この句は類想句という問題で有名になった句です。
じつは性愛を詠った句だったと知ってびっくり!
櫂未知子さんの句集のなかでは、こんな句のなかに
置かれています。
薔薇色の肉を手渡す夜の秋
いきいきと死んでゐるなり水中花
わたくしは昼顔こんなにもひらく
舐める噛むしゃぶる吸ひ込む天高し
野火果ててふたつの鼓動だけの夜
啓蟄をかがやきまさるわが三角州(デルタ)
致死量のことば頂く良夜かな
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_love.gif)
近代以降、性愛を、俳句で積極的に詠んだのは、日野草城でしょう。
新婚の初夜を詠ったミヤコホテル連作はさまざまな反響を呼んだそうです。
春の灯や女はもたぬのどぼとけ 草城
これも一度読んだら忘れられない句です。
しかし、それから俳句で性愛が詠まれることはあっても、
主流となることは無かったと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_do.gif)
全存在として抱かれいたるあかときの
われを天上の花と思わむ 道浦母都子
鋭い声に少し驚く
きみが上になるとき風にもまれゆく楡 加藤治郎
性愛を積極的に詠ったのは、短歌の世界でした。
多分80年代だったと思います。
それから、少し遅れて、俳句の世界にも性愛が登場したわけです。
俳句も、確実に、新しい時代に入ったと思わざるを得ませんね。
好き嫌いは別にして。
日本文学の一番豊かな遺産である恋の歌。
俳句ももっと恋を詠むほうが良いと思っています。
句品の輝き(坂口昌弘)より引用 遅足
数の核カオスで綴る水中花