575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

希望があれば・・・     遅足

2015年10月19日 | Weblog
岩波新書の『生きて帰ってきた男ーある日本兵の戦争と戦後ー』を読みました。

この日本兵は、著者・小熊英二さんの父、謙二さん。
謙二さんは、大正14年生まれ。
東京で小さな商店を営む祖父の手で育てられます。
中学を卒業して就職。19歳の時に召集。満州へ送られて敗戦。
内地へ帰れると思った列車はシベリアへ。3年の抑留生活。

帰国してからも職を流転の人生、25歳の時に結核に。
療養所を退所した時は30歳。戦争と結核の20代でした。

この後も職を転々と変わります。そしてスポーツ用品店に就職。
折からの高度経済成長にのって、やがて自分の店を持ちました。

引退後は、アムネステイ・インターナショナルの会員。
「不戦兵士の会」への参加。戦後補償訴訟などの活動。
また、地域の自然保護活動などにも関わっていらした方です。

20世紀の日本の生き証人。著者は、最期に、こう問いかけます。
「未来がまったく見えない時に何が一番大切?」
しばらく考えたあとの答え。
「希望だ。それがあれば人間は生きてゆける」

              

シベリア送りになるとは思わず、列車に揺られて行った兵士たち。
人間は、最悪の状況でも希望的観測を持つものでしょうか。
人はなぜ希望を持てるのか?考えてしまいました。

私たちが娯楽として楽しんでいるドラマ、映画、小説など・・・
様々なバリエーションがありますが、結末はハッピーエンドです。
物語の底を流れているのは、同じメッセージです。
希望を持て。明日は良いことがある、と。

子供の頃から、無意識のうちに刷り込まれているもの。
これが危機的な状況の中で蘇ってくるのでしょうか?

人間がこころというものに目覚めたのは数千年前。
心を持つことの副作用も生じました。時には殺人といった暴走も。
その処方箋として登場したのが宗教。
釈迦や孔子は心をコントロールする術を説きました。
宗教が力を失った現代、代わりをつとめているのが
映画やテレビなどのエンターティメントではないでしょうか。

応答の一日一句

  銃口は国境に向く無月かな   孝

  子を想ふ二十四年の無月かな  亜子




コメント (1)
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