日本男道記

ある日本男子の生き様

住吉 1

2025年03月04日 | 土佐日記
【原文】 
五日。今日、からくして、和泉の灘より小津の泊を追ふ。
松原、目もはるばるなり、これかれ、苦しければ、よめる歌、
行けどなほ行きやられぬは妹が績む小津の浦なる岸の松原
かくいひつつ来るほどに、「船とく漕げ、日のよき日に」ともよほせば、梶取、船子どもにいはく、「御船より、仰せ給ぶなり。朝北の、出(い)で来ぬ先に、綱手はや引け」といふ。このことばの歌のやうなるは、梶取のおのずからのことばなり。
梶取はうつたへに、われ、歌のやうなる言、いふとにもあらず。聞く人の、「あやしく、歌めきてもいひつるかな」とて、書き出だせれば、げに、三十文字あまりなりけり。

【現代語訳】
五日。今日、やっと。和泉の灘から小津の港を目指す。
松原が見渡す限りはるばると続いている。誰もかれも長旅でうんざりしており、詠んだ歌は、
行(ゆ)けどなほ…
(行っても行っても行きつくせないのは、女たちが紡ぐ麻糸と同様、この小津の浦に続く岸辺のの松原だ)
とまあこんな歌を詠みながら進んでいくうちに、船の主はしびれを切らして、「こら、早く船を漕げ、せっかく日和もいいんだから」と催促をする。そこで、船頭が、(岸で曳き船をしている)水夫たちに言うには、「船君が仰せられたぞ。『朝の北風が吹く前に、綱を早く曳け』とな」と言う。
この音が歌のようであるのは、船頭が自然に言った言葉である。船頭はけっして、歌のような言葉を、言おうとしているのではない。
聞く人が、「妙だな。歌めくように言ったようだな」というわけで、書き出してみれば、三十文字余であったのである。


◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。 




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