以前にテレビ番組の取材でイタリアへ行った時、コーディネーターで東大留学経験の
ある才女に 「 イタリア気質て一口で言って何ですか 」と聞いてみたことがあります 。
彼女は即座に それは 「 マンジャーレ 、アモーレ、カンターレ 」と言いました 。
日本でも沢田研二の同名の歌があるようです 。
確かに「食べること 」「愛すること 」「歌うこと」はイタリアのみならず、万国共通、
人間の欲望の的をよく突いている言葉だと思います 。
テレビ局在職中、「 そこが知りたい 」という情報番組を担当していた時、色々な話題を
取り上げた結果、悔しいことですが、食べ物と温泉を出せば視聴率が良かったことを
思い出します 。
私は今、腎臓病で厳しい食事制限をしているため、若い頃、好物だった食べ物は一切、
食べられませんが、夕方ニュースで美味しそうな鰻丼や色々なラーメンが紹介されると
食べられないのは わかったいるのに、ついつい見てしまいます 。
思えば 、テレビはこの3つの人間の欲望を満たすために腐心してきました 。
テレビ番組で「 アモーレ 」はドラマで、「 カンターレ 」は歌番組で、手を替え品を替え
放送してきました 。
情報番組や夕方ニュースは 「 マンジャーレ 」に目をつけ、これでもか これでもかと
人間の欲望をくすぐるような食べ物の話題を流すようになりました 。
食べて、しばらく経てばまたお腹が空いてくるという本能をくすぐるように、テレビで
何回、鰻丼やラーメンを見ても、その度に美味しいそうだと、つい見てしまう我が身が
不思議です 。
テレビ草創期、社会に大きな影響力のある 「 夢の箱 」だったものが、今では、「世相
に 媚びる 箱 」か 。
あまり、欲望を満たすことにうつつをぬかしていると、そのうち、気づいた頃には、
手遅れで報道の自由が更に縛られているかもしれず、心しておかなければいけないで
しょう 。
( これも、余計なお世話かもしれませんが、私は今もジャーナリスト桐生悠々を尊敬して
います 。)