この句は様々な鑑賞があります。
普通に読めば、目の前には、松があり、
その松は桜の花よりも、もっと朧ですよ。
という意味になります。
花が眼前にあるという読みもあって、それですと、
花を見ながら、イメージのなかの辛崎の松は
花よりも朧ですね。
という句になります。どちらにも読めます。
分からないのは松が朧というフレーズです。
これは芭蕉の時代の感性で、我々の時代には失われたものらしいです。
ただ、芭蕉の時代でも誰もが持っているイメージではなく、
そう言われると、おお、洒落ているじゃないということではありそうです。
この松と朧という一見、似つかわしくない二つのコトバを取り合わせる。
コトバの魔術を使う達人。それが芭蕉でしょうか。
中京大学俳句教室のメモより。
それにしても芭蕉は「ヨイショ」の達人ですね。
辛崎の松を、じつに上手に褒め上げています。
遅足
ほの暗さの中で見る松は朧なのかも。
「ここで間違えてはいけないことがひとつ。朧は夜のものです。春の夜のほのかな感触を表現するのが朧なのです。でも昼でも遠くの景色などはうっすらぼやけた感じに見えることがありますよね。それは「霞」と 表現します。どちらも同じことですが、自ら詠む時、また鑑賞する時には必要な知識ですよね。
【季節】春(三春。但し夜限定)
【異名】草朧・岩朧・谷朧・灯朧・影朧・鐘朧・朧影朧月」