575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

姫女苑・姫女苑・姫女苑手の火傷あり  四ツ谷龍

2010年08月08日 | Weblog

四ツ谷龍さんは昭和33年生まれ。
俳句をひろく外国に紹介しているそうです。

この句、ある外国の詩人から、姫女苑は火傷の薬ですか?
と聞かれたそうです。
いや、そうではなく取り合わせの句ですと答えたとのこと。

西洋の人は詩も論理的に読もうとする。
因果関係を読み取ろうとするから、薬ですか?
という質問になる。

私も最初に取り合わせの句を
因果関係で読み解こうとして頭が混乱しました。

では、取り合わせとはどういうものなのか?
四ツ谷さんは、取り合わせには、余白が欠かせないと言います。

  鮎落ちてくるぶしは風過ぎにけり 田中裕明

この句は、
くるぶしを風が吹きぬけるという体感、と
鮎落ちる、という季語が
取り合わせてある。
ふたつを結びつける因果関係は当然ない。

では、なにで繋がっているのか?
余白がふたつをつないでいる。
余白とは虚無でなく、生きている空気のようなもの。

くるぶしを風が吹きぬけるという体感が
作者の意識を下のほうに向かわせる。
この「下へ」という意識が、
落ちる鮎というイメージを結びつける。

と書いています。
なるほど・・・・        遅足



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身じろぐや軋む木の椅子秋来る    朱露

2010年08月08日 | Weblog

    俳句は作ろうと思わないと作れない。
    所が作ろうと思い過ぎると作れない。
    どのくらい思えばいいか分からない。
    思うのをやめると元の木阿弥になる。

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