575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

多摩川の 泥<こひぢ>照らすや 後<のち>の月   殿

2019年10月19日 | Weblog

「多摩川の 泥<こひぢ>照らすや 後<のち>の月」という句を詠みました。

「泥」「こひぢ」しかし、和歌では「恋路」という意も含んでしまいます。
上記の句の場合、「こひぢ」というルビを用いるべきではないのでしょうか?、と殿様から。




「泥(どろ)」を古語では「こひぢ」と読みます。
泥(ひぢ)に接頭語の「こ」がついたものです。

和歌の世界では、音が同じ「恋路(こひぢ)」にかけることが多いようです。
古語辞典を開けると、源氏物語のなかの歌。

 袖ぬるるこひぢとかつは知りながら降り立つ田子(たご)のみづからぞ憂き

(涙で)袖がぬれる恋の道と一方では知りながら、泥の中に踏みこむ農夫のように恋の道に踏みこんでしまう私は、わが身ながらつらい。

とありました。

この句は、恋の句ではありません。
しかし恋の句と読まれる可能性はあります。
私は良いと思うのですが、皆さんはどうお考えですか?

恋の道は泥道なんでしょうね?(遅足)
コメント
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