575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

米寿の会     麗

2016年03月10日 | Weblog
私の大好きな春を告げるシデコブシのピンクの花が咲き始めました。
まだまだ寒いけど春はもうそこまで来ていますね。

先日、なんとかインフルエンザも治り父の米寿を祝うため大阪に日帰りしました。
昭和3年3月3日。3のぞろ目でひなまつりの日が父の誕生日。祖母は絶対女の子と思って産んだそうです。
教育の道一筋で、おととしまで仕事を続けていました。
せっかちで不器用な父ですが、人一倍責任感が強く家族思いの父。今は母の介護を引き受けて家事もこなしています。
「お父さんが毎日介護をがんばっているのだからなんとかお祝いにかけつけたい」と私も病み上がりでしたが必死の思いで出かけました。
当日は暖かく、兄一家も勢揃い。総勢9人でお祝いの膳を囲みました。司会は私。兄のお祝いの言葉、夫の祝辞。

父は元学校長らしく長々と挨拶し「これまでの人生で一番大変だったのは戦争で家が焼けたことだった。」と
山あり谷ありの88年の人生を振り返りました。戦後の復興は教育しかないと思い教員となったそうです。
母に、お父さんに何か一言と催促すると「お父さんと私はもう一心同体だから。。。」と照れていました。

兄嫁の乾杯の音頭でにぎやかに楽しく食事会は進み、父は大好きなお酒を嬉しそうに飲んでいました。
みんなで寄せ書きした色紙を孫が代読しそれを渡すというセレモニーも終わり、なぜか一本締めまでして父の米寿の会はにぎやかなうちに終わりました。

去年の今頃は入院していた母も元気で容態が落ち着いていること、孫達が全員成人したこと、家族全員がそろったことが何より嬉しそうな父でした。

次の日、父からお礼の電話がありました。「あの色紙、リボンをつけて部屋に飾りました」と。
早春の嬉しい一日でした。お父さん、いつまでも元気で長生きして下さいね。


        早春の米寿の会は晴れやかに   麗
コメント (1)
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