日本男道記

ある日本男子の生き様

奈半の港 3

2024年09月17日 | 土佐日記


【原文】 
かくあるを見つつ漕ぎ行くまにまに、山も海もみな暮れ、夜更けて、西東も見えずして、天気のこと、梶取の心にまかせつ。男もならはぬは、いと心細し。まして女は、船底に頭をつきあてて、音をのみぞ泣く。かく思へば、船子、梶取は舟歌うたひて、何とも思へらず。そのうたふ歌は、
春の野にてぞ音をば泣く 若薄に 手切る切る摘んだる菜を 親やまぼるらむ 姑や食ふらむ かへらや
 
夜べのうなゐもがな 銭乞はむ そらごとをして おぎのりわざをして銭も持て来ず おのれだに来ず
これならず多かれども、書かず。これを人の笑ふを聞きて海は荒るれども、心はすこし凪ぎぬ。
かく行き暮らして、泊に到りて、翁人一人、専女一人、あるが中に心地悪しみして、ものものし給ばで、ひそまりぬ。十日。今日は、この奈半の泊に泊まりぬ。

【現代語訳
このような美しい景色を見ながら漕いで行くと、山も海もみな暮れ、夜が更けて、西も東も見えなくなってしまって天気のことは船頭の心に任せる。男も船旅に慣れていないものはとても心細い。まして私たち女は、船底に頭を押し当てて声をあげて泣くばかりである。このような切ない思いをしていたのに、船子や梶取は舟唄など歌って何とも思っておらず、そのうたう歌は
春の野にてぞ… 
(春の野原で声をあげて泣く。若薄で手を何度も切って摘んだ菜を、親が食うやら、姑が食うやら、帰ろうよ)
夜べの…
(ゆんべ出会うた娘っ子にあいたいものよ。銭を要求するぞ。嘘をついて、掛け買いをして、銭も持ってこないで顔さえ出さない)
この二つの歌以外の歌も多かったけどいちいち書かかない。これらの歌を人々が面白がって笑うのを聞いて、海は荒れているが心はすこし穏やかになった。
このように数日漕ぎつづけて、港についたとき、お爺さん一人、おばあさん一人が、とりわけ気分が悪くなって、ひっそり引き籠って寝てしまった。
十日。今日はこの奈半(なは)の港に停泊した。



◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。 

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