ほぼ二十年ぶりに俳句を作ったという容子さん。575の会に復帰してくださってありがとうございます。
お仕事が忙しく俳句とはご無沙汰だったそうですが、なんのなんの。この自由題の句には度肝を抜かれました。
5月という一年で一番いい季節だからこそ人には言えない哀しみというのがあるのでしょう。「喉元にいる哀しみ」とは想像するだに辛いですが、それがこの世にはあるのもまた事実。それでもなんとか踏ん張って皆生きていくしかありません。
作者の容子さんに句の背景を伺ってみました。すると、
「この春、実家にいる妹が体調を崩し、仕事を休んでいます。
シングルマザーで要介護の母の面倒も見ながら働いている彼女からは、
この10年ばかり厳しい言葉しか受けておらず、苦しい思いです。
言いたいことを飲み込む気持ちを表しました。
まずは少しでも元気になってもらいたく、最近、家の掃除を手伝ったり、母の相手をしています。
そんなことから自然と句を作りたくなりました。」ということでした。
私と同世代の容子さん。喉元にいる哀しみは介護にまつわるものでした。
いただいた選句のコメントをご紹介します。
郁子さん:喉元にじゅっと水っぽいものがこみ上げてくる子どものときの感覚を思い出させられた。小さいときは思い切り声をあげて泣けばいいが、大人になると押し込めてその感覚とともに日々を過ごすのですね。
能登さん:喉元に哀しみのいる この表現に脱帽。
童子さん、遅足さんも採られています。
★★★
1997年に出した575の会の句文集「馬耳薫風」の中に容子さんの俳句が見つかりました。
なぜだろう降りかかる雪のあたたかき
また、2001年の晩餐句集2の中には、こんな句も。
春時間恋の時計のねじを巻き
埋められぬ隔たりあるや送り梅雨
どれもいいですね~。25年前にこんな素敵な俳句を作っておられた容子さん。安田屋さんでの夜の句会、懐かしいです。半世紀の沈黙を破ってこれからどんな俳句を作ってくださるか、とても楽しみです。麗子