンド富士が見れると聞いて、急遽朝ランを止め 夕方から江の島へのジョギングに切り替えて出かけてきました。

マイコースの引地川遊歩道を経て鵠沼海岸に着いて見ると、富士山方面にはやや雲がかかっていたが、夕陽に照らされた江の島は、朝の江の島とは全く異なる素晴らしい姿を見せていました。

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富士山の姿が現われるのを期待しながら片瀬西浜海岸を走っていると、マラソンシーズンを控えて、湘南マラソンまで2か月に迫っているので、調整ランに励む行き交うランナーの姿が実に多く見られていた。

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また、2か月に渡った海水浴シーズンもこの週末で終わったようで、海の家の撤収作業が行われており、あの喧騒のビーチの姿はなく、静かな浜辺にはワンちゃん散歩とサーフィングが見られるだけとなっていた。

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5時前に弁天橋に来てみると、こちらは江の島を引き上げる人よりダイヤモンド富士を観ようと、江の島へ向かう人が多く、人の流れが逆になっており、多くのカメラおじさん達が場所取りする姿もみられて、改めてダイヤモンドの魅力に驚きました。

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この日は、湘南のランドマークである江の島展望台の「シーキャンドル」が、鑑賞ポイントとして、営業時間が30分延長されているとも聞いたが、殆どの訪問客は江の島大橋や島の西側の富士山ビューポイントに集まっていたようでした。

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江の島アイランドスパの前で、5時過ぎから6時過ぎの日没を待っていたが、丁度富士山が見える方向には、奇妙な龍の形をした入道雲が前を塞いで富士山を隠していたが、この雲が江の島に縁のある龍にそっくりで、アイランドスパの龍のモニュメント・タワーと向き合うように対峙していた。

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日没前には、東浜方面にも夏の入道雲が湧きあがっており、北緑地公園から眺める景色も素晴らしく過ぎゆく夏の江の島を惜しむように、仲良しさんがベンチで肩を寄せ合う微笑ましい光景が見られていました。

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日没時間には、残念ながら龍雲は形は変えてはいたが、譲ることなく立ちはだかっていましたが、雲の向こうに沈む陽が雲の周りに描く光のアートは、二度と見られない素晴らしいものでした。

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日没直後に、島の西側のビューポイントに移動してみたが、こちらにも雲がさらに増えており、見物者もガッカリして引き上げていたようだ。

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また、シーキャンドル展望台を見上げると、ここにも多くの観客がおられたが、落胆の声が聞こえるようでした。

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島内を一回りして、龍宮・奥津宮・中津宮・辺津宮・弁天様のパワースポット巡りをしていたが、どのスポットにも若いカップル姿が見られて、賑わっていました 

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途中、マイアミ広場に立ち寄って喉をうるおし一休みしていたが、広場からの眺めも一大天文ショーが終わったように、夕闇せまる眺望でした。

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暗闇と化した島を離れて、鵠沼海岸プロムナードに来てみると、湘南海岸エリア一体に黒雲が覆いかぶさるようになり、今にも大雨が降りそうな雲行きとなり、急ぎ引き返して帰路に着いた。

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ホームコースの引地川では、朝ランとは遥かに多いランナーが走っており、今やシーズンを控えて皇居に劣らぬ湘南のランニングメッカとなっているようだ。

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ぶらりジョギング~目久尻川へ

2011年09月06日 | ジョギング

9月に入り秋のシーズンに向けて走り込み時期となっているが、連日の残暑続きとゲリラ豪雨のため走る時間選びに苦慮していたところ小雨模様ながら涼しさも感じていたので、久し振りの遠距離ラン(LSD)へと、目久尻川プロムナードへと向かった。

この日は、御所見地区の古道を経て目久尻川へと向かったが、途中 道祖神に出会い 見てみると「長後・用田・一之宮」と書かれており、その昔の大山道の分かれ道だったようだ。この藤沢北部エリアでは、特に多くの様々な道祖神が見られるが、歴史の深さを感じるところでした。

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目久尻川に出ると、昨夜までの大雨の影響だろうか、いつもより水嵩も多く清流のイメージではなく、濁流?に近い流れが見られており、綾瀬市の「市の鳥」カワセミが宿る川とも言われているが、その面影もなく それを知ってかいつものカメラおじさんの姿も見られなかった。

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また、春から行われていた護岸工事も終わっていたが、すっかり川の景観が変わっており、野鳥の姿も少なくなってしまったのだろうか?

用田からまもなく神崎橋の脇の古来の伝説が伝わる「川の駅・中将姫」に着くと、日曜にはフリマで賑わうそうですが、この日は人影も無く静かな夏の朝の風景があり、ふれ愛ステージ前の芝生に、唯一ハクセキレイ2羽が出迎えてくれました。

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しばし、休息して左岸の藤沢市側のプロムナードを進むが、舗装道ではないため雨にぬれた雑草が生い茂り、とても走れる状況ではなく、諦めてウオーキングで進むと、周囲に広がる田園地帯では、すぐにも刈り込みが始まるような稲穂が重く垂れており、愉快な案山子おじさんが見張っていました。

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その先には、カワセミに代わって、コサギだろうか群れをなして羽を休めていたが、近づくと一斉に飛び立ち、頭上を旋回して飛び去って行ったが、この日出会った唯一つの野鳥の群れでした。

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この頃から、雨脚が強くなっていたが、最寄りの吉岡山・済運寺に立ち寄ってみると、その案内板によれば、徳川家光の乳母であった春日局のゆかりの寺だそうで、大山詣での際の宿泊所ともなっていてその位牌も安置されているようです。

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さらに雨が強くなる中、せせらぎ広場を経て、この日の目的地である城山公園(早川城址)へと歩を進めて、公園内で雨宿りしながら一息ついていた。

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城山公園は、差ほど大きい公園ではなかったが、案内板の説明によると、鎌倉時代の御家人の居城だったそうで、堀や・土塁・物見塚等多くの城郭関連遺構が発見されて保存されている貴重な城跡で、管理者がホームコースとしている大庭城址公園と大変似ているようだ。

深い森に囲まれており、春には桜咲く芝生公園にもなっており、散策道をジョグって回ったが、ここでも降り続く雨の中で訪れる客の姿は見られなかった。

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園内の物見櫓跡には、家人の一族であった「東郷氏発祥地の碑」が建てられていましたが、あの海軍大将・東郷平八郎一族の発祥の地だったようです。

しばし、感慨に耽ってから東側にあるお濠の跡だったのだろうか、湿地園がありますが、雑草が生い茂っており、泥濘の道を散策してから公園を後にした。

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新幹線を超えて藤沢市に戻る頃に、ようやく雨も上がって暑さを感じることなく、道端に咲く花々に夏の終わりを感じながら、約20KMのLSDを終えて家にたどり着いた。

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世界陸上競技選手権~テグ大会

2011年09月05日 | スポーツ

韓国テグで開催されていた「世界陸上」が最終日を迎えて、注目の決勝レースが相次ぎテレビのLIVE放送に釘付けとなって観戦していた。

世界陸上は、2年毎に開催される陸上競技の祭典で、陸上競技ファンの管理者にとっては、オリンピックやWカップ杯以上に、目が離せない大会となっており、特に、マラソンや世界記録が期待される100M,200M短距離種目に注目していた。

前半は、残念ながらふるさとへの旅行日程と重なってしまい、録画などによって注目種目を追いかけていたが、もっとも期待していた女子マラソンでは、赤羽選手や尾崎選手などいずれもメダルに届かず、レースの駆け引きに負けていたようで、期待はずれに終わり世界のレベルとの差を見せつけられガックリでした。

男子ハンマー投げでは、期待の我が室伏選手が早々に日の丸を掲げて金メダルを獲得して、続く競技への期待が高まっていたが、あとの競技では何れも期待した選手が、ベスト記録(PB)にも届かなかったようだ。

また、今大会の驚きは、まさかまさかのハプニング続きで、あの世界最速男のウサイン・ボルトが、100Mのスタートでフライングをして一発即失格となっていたが、本人も納得しての退場姿には言葉も無かったが、0.01秒を争うレースでは、あのフライングも起こるべくして起きてしまったのだろうか?

短距離界のホープでアジアの短距離の女王である福島千里選手の活躍に最も期待をしてみていたが、期待通り100m、200m共にセミ・ファイナリストとなり、日本の短距離界では初めての記録だったようだ。ファイナリストには届かなかったが、ロンドン・オリンピックでは、更なる向上に期待したい。

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最終日のメインレースであった男子マラソンでは、過去の大会と比べると実力的にやや世界のレベルに見劣りがしていると感じていたが、中盤からアフリカ勢に着いていけずに差が拡がり、残念ながらメダルに届かず、かろうじて堀端選手が入賞すると共に、団体での2位獲得で日章旗が上がり「マラソン日本」の面目躍如となってホットしていた。

注目していた長距離10000Mや5000Mでも、王者ベケレが欠場して関心も半減していたが、我が代表佐藤選手も、最後は大差をつけられての15位の平凡な記録には、本人も納得していなかったようだ。

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さらに、最後の400リレーにも日本チームの活躍に期待していたが、ファイナルにも届かず、世界との実力差を実科せざるを得なかった。

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また、フィナーレを飾るファイナルレースの400mリレー決勝は、アメリカとボルトが率いるジャマイカとの一騎打ちに 世界中が最も注目していたレースだと思われるが、これまた想像を超えた展開となっていた。

レースでは、アンカーへのバトンゾーンまでは、期待通りの展開となり、ボルトの逆転の走りを期待していたところ、ここでも大ハプニングが起きて、アメリカがバトンゾーンで転倒してバトンが渡らず、イギリスはアンカーの4走がバトンを落として、あり得ない展開となり、ボルトの独走だった。

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さらにおまけが付いて、世界新記録となり場内は騒然となっていたようで、興奮のるつぼとなっていたようだ・・・・

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最終日だけでも、テレビ画面から離れられない素晴らしいレース展開だったが、競技場のスタンドは何故か空席が目立っており、世界の陸上競技に対する関心の差に何でだろう??と疑問が湧いていた。

また、TBSの独占放送となっていたが、他のテレビ局のニュース報道は遅く、TBSに遠慮せざるを得ないのだろうか?

また、メインキャスターは、いつものことながら、陸上経験者でもない織田・中井コンビであるが、人気取りが見え見えで民放放送のスポーツ番組への取り組み方に、疑問をもっていた。

【挿入写真は、テレビ画面から】

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私のふるさと福井のお気に入り

2011年09月04日 | うんちく・小ネタ

先日、我がふるさと福井を訪ねて短い4日間の滞在であったが、「福井ブランド大使」として、限られた時間の中で、天候にも恵まれて目一杯ふるさと福井の良さを再発見する旅でした。

福井に入ってすぐに最近の福井の情報を聞くべく 駅前の観光案内所を訪ねていろいろ福井の情報やイベントなどを聞き、資料等を貰って街歩きのプランを検討していたが、今年はNHKの大河ドラマ「江~姫たちの戦国」の放映の影響で、飛躍的に観光客が増えていると聞き、歴史散歩を試しての学びの時でもありました。

中でも、ふくいの豊かな自然や歴史に培われた町並みなどの優れた景観を「福井ふるさと百景」が選定されていると聞き、関連資料を見せてもらったが、懐かしい想い出のスポットが沢山選ばれており、改めて我がふるさとへの想いを強くしていた。

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特に福井市では、豊かな自然と歴史、文化の足羽山はじめ過って住みなれていたスポットが選ばれており、今回の歴史散策のきっかけともなっていました。

特に、「福井市民の誇り百選」では、歴史・人物・食・文化・景観の5つのジャンル別に選ばれていますが、今回訪れた一乗谷朝倉氏遺跡、福井城址、足羽神社、足羽川桜並木、柴田神社、足羽山公園、愛宕坂などは、全て百選の上位にランクされており、いにしえの文化が刻まれたページを堪能していた。

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人物では、「福偉神(ふくいじん)=福井×偉人」として、継体天皇・新田義貞・柴田勝家・橋本左内・松平春嶽の5偉人を祀るパワースポットの五社巡りをして、その偉大な功績を学び、「福」を授かってきましたが、福井の礎を築かれた偉人への感謝の念を抱く機会ともなっていた。

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また、食の部門では、誰もが認める越前ガニ・越前うに・甘エビ・越前おろしそば・コシヒカリ・もみワカメや数々の銘菓などが選ばれていますが、小さいときから体に覚えたふくいの食味は、忘れられないものであり、今回も旬の味を買い求めて帰って堪能しています。

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短い滞在でしたが、旧友との再会もあり充実した歴史と文化を学ぶふるさと旅でした。

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ふるさと福井散策~足羽山

2011年09月03日 | まち歩き

ふるさと滞在の最後のこの日は、ホテルを早朝に出発して、実家まで足羽山など懐かしいスポットを訪ねながら久し振りにジョギングで汗を流しました。

昨年も参加した「福井マラソン」のコースを試走しながら、途中から江戸時代の民家園が復元されている「おさごえ民家園」に着いた頃に、丁度日の出を迎え おさごえ峠からの朝焼けの空が実に美しい眺めでした。

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まもなく江端川を越えると、田園地帯に入り実りの秋を迎えて稲穂が頭をたれており、黄金色の絨毯が敷かれたように、美しい風景が拡がっていました。

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朝もやに包まれたファンタジックな雰囲気の中をゆっくりとジョグっていたが、まったく人影は無く、時折車が通り過ぎる位で、自然豊かな中を朝の新鮮な空気をたっぷりと体いっぱいに吸い込んでいるような幸せを感じていたが、稲刈りも近いのでしょう・・・

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実家に着いて一服してから、近くの日野川の堤防の遊歩道を走ると、朝日を浴びてケイトウやひまわりなど夏の花が美しさを競っており、ふるさとの風景が拡がっていました。

Himawari

再び折り返して田園地帯を走り、おさごえ民家園を経由して、足羽山公園へとつづら折りの道路を駆けのぼるが、深い森林の木漏れ日の中をステップを踏むと、蝉しぐれがシャワーのように降る注ぎ自然とテンションも上がっていた。

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足羽山には多くの古墳が点在しており歴史のロマンを感じる山として、ふるさと福井のランドマークとなっているが、朝の散歩コースとしても市民の憩いの場となっているようです。

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遊園地を過ぎると青空に延びる赤白のテレビ塔が目立っていたが、見上げるとさながら福井スカイツリーのようにデザインも美しい・・・これは案内板によると福井テレビの送信所でした。実は、さらに足羽山には、NHKやFBCなどの送信塔がありました。

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さらにその先には、仏舎利塔(福井平和塔)が朝日を浴びて輝いており、案内板の説明によると、「祖国日本の再建と世界平和を期して聖人の発願により出来たもので、内部には聖人がもたらした御仏舎利6粒が奉安されています」とあり、インドのネール首相より贈られた1粒も入っているそうです。

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何か国難に立ち向かう今の日本に力を与えて欲しいと参拝して、ステップを踏んで前日訪れていた足羽神社前からあじさいロードを経て、足羽川へと戻ってきた。

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ホテル近くの福井城址の濠端でダウンしていると、親子連れが方を抱き合い憩いを取っている姿に、疲れを忘れてふるさとの良さを感じていた。

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ホテルに戻ると、丁度この日に福井球場で我がジャイアンツがベイスターズとの公式戦があり、大型トラックに選手の道具が運びだされていたが、残念ながら選手に会えることは出来なかった。

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ふるさと福井の歴史散策

2011年09月02日 | まち歩き

前日の北の庄城址公園・柴田神社に続いて、この日は、最近整備されている「福井・歴史のみち」の案内に沿って、福井城址から足羽川、左内公園、西光寺、藤島神社、足羽神社など福井の歴史や文化に触れながらの散策を楽しみました。

ホテルを出て直ぐ近くの市役所前には、かっての福井城郭の石垣に使われていた石材が並べられており、石に彫られているマークには福井城の昔の微かな面影が残されていました。

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福井城址の御本城橋を経て城内に入ると、福井城を築城した結城秀康の白い石像が迎えるが、城址内は城郭と天守跡を除いて殆ど残されているものはなく、県庁や県警の関連施設のみで面影はなし・・・

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お濠沿いの遊歩道に戻り、御本丸緑地の内堀公園には由利公正と横井小楠の「旅立ちの像」、中央公園には「岡倉天心像」など福井の歴史に貢献した偉人の功績に触れながら、お濠を一回りしてみたが、石垣の上の桜が咲くころは、絶景が見れるのではと期待しながら 変貌しつつある福井でも唯一余り変わらない懐かしい濠端の光景が見られていた。

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足羽川堤防に出て、桜橋をへて左内公園に移動すると、ここにも幕末の福井藩士として松平春嶽の右腕だったと言われる橋本左内像があり、福井の発展に寄与した偉人の一人だったようで、現在の世相を考えながらこのような偉人が出れば、国難を救ってくれるのではと想いを抱いていた。

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さらに、近くにある柴田勝家とお市の方の菩提寺である「光明院西光寺」に向かったが、あの柴田勝家を祀るお寺として大きなお寺かと期待していたが、ひっそりとしたお寺で、二人のお墓も北の庄の礎石と並んで、脇道路に佇んでいました。

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資料館も併設されていましたが、残念ながら開館前でしたので、次のお市の方の菩提寺の「自性院」へと向かった。「自性院」は、お市の方の院号である『自性院微妙浄法大姉』に由来して改称されたそうで、静かに境内の隅に墓石が建てられていました。

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本堂の「寿薬師堂」は、閉じられていましたので拝観は出来ませんでしたが、見どころが一杯あるとご近所の方に勧められていた。

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続いて近くの木田神社に参拝していたが、同じ境内に隣接してあの陰陽師・安倍晴明の「晴明神社」が鎮座しているのに気付き、早速ご利益にあやかるべく参拝し、「願い牛」にも触れながら健康を祈願した。

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夏の日照りも強くなり暑さも厳しくなっていたが、足羽山へと移動して緑に覆われた参道の階段を駆け上がり、藤島神社に到着して参拝した。あの鎌倉を攻め落とした新田義貞公を祀る神社として、別格官幣社ともなっており風格を感じているが、丁度訪れた4日前の、義貞公の命日である25日に例大祭が行われたばかりでした。

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さらに三段広場の頂上に立つ継体天皇像へと駆け上がってみると、この日も福井平野を見下ろしながら、福井の平和と発展を見守っている変わらぬ姿がありました。

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続いて継体天皇をご祭神とする越前の祖神である「足羽神社」へと歩を進めて参拝してから愛宕坂を駆け下りて足羽川へと戻ってきた。

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桜の名所でもある足羽川堤防道は、桜緑道のトンネルとなっており、涼しさを感じながら九十九橋へ辿り着いたが、この橋は、案内板によると、柴田勝家が架けたという半石半木の奇橋だったそうで、明治時代には木造の弓型構造のメガネ橋となり、その後昭和に入ってモダンな鉄筋コンクリート造に架けかえられたようです。

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九十九橋の欄干には、柴田勝家の家紋が付けられており、福井の歴史を刻んだ名橋となっている。

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福井育ちの管理者にとって、「歴史の散歩みち」は格好のふるさとの歴史と文化を学ぶ機会となり、改めてふるさとを想う楽しいお散歩となっていた。

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ふるさと福井散策~柴田神社

2011年09月01日 | 旅行記

NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」の放映以来、全国的人気スポットとなっている、柴田勝家とお市の方、お江ちゃん三姉妹のゆかりの地、福井「北の庄城址公園・柴田神社」などを巡り歩いてきました。

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柴田神社は、ふるさと実家の近くにあることもあり、ふるさとに戻る度に必ず通っているが、1年ぶりに立ち寄り、北の庄通りから鳥居をくぐってみると、その変わりように驚いた。

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というのは、決して広くない柴田神社境内の公園に、巨大なお城が目に飛び込んできて、「あれっ~いつこんなお城が出来たのだろうか」と、社務所に伺ってみました。

説明によると、市の観光プロジェクトの一環として、完成したばかりだったようで、翌日の夕方に竣工式を行いライトアップされるのだということでした。

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納得して新装なった「北の庄城」を観てみると、5層天守閣を備えて強化ブラステイック製で、時代も近い丸岡城などを参考にして、設計されたそうで大きさは、4m×4m×5.7mHで中々の出来栄えで、瓦や塀などの細部にも繊細な工夫がされており、素晴らしい景観である。

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敢えて言えば、小さな公園内のため、回りのビルなどの建物に取り囲まれており、今一、周辺との調和は良くなく、決して戦国時代のそれとは結びつかないのは、やむを得ないところだろう・・・・

残念ながらライトアップされた景観は観る機会が無かったが、暗闇に浮かぶ北の庄城は、幻想的な雰囲気が醸し出されるようだ。過っての北の庄城は、8年間で落城したそうであるが、この復元模型の北の庄城は、約2年間設置されているそうで、観光福井のシンボルとして発展に役だって欲しいと願うばかり・・・

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北の庄城址公園は、「日本の歴史公園100選」にも選ばれていますが、園内には、勝家公の銅像をはじめ、お市の方や三姉妹の銅像が並んでおり、三姉妹の銅像も昨年訪れた時には無かったので、これもお江人気で新しく建造されたものではないかと思います。

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三姉妹神社や稲荷神社を参拝して、拝殿に進み本殿に参拝するが、福井地震で焼失してから建て替えられたようで、あの勝家公やお市の方を祀るにふさわしい風格を感じていた。

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境内には、発掘された石垣などの遺構が保存されているが、この辺には江戸時代の福井城の日向門があったところだそうです。

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隣接する資料館には、勝家の偉業などが紹介されており、いにしえのふるさとの栄枯衰勢を感慨深く学ぶ機会となりました。

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また、資料館の裏庭には、石庭がありますが、勝家とお市の方が詠んだ辞世の句の石碑があります。

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勝家公は、 『夏の夜の 夢路はかなき あとの名を 雲井にあげよ 山時鳥』 と詠み、「夏の夜のように、短くはかない私の名を、あとの世まで 伝えておくれよ 山ほとぎす」と心の内を詠ったそうです。

一方、お市の方は、「さらぬだに うちぬるほども 夏の夜の 夢路をさそう 時鳥かな・・」と詠んで、「夏の夜のほととぎすの鳴き声が、別れの悲しさをさそっているように聞こえる・・」と、これも悲しい心の内を詠まれたのだろう。

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2人の命日である4月24日には、北の庄城址周辺には、ほととぎすの鳴き声が止まないと伝えられているようである。

ふるさと福井を起こした戦国武将のゆかりの地を想いながら、さらに次の歴史のみちを歩んでいた・・・・

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