日本男道記

ある日本男子の生き様

京都二十四節気 その九 芒種

2011年07月08日 | 京都二十四節気
京都二十四節気 その九 芒種
芒を持った植物の 種をまく頃 新暦六月五日~六月二十日(頃)
田植え(芒種の自然)

芒のある穀類の種を蒔く時期、「芒種」。農家では、苗代で育てた稲の苗を水田に植えかえる「田植え」の作業が行われます。昔、田植えは神聖な行事とされ、「早乙女」と呼ばれる清らかな女性の役目とされていました。田植えの前に早乙女たちが模擬的な田植えを演じ、豊作を祈願する習わしが今に伝えられています。京都の八坂神社(船井郡)では、茜たすきに菅笠の早乙女8人が雅楽の調べにあわせて苗を植える「御田祭」が行われます。その他、伏見稲荷大社(伏見区)や石清水八幡宮(八幡市)などでも、それぞれ田植えの神事が執り行われます。
納涼床(芒種の暮らし)

川の上に設けた高床で、涼をとりながら食事を楽しむ「納涼床」は、京都の夏の風物詩。鴨川、貴船、高雄、鷹ヶ峯などで、風流な宴が催されます。なかでも鴨川の納涼床の歴史は古く、慶長年間に遡るといわれます。応仁・文明の乱の後、荒涼としていた鴨川の河原は、豊臣秀吉による三条・五条橋の架橋の頃から賑わい始めました。やがて裕福な商人らが河原に床几を持ち出し、遠来の客をもてなすようになります。これが納涼床の起源といわれ、江戸時代には京の年中行事とされました。自然と調和する粋な遊びの感性が生んだ、京都ならではの風習です。

コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。

京都二十四節気 その八 小満

2011年07月01日 | 京都二十四節気
京都二十四節気 その八 小満
万物が次第に成長して 一定の大きさに達して来る頃 新暦五月二十一日~六月四日(頃)
麦秋 (小満の自然)

麦の穂が熟す初夏の頃を、「麦秋(ばくしゅう/むぎあき)」といいます。麦は米と異なり、初冬に蒔かれ、5~6月に収穫期を迎えます。夏にもかかわらず「秋」と表現されたのは、「秋」という言葉に「百穀成熟の期」という意味があり、麦にとっては秋だと考えられたためです。人もそれぞれに実りの時がある、ということを教えてくれる季節なのかもしれません。京都でも、昔から水稲の裏作として麦が栽培されてきました。肥沃な平野が広がり、穀倉地帯として知られる大堰川の流域では、ビールなどの原料となる麦が作られています。
建具替え (小満の暮らし)

京都には、6月1日に住まいを夏用に替える「建具替え」の習わしがあります。吉田兼好が『徒然草』で「家のつくりようは、夏をむねとすべし」と記しているように、昔から高温多湿の夏をいかにやり過ごすかは、住まいづくりに求められる条件でもありました。特に京都は、三方を山に囲まれ、暑さが厳しいため、涼をとる工夫が凝らされてきたのです。襖や障子を取り払って葭戸(よしど)や簾(すだれ)に替え、座敷に網代(あじろ)を敷き、庭や玄関に水をまき、風鈴を吊るして音でも涼み……。都の納涼には、自然と寄り添う心が息づいています。
コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。

京都二十四節気 その七 立夏

2011年06月24日 | 京都二十四節気
京都二十四節気 その七 立夏
夏の気配が感じられる頃 新暦五月五日~五月二十日(頃)
京紫(立夏の自然)

五月になると、京都は美しい紫色の花々で彩られます。平等院や龍安寺の藤、大田沢(上賀茂)や梅宮大社の杜若、平安神宮や城陽市の花菖蒲などが有名で、毎年多くの人々が鑑賞に訪れます。紫色は、昔から高貴な色として尊ばれてきました。京の都を舞台とした『源氏物語』でも、その名に「紫」を持つ、位の高い女性が登場しています。貴族が愛した都の紫は「京紫」と呼ばれ、紫草の根(紫根)で染められました。後に武士の世となり、「江戸紫」など新しい紫色が生まれても、京紫は大切に守られ、今もその染色技法が受け継がれています。
端午の節句(立夏の暮らし)

5日5日は端午の節句。鯉のぼりを立て、鎧兜を飾り、菖蒲湯に入って男の子の健やかな成長を祈ります。端午の節句は、菖蒲や蓬で邪気祓いをする古代中国の風習が日本に伝わり、定着したと言われます。もともと日本でも、「五月忌み」といって、田植えの時期に邪気祓いをおこなっていました。この日本古来の風習が端午の節句と結びつき、田植え前に早乙女と呼ばれる若い娘が、菖蒲や蓬で屋根をふいた小屋にこもって身を清めるようになります。武家社会になると、菖蒲が武を尚(たっと)ぶ「尚武」に通じるとして、男の子の節句になりました。

コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。

京都二十四節気 その六 穀雨

2011年06月17日 | 京都二十四節気
京都二十四節気 その六 穀雨
田畑の準備が整い それに合わせて 春の雨の降る頃 新暦四月二十日~五月四日(頃)
八十八夜 (穀雨の自然)

立春から数えて八十八日目は、「八十八夜」。春から夏への季節の境目で、農村では苗代作りや畑作物の種まき、茶摘みを始める重要な日とされてきました。「八十八夜の別れ霜」といわれるように、この頃になると降霜がなくなり安定した気候になりますが、遅霜で作物が台無しになることもあります。八十八夜は、霜に注意するため、特別に作られた雑節(日本の暦で、二十四節気以外の季節の移り変わりの目安となる日)でした。八は末広がりで、八十八は「米」という漢字にも通じることから、縁起のいい日としても親しまれてきたようです。
お茶壺道中(穀雨の暮らし)

高級茶として名高い宇治茶の起こりは十三世紀初頭、明恵上人が、日本に茶をもたらした栄西禅師から茶種をもらい受け、宇治に茶園を築いたことにあるといわれます。以後、豊かな自然風土、足利将軍家の庇護、独特の甘みを生みだす茶葉栽培などにより、天下一の茶へと発展していきました。江戸時代には徳川将軍家の御用達となり、新茶は、はるばる江戸城まで運ばれるようになります。この道中は「お茶壺道中」と呼ばれ、将軍家と御三家につぐ権威のあるものでした。茶壺の乗った駕籠が通ると庶民はひれ伏し、大名も道を譲ったといわれます。


コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。

京都二十四節気 その五 清明

2011年06月10日 | 京都二十四節気
京都二十四節気 その五 清明
万物がすがすがしく 明るく美しい頃 新暦四月四日~十九日(頃)
京筍(清明の自然)

春たけなわの頃、旬を迎えるのが筍です。京都の筍は、味と品質に定評があり、日本一ともいわれます。その代表的な産地の一つが、京都盆地の西南に位置する乙訓地域です。中国からこの地に伝わったといわれる孟宗竹の筍は、光るような白さと柔らかさ、豊かな風味が特徴とされています。おいしさの秘密は、農家の人々のたゆまぬ努力と創意工夫にもありました。稲藁を敷き、土を入れ、間伐をし、一年を通して竹やぶの管理が行われます。手塩にかけて育てられるからこそ、誰からも愛される味が生まれるのかもしれません。
十三参り(清明の暮らし)

大人になる通過儀礼として、数え年13歳になった男女が、旧暦3月13日(現在では4月13日)に虚空蔵菩薩に参詣する習わしがあります。13歳という年齢は、干支が一巡し、もとの干支に戻る節目の年。子供が大人へと成長する時期で、女の子にとっては最初の厄年でもあることから、知恵と福徳をもたらす虚空蔵菩薩に参るようになったといわれます。京都では、嵐山の虚空蔵法輪寺に大人の知恵を授かりに行く風習があります。お参りの後、渡月橋を渡り切るまでに後ろを振り返ると、授かった知恵がなくなると言い伝えられてきました。


コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。

京都二十四節気 その四 春分

2011年06月03日 | 京都二十四節気
京都二十四節気 その四 春分
昼夜の長さが ほぼ同じになる日 新暦三月二十日~四月三日(頃)
花見 (春分の自然)
春、爛漫と咲き誇る桜は、今も昔も日本人を花見の遊山へと誘います。花見の宴を最初に行ったのは、平安貴族だといわれます。もともとは中国から伝えられた梅を愛でる宴が開かれていましたが、やがて日本土着の桜に人気が移り、桜の宴を行うようになりました。しかし日本には、それよりずっと以前から花見があったといわれます。農民たちは桜の木の下に酒や食べ物を持ち寄り、花に宿った稲の霊を迎え、花の咲き具合で秋の実りを占っていました。現在の花見は、この貴族と農民の風習がもとになって生まれたとも考えられています。
春彼岸 (春分の暮らし)

春分の日を中日とした前後3日ずつの7日間は、春のお彼岸です。仏教では、悟りの境地・極楽浄土を「彼岸」、迷いや煩悩に満ちたこの世を「此岸」といいます。かつて日本では、西の彼方にご先祖様のおられる極楽浄土があると信じられていました。太陽が真西に沈む春分は、もっとも極楽浄土に近づけるとされ、この日に仏事が行われるようになったといわれます。昔から、春彼岸には「ぼたもち」を、秋彼岸には「おはぎ」を食べる慣わしがあります。これは、春には牡丹が、秋には萩が咲くため、という説があります。


コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。

京都二十四節気 その三 啓蟄

2011年05月27日 | 京都二十四節気
京都二十四節気 その三 啓蟄
大地が暖まり 冬眠をしていた虫が 穴から出てくる頃 新暦三月五日~十九日(頃)
夢見鳥 (啓蟄の自然)

冬の間、地中で巣籠りしていた虫たちは、春の気配を感じると地上に這い出てきます。春の野をひらひらと舞う蝶は、別名「夢見鳥」と呼ばれます。これは、「胡蝶の夢」という、古代中国の思想家・荘子の説話がもとになったもの。ある日、荘周という人が胡蝶になって自在に飛び回る夢を見ます。自分が荘周であることを忘れていましたが、目覚めると、やはり荘周のままでした。荘周は、夢で胡蝶になったのか、胡蝶が夢で荘周になっているのかわからなくなった、というお話です。春は、現実と夢の間を行き来できる季節なのかもしれません。
お釈迦さんのはなくそ (啓蟄の暮らし)

釈迦が入滅し、悟りの境地に入られたことを「涅槃」といいます。お寺では、枕を北に右脇を下に臥した釈迦の周りで、鳥獣までもが嘆き悲しむ「涅槃図」を公開し、法要が営まれます。京都にはこの日、「お釈迦さんのはなくそ」というお菓子を食べる慣わしもあります。「はなくそ」とは、お供え物の「花供御(はなくご)」が転じた愛称といわれ、昔から、釜の底に残ったご飯を大切に取っておき、黒豆などとともに飴で絡めて作られてきました。「捨てずに使い切る」という京都の心が息づく風習でもあります


コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。

京都二十四節気 そのニ 雨水

2011年05月20日 | 京都二十四節気
京都二十四節気 そのニ 雨水
空から降るものが 雪から雨に変わり、雪が溶け始める頃 新暦二月十九日~三月四日(頃)
雪解け水(雨水の自然)

降る雪が雨に変わり、積もっていた雪や氷が解け始める頃です。昔、農耕の準備は、この「雨水」を目安に始められたといわれます。山から流れ出す清らかな雪解け水は、田畑を潤し、農作物を育む恵みの水でした。「雪は豊年の瑞(しるし)」といわれ、雪がたくさん降る年は、豊作になると考えられていました。人々は、春になると山から神様が降りてきて、豊かな水と実りをもたらすと信じ、山に感謝しながら暮らしたといわれます。雪解け水は、別名「雪代(ゆきしろ)水」や「雪汁(ゆきじる)」とも呼ばれます。
流し雛(雨水の暮らし)

3日3日は、女の子の健やかな成長を祈る「雛まつり」。その起源は、古代中国の禊(みそぎ)の行事であったといわれます。3月最初の巳の日に水辺で身体を清め、邪気を祓ったという故事に習い、日本でも紙や藁で作った形代(かたしろ)に身の災厄を移し、川や海に流すようになりました。この形代がいつしか貴族の姫君たちの人形遊び「ひひな遊び」となり、雛まつりの原型ができ上がっていったといわれます。この日、京都の下鴨神社では、さんだわらに乗せた紙雛を御手洗川に流し、子供たちの無病息災を願う「流し雛」が行われます。
撮影協力・写真提供 冨田屋
西陣くらしの美術館 冨田屋では、町家最古の雛人形とともに、2月20日から4月3日までお雛会が行なわれます。


コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。

京都二十四節気 その一 立春

2011年05月13日 | 京都二十四節気
京都二十四節気 立春
春の気配が感じられる頃 新暦二月四日~十八日(頃)
梅(立春の自然)

春、花の中でもっとも早く咲く梅は、「百花の魁(ひゃっかのさきがけ)」や「春告草(はるつげぐさ)」と呼ばれ、昔から日本人に親しまれてきました。漢文の「梅開早春」という言葉は、「梅、早春 “に”開く」と読まれることが多いようですが、禅の世界では、「梅、早春“を”開く」と読みます。「春が来たら梅が咲く」のではなく、「梅が咲くから春が来る」と考えているのです。これを人に当てはめれば、人もどう生きるかで人生が決まる、ということなのかもしれません。梅の花のように、周りを春に変えるような生き方は、理想でもあります。
初午(立春の暮らし)


2月最初の午の日は「初午」と呼ばれ、全国各地の稲荷神社で「初午祭」が営まれます。この祭りは、奈良時代の和銅4(711)年2月初午の日に、伏見稲荷大社の祭神・稲荷大神が稲荷山の三ヶ峰にご鎮座されたことにちなんだもので、昔から老若男女を問わず多くの人々が、参詣に出かけました。初午詣は「福まいり」とも呼ばれ、ご神木「しるしの杉」を受け、商売繁盛や家内安全を祈る習わしがあります。伏見稲荷大社は、平成23(2011)年、「稲荷大神ご鎮座1300年」という節目の年を迎えます。


コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすこと、それは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。