575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

「田舎巡りのおちゃっぴい」

2020年12月12日 | Weblog



五十嵐浜藻<いがらしはまも> 1772年 現在の町田市
に生まれ、幼児より俳諧師の祖父から俳句を学びます。
俳諧師である父と6年間の俳諧行脚を行い研鑽を積み
ます。1870年 「八重山吹」を刊行。残存する女性俳
諧連句集では最古の書籍といわれています。浜藻には、
生まれながらの環境だけでなく卓越した才能があった
ようです。父親の梅夫が刊行した「いがらし句合」に
掲載された少女時代の句。

「あきかぜや 手習いの墨 とくかわく」<浜藻>

浜藻は小林一茶との親交が深く、江戸蔵前での芝居で
は、文筆家の夏目成美の脚本の演出まで手がけるなど、
江戸時代の女性としては特筆すべき活動をしています。

34歳の時、6年間の吟行を行います。この間に交流し
た俳人は450人。そして、130巻の歌仙としてまとめ
ます。当時、来日していたオランダのシーボルトも浜
藻が女流俳人19人と詠んだ歌仙集「八重山吹」に注目。
刊行先の京都より取り寄せています。

「ほととぎす 近江の国が 啼きよいか」<浜藻>

実は、浜藻の人間像がわかりにくいため、文献を漁り
ましたが、一子誕生を祝う手紙があるだけで、既婚者
なのかもわかりません。幕末から明治の混沌とした社
会が、女性俳諧師の生きざまを閉じこめてしまった感。

「ふくらかに 桔梗のような 子が欲しや」<浜藻>

浜藻の友人たちの句から、人を惹きつける明るい性格
だったことは察することができます。おちゃぴいとは
歌舞伎の岩井半四郎が扮した町娘の意。この時、浜藻
は39歳です。しかし、見かけは小粋な下町娘といった
印象だったのでしょう。

「鶯や 田舎巡りの おちゃっぴい」<鶴老>

町田市の南大谷天神社の俳額は浜藻による奉納。五十
嵐浜藻。享年77歳。町田市の墓碑には句が刻まれてい
ます。

「やまざくら 見ぬ人のため *をしみける」<浜藻>*愛しい


写真と文<殿>

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