575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

街燈は夜霧にぬれるためにある     渡辺白泉

2012年08月26日 | Weblog
最初、この句を読んだ時は、??でした。
街燈は町を明るくするためにある、はず。
夜霧に濡れるためにあるの?理屈っぽくて・・・。

そうか!と分かったのは、最近のこと。
作者は、霧の夜の街燈を見て、その美しさにココロを奪われた。
それを表現するレトリックが「ぬれるためにある」だったのです。
理屈のロジックを詩的に使ったのでしょう。

  鶏(とり)たちにカンナは見えぬかもしれぬ

同じようなレトリックですが、これは未だ??です。

                    遅足

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