【原文】
二十七日。大津より浦戸を指して漕ぎ出づ。かくあるうちに、京にて生まれたりし、女子、国にてにはかに亡せにしかば、このごろの、出で立ちいそぎを見れど、何ごともいはず。
京へ帰るに、女子のなきのみぞ悲しび恋ふる。ある人々もえ堪えず、このあひだに、ある人の書きて出だせる歌。
京へ帰るに、女子のなきのみぞ悲しび恋ふる。ある人々もえ堪えず、このあひだに、ある人の書きて出だせる歌。
みやこへと思ふをもののかなしきはかへらぬ人の あればなりけり
また、ある時には、
あるものと忘れつつなほなき人をいづらととふぞかなしかりける
といひけるあひだに、鹿児の崎といふところに、守の兄弟、またこと人これかれ、酒なにと持て追ひ来て、磯に下りゐて別れがたきことをいふ。
守の館の人々の中に、この来たる人々ぞ、心あるやうには、いはれほのめく。
守の館の人々の中に、この来たる人々ぞ、心あるやうには、いはれほのめく。
【現代語訳】
二十七日大津から浦戸を目指して船を漕ぎ出す。このようなことをしている一行の中に京で生まれた女子を任国ではかなく死なせてしまった人がいて、この頃の出発準備を見ても何も言わなかった。 京へ帰るにつけて亡くした女子のことだけを思って悲しみ恋しがる。居合わせた人々も悲しくて堪らない。そこで、ある人が書いて差し出した歌は、 みやこへと… (都へ帰れると思うのは嬉しいけれど、悲しいのは死んでしまって帰れぬ人がいることであった。) また、ある時には、 あるものと… (今もいるものと、いなくなったことをついつい忘れて、死んだあの子をどこにいるのかと尋ねてしまうのは、悲しいことだ) と言っているうちに、鹿児の崎という所に、国司の兄弟や、また別の人だれかれが、酒などを持って追って来て磯辺に下りてきて座り、別れがたいことをいう。新国司の館の人々の中で、ここにやって来た人々こそ、真の心の篤い人々であるように、言われもし、そうも思えもする。 |
◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。