日本男道記

ある日本男子の生き様

大津~浦戸 1

2024年07月30日 | 土佐日記


【原文】 
二十七日。大津より浦戸を指して漕ぎ出づ。かくあるうちに、京にて生まれたりし、女子、国にてにはかに亡せにしかば、このごろの、出で立ちいそぎを見れど、何ごともいはず。
京へ帰るに、女子のなきのみぞ悲しび恋ふる。ある人々もえ堪えず、このあひだに、ある人の書きて出だせる歌。
みやこへと思ふをもののかなしきはかへらぬ人の あればなりけり
また、ある時には、
あるものと忘れつつなほなき人をいづらととふぞかなしかりける
といひけるあひだに、鹿児の崎といふところに、守の兄弟、またこと人これかれ、酒なにと持て追ひ来て、磯に下りゐて別れがたきことをいふ。
守の館の人々の中に、この来たる人々ぞ、心あるやうには、いはれほのめく。

【現代語訳
二十七日大津から浦戸を目指して船を漕ぎ出す。このようなことをしている一行の中に京で生まれた女子を任国ではかなく死なせてしまった人がいて、この頃の出発準備を見ても何も言わなかった。
京へ帰るにつけて亡くした女子のことだけを思って悲しみ恋しがる。居合わせた人々も悲しくて堪らない。そこで、ある人が書いて差し出した歌は、
みやこへと…
(都へ帰れると思うのは嬉しいけれど、悲しいのは死んでしまって帰れぬ人がいることであった。) 
また、ある時には、
あるものと…
(今もいるものと、いなくなったことをついつい忘れて、死んだあの子をどこにいるのかと尋ねてしまうのは、悲しいことだ)
と言っているうちに、鹿児の崎という所に、国司の兄弟や、また別の人だれかれが、酒などを持って追って来て磯辺に下りてきて座り、別れがたいことをいう。新国司の館の人々の中で、ここにやって来た人々こそ、真の心の篤い人々であるように、言われもし、そうも思えもする。


◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。 

(3)忘れがたく、……

2024年07月23日 | 土佐日記


【原文】 
①忘れがたく、くちをしきこと多かれど、え尽くさず。
②とまれかうまれ、とく破りてむ。

【現代語訳
①忘れられず、残念なことが多いけれど、全部を書きつくすことはできない。②とにもかくにも、〔これを〕早く破いてしまおう。
 


◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。 

(2)さて、池めいてくぼまり、……

2024年07月16日 | 土佐日記


【原文】 
①さて、池めいてくぼまり、水つけるところあり。
②ほとりに松もありき。
③五年六年のうちに、千年や過ぎにけむ、かたへはなくなりにけり。
④今生ひたるぞ混じれる。
⑤おほかたの、みな荒れにたれば、「あはれ。」とぞ人々言ふ。
⑥思ひ出でぬことなく、思ひ恋しきがうちに、この家にて生まれし女子の、もろともに帰らねば、いかがは悲しき。
⑦船人もみな、子たかりてののしる。
⑧かかるうちに、なほ悲しきに堪へずして、ひそかに心知れる人と言へりける歌、
⑨生まれしも帰らぬものをわが宿に小松のあるを見るが悲しさ
⑩とぞ言へる。なほ飽かずやあらむ、またかくなむ、
⑪見し人の松の千年に見ましかば遠く悲しき別れせましや

【現代語訳
①さて、池のようにくぼんで、水に浸かっているところがある。
②〔池の〕そばには松もあった。
③五、六年のうちに、千年が過ぎてしまったのだろうか、半分はなくなっていた。
④新しく生えたのがまじっている。
⑤〔松だけでなく〕大体のものが、すべて荒れてしまっているので、「なんてひどい。」と人々は言う。
⑥思い出さないことはなく、恋しい思いのなかでも、この家で生まれた女の子が、一緒に帰らないので、どんなに悲しいことか。
⑦船の人(=同じ船で一緒に帰京した人)もみな、子どもがよってたかって大騒ぎをしている。
⑧こうしているなかで、やはり悲しさにたえられずに、ひっそりと気心のしれている人と言いあった歌、
⑨〔ここで〕生まれた子も帰ってこないのに、我が家〔の庭〕に小松があるのを見るのは〔子どもが思い出されて〕悲しいことだ
⑩と言った。やはり満足しないのであろうか、またこのように〔詠んだ〕、
⑪亡くなった子が、千年の齢を保つ松のように〔いつまでも生きながらえて〕見ることができたならば、〔土佐での〕遠く悲しい別れをしただろうか、いや、しなかっただろうに。



◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。 

帰京 (1)京に入り立ちてうれし。

2024年07月09日 | 土佐日記


【原文】 
①京に入り立ちてうれし。②家に至りて、門に入るに、月明ければ、いとよくありさま見ゆ。③聞きしよりもまして、いふかひなくぞこぼれ破れたる。④家に預けたりつる人の心も、荒れたるなりけり。⑤「中垣こそあれ、一つ家のやうなれば、望みて預かれるなり。」⑥「さるは、たよりごとに、ものも絶えず得させたり。」⑦「今宵、かかること。」と、声高にものも言はせず。⑧いとはつらく見ゆれど、こころざしはせむとす。
【現代語訳
①都に入って嬉しい。
②家に着いて、門に入ると、月が明るいので、たいそうよく〔家の〕様子が見える。
③聞いていた以上に、言いようもないほど壊れ、傷んでいる。
④〔留守の間に〕家を預けておいた人の心も、すさんでいるのだったよ。
⑤「中垣はあるけれども、一つの家のようなので、〔先方から〕希望して預かったのである。」
⑥「そうはいうものの、機会があることに、〔お礼の〕品物も欠かさず与えていた。」
⑦「今夜、こんな〔ひどいありさまだ〕こと。」と、〔みなに〕大声で言わせるようなことしない。
⑧たいそうひどいと思われるが、お礼はしようと思う。


◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。 

土佐日記(3)二十三日。八木のやすのりといふ人あり。

2024年07月02日 | 土佐日記


【原文】 
①二十三日。八木のやすのりといふ人あり。
②この人、国に必ずしも言ひ使ふ者にもあらざなり。
③これぞ、たたはしきやうにて、馬のはなむけしたる。
④守柄にやあらむ、国人の心の常として、「今は。」とて見えざなるを、
⑤心ある者は、恥ぢずになむ来ける。
⑥これは、ものによりてほむるにしもあらず。
⑦二十四日。講師、馬のはなむけしに出でませり。
⑧ありとある上・下、童まで酔ひしれて、
⑨一文字をだに知らぬ者、しが足は十文字に踏みてぞ遊ぶ。
 
【現代語訳
①二十三日。八木のやすのりという人がいる。
②この人は、国司の役所で必ずしも召し使っている者でもないようである。③〔それなのに〕この人は、いかめしく厳かな様子で、送別の宴をした。
④〔それも〕国司の人柄であろうか、任国の人の心の常としては、「今は〔もう用はない〕。」といって顔を見せないようだが、
⑤道理をわきまえている者は、〔ひと目を〕遠慮せずに来た。
⑥これは、餞別の品をもらったからほめるというわけでもない。
⑦二十四日。国分寺の僧侶が、送別の宴をしにおいでになった。
⑧人はみな〔身分の〕上下を問わず、子どもまで酔っぱらって、
⑨一という文字さえも知らない者が、その足を十という文字に踏んで遊ぶ。



◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。 

土佐日記(2)ある人、県の四年五年果てて、……

2024年06月25日 | 土佐日記


【原文】 
①ある人、県の四年五年果てて、例のことどもみなし終へて、解由など取りて、
②住む館より出でて、船に乗るべき所へわたる。
③かれこれ、知る知らぬ、送りす。
④年ごろよくくらべつる人々なむ、別れがたく思ひて、
⑤日しきりに、とかくしつつ、ののしるうちに、夜更けぬ。
⑥二十二日に、和泉の国までと、平らかに願立つ。
⑦藤原のときざね、船路なれど、馬のはなむけす。
⑧上・中・下、酔ひ飽きて、いとあやしく、潮海のほとりにて、あざれあへり。

【現代語訳
①ある人が、国守の任期の四、五年が終わって、所定の事務引き継ぎもすっかり終わらせて、解由状などを受け取って、
②住んでいる官舎から出て、船に乗ることになっているところへ移る。
③あの人やこの人、知っている人も知らない人も、見送りをする。
④長年たいそう親しく付き合った人々は、別れづらく思って、
⑤一日中、あれこれ世話をしながら、大騒ぎをするうちに、夜が更けてしまった。
⑥二十二日に、和泉の国まではと、無事であるように神仏に祈願する。
⑦藤原のときざねが、船旅であるけれど、馬のはなむけ(=送別の宴)をする。
⑧〔身分の〕高い人も、中流の人も、低い人も、みなすっかり酔っぱらって、たいそう不思議なことに、〔塩のきいている〕海のそばでふざけあっている。


◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。 

土佐日記 1)男もすなる日記といふものを、……

2024年06月18日 | 土佐日記


【原文】 
①男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。
②それの年の十二月の二十日余り一日の日の戌の時に、門出す。
③そのよし、いささかにものに書きつく。

【現代語訳
①男も書くという日記というものを、女〔の私〕も書いてみようと思って、書くのである。
②ある年の十二月二十一日の午後八時ごろに、出発する。
③そのときのことを、少しばかりものに書きしるす。


◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。