今日は、コンニャクの日だそうだ。
何か冗談の一つも言えそうだが、わが家にとっては5年前からこの日は、冗談を交わすような余裕のない深刻な記念日となってしまった。
5年前の今日は、娘が倒れ、救急車で運ばれた日だからだ。
そこから、思いもよらない病状となり、家族にとってとてもつらい日々が続いた。
当ブログも、あの頃は今のように日々更新ではなかった。
あの年5月下旬には、山形県小国町の温見平に出かけたことを書いたのだった。
5月26日 「イワウチワ~一番会いたい花と突然出合う」
がそれだった。
1週間ほどしてから、6月2日にその続編を「温身平で森林浴」
として書いている。
そして、2回ほど南魚沼グルメマラソンに参加してハーフマラソンを走ったことを書いた後、何を言いたいのかよくわからないような内容の記事が続いた。
6月20日「悲しみに向かい合ったとき」
6月30日「わずかな光を信じて」
7月 1日「奇跡の逆転劇」
この間は、娘は集中治療室で、死んじゃうのではないかという状態に陥っていた…。
…だから、ここで何かを書く気にはなれずにいた。
しかし、7月14日以降、5月29日以降何が起こっていたのかをここで明かしていくようなことになったのだった。
幸い、3年半の間、娘に発作は起こっていない。
毎日の散歩やステッパー、スクワットなどで、ふらふらしていた体はかなりしっかりしてきている。
日中のアルビレックスのホーム戦などは、駐車場からスタジアムまでの歩きも、スタジアムの段差の多い階段歩きも、支障なくできるようになった。
倒れた年、「私、三十路になっちゃうよぉ…。」とよく言っていた娘も、あれから5年となり、その三十路も中間の年齢を迎えようとしている。
服用する薬も減らないままだ。
言うこと、やることはかなり普通になったが、まだ行動力や判断力の迅速さに欠ける。
短期記憶は、3年前に比べればましになったが、まだまだしっかり記憶に残らない…というところだ。
それでも、毎食後の茶わん洗いは自分の仕事として行っている。
「私には、こんなことぐらいしかできないから。」
そう言うところは実に健気だと思う。
今夜は、その病になった最初の日。
普通ならいまわしい日だが、逆手にとって、倒れたが復活できた記念日とすることにした。
5周年記念日。
近所のスーパーから寿司を買って、それを家族で食べて復活(中)の祝いとすることにした。
娘も、ノンアルビールで乾杯。
コンニャクの日について、冗談を言って笑っていられる。
そのことは、とても幸せなことだ。
社会復帰はまだ遠いが、みんなで支え合って生きていければ…と思うのだ。
何か冗談の一つも言えそうだが、わが家にとっては5年前からこの日は、冗談を交わすような余裕のない深刻な記念日となってしまった。
5年前の今日は、娘が倒れ、救急車で運ばれた日だからだ。
そこから、思いもよらない病状となり、家族にとってとてもつらい日々が続いた。
当ブログも、あの頃は今のように日々更新ではなかった。
あの年5月下旬には、山形県小国町の温見平に出かけたことを書いたのだった。
5月26日 「イワウチワ~一番会いたい花と突然出合う」
がそれだった。
1週間ほどしてから、6月2日にその続編を「温身平で森林浴」
として書いている。
そして、2回ほど南魚沼グルメマラソンに参加してハーフマラソンを走ったことを書いた後、何を言いたいのかよくわからないような内容の記事が続いた。
6月20日「悲しみに向かい合ったとき」
6月30日「わずかな光を信じて」
7月 1日「奇跡の逆転劇」
この間は、娘は集中治療室で、死んじゃうのではないかという状態に陥っていた…。
…だから、ここで何かを書く気にはなれずにいた。
しかし、7月14日以降、5月29日以降何が起こっていたのかをここで明かしていくようなことになったのだった。
幸い、3年半の間、娘に発作は起こっていない。
毎日の散歩やステッパー、スクワットなどで、ふらふらしていた体はかなりしっかりしてきている。
日中のアルビレックスのホーム戦などは、駐車場からスタジアムまでの歩きも、スタジアムの段差の多い階段歩きも、支障なくできるようになった。
倒れた年、「私、三十路になっちゃうよぉ…。」とよく言っていた娘も、あれから5年となり、その三十路も中間の年齢を迎えようとしている。
服用する薬も減らないままだ。
言うこと、やることはかなり普通になったが、まだ行動力や判断力の迅速さに欠ける。
短期記憶は、3年前に比べればましになったが、まだまだしっかり記憶に残らない…というところだ。
それでも、毎食後の茶わん洗いは自分の仕事として行っている。
「私には、こんなことぐらいしかできないから。」
そう言うところは実に健気だと思う。
今夜は、その病になった最初の日。
普通ならいまわしい日だが、逆手にとって、倒れたが復活できた記念日とすることにした。
5周年記念日。
近所のスーパーから寿司を買って、それを家族で食べて復活(中)の祝いとすることにした。
娘も、ノンアルビールで乾杯。
コンニャクの日について、冗談を言って笑っていられる。
そのことは、とても幸せなことだ。
社会復帰はまだ遠いが、みんなで支え合って生きていければ…と思うのだ。