日本男道記

ある日本男子の生き様

日本基督教団倉敷教会教会堂(No.10)

2006年03月26日 | 日本の愛唱歌
岡山県内には、明治から昭和初期にかけてつくられた数多くの近代構造物が残っています。歳月を経てもなお、当時の人々の思いが詰まっています。各地に残る貴重な近代化遺産を紹介していきます。
近代化遺産とは、近代化遺産とは およそ幕末期から第二次世界大戦終了時にかけて、我が国が近代化を遂げる途上において、近代的手法を用いて築造された産業・交通・土木等にかかわる建築物・土木構造物など(建造物)の総称。

遺産名   日本基督教団倉敷教会教会堂
建築年   1923(大正12)年
構造・規模 木造、三階建 建築面積268.8㎡
所在地   岡山県倉敷市本町3-1 地図
撮影日   2006/02/12
説明板
倉敷に初めてキリスト教が伝えられたのは、1878年(明治11年)のことであったが、教会の設立は1906年(明治39年)に実現した。初代牧師は溝手文太郎、会員25名により発足した。創立者の中には林源十郎、大原孫三郎、(略)などがいた。また、岡山孤児院の石井十次の霊的指導に、負うところも大きかった。
礼拝堂は仮会堂が大原美術館の斜め向かい(現亀遊亭)にあったが1922年(大正11年)西村伊作の設計により建築に着手、翌年献堂した。(略)
1971年(昭和46年)には倉敷キリスト会館を建設し、喫茶室も儲け、多目的な活動を目指しつつ、今日に至っている。 
メモ 
倉敷教会は、石積みのスロープが2階の礼拝堂の入り口へ導き、外観がひときわ印象的である。
設計者西村伊作氏のこの建築に関する考え方は「建築は実用と美の両方を兼ね備えるべきもの、人間の容器(建築)を美化する仕事である」であった。
今日でも実用に供されており、保存状態もきわめて良好で、いつまでもこの倉敷の地にあってほしい建築の一つである。
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