先日、山口県の萩にいった時、句碑をみつけました。
作者は井上剣花坊。萩出身の川柳作家でした。
剣花坊は、萩から上京して日本新聞社に入ります。
丁度、子規らが俳句・短歌の革新に乗り出した頃。
編集長のすすめもあり、川柳の革新を志します。
そして、明治・大正・昭和にかけ活躍。
門人に大衆作家の吉川英治もいたそうです。
山口では、喧嘩っ早い人を「喧嘩ぼう」といい、
そこから「剣花坊」と名乗ったとか。
写真の句は、
後五百年凡駒生れて又千里
亡くなった昭和9年の正月の句で、辞世の句。
凡駒とは自分のこと。
五百年後によみがえって、また千里を走ると読めます。
仏教から引用した言葉のようですが、
浅学にして意味がよく分かりません。
冒頭の一句。
絶頂で天下の見えぬ霧の海
絶頂に立てば展望が開けるかと思いましたが、
霧の海で天下はみえない、といった意味でしょうか。
いま日本の絶頂に立つのは同じ長州出身の安倍さん。
本当に日本の百年後が見えているのでしょうか?
それとも霧の海のなかに立ってるのでしょうか?
遅足
作者は井上剣花坊。萩出身の川柳作家でした。
剣花坊は、萩から上京して日本新聞社に入ります。
丁度、子規らが俳句・短歌の革新に乗り出した頃。
編集長のすすめもあり、川柳の革新を志します。
そして、明治・大正・昭和にかけ活躍。
門人に大衆作家の吉川英治もいたそうです。
山口では、喧嘩っ早い人を「喧嘩ぼう」といい、
そこから「剣花坊」と名乗ったとか。
写真の句は、
後五百年凡駒生れて又千里
亡くなった昭和9年の正月の句で、辞世の句。
凡駒とは自分のこと。
五百年後によみがえって、また千里を走ると読めます。
仏教から引用した言葉のようですが、
浅学にして意味がよく分かりません。
冒頭の一句。
絶頂で天下の見えぬ霧の海
絶頂に立てば展望が開けるかと思いましたが、
霧の海で天下はみえない、といった意味でしょうか。
いま日本の絶頂に立つのは同じ長州出身の安倍さん。
本当に日本の百年後が見えているのでしょうか?
それとも霧の海のなかに立ってるのでしょうか?
遅足