575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

生きている生かされている生身魂  静荷

2017年10月24日 | Weblog
季語は生身魂。盆にかかわる季語で、長老をさします。
盆の間、生身魂と呼ばれて尊敬され、大切にされたそうです。
技術革新の速い時代には長老の出番はなく、
今は季語としてだけ残っているようです。

この句の生身魂とは、作者の義母さん。100歳を越えました。
嫁姑の戦いは停戦状態にはなく、嫁への悪口は衰えをみせないとか。
100歳を越えてりっぱに一人で「生きている」のです。
もちろん家族や介護の人などのお蔭で「生かされてもいる」わけです。
音としての「い」の頭韻も効いています。
ちょっとキャチコピーみたいですが。

私の父はよく「人は生かされているのだ」と言っていました。
浄土真宗の信徒でしたから、人様のお世話になっているという他に
「阿弥陀様によって生かされている」という意味だったと思います。
若い頃は「そうかな?」と、まったく関心がありませんでしたが、
齢を重ね、死が意識されるようになって、人間を越えた存在に
憧れる気持ちが湧き、父の言葉も少し理解できるようになりました。
人は自分の力で生きており、また生かされてもいる存在なんでしょうね。
                          (遅足)

こんな句も。

 生身魂ちつともじつとしてをらぬ  山尾玉藻


コメント
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