ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「もの思う秋」の時代があったっけ…

2020-10-20 21:50:15 | 自然・季節
秋が進む。
食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋…。
秋は、落ち着いて物事に取り組める季節のせいか、その言葉の前に様々な形容が付けられる。
そういう中に、「もの思う秋」というのもある。

自由な時間を有していなければ、ものは思えない。
ものを思える、つまりいろいろなことを考えていられるのは、やはり若いときをおいてほかにない。
自分が、最もぼうっとしてもの思う時間が多かったのは、高校3年生の今ごろだった。
もの思う時間帯がいつかと言うと、夕方である。
どこで?というと、それは、高校の教室であった。
窓ぎわの席に座り、体育館やグラウンドから響いてくる後輩たちの部活動の音を聴きながら、外の景色を見ていた。
3年生の秋ともなると、部活ですでに自分たちが活動する時代は、終わっていた。
そして、進学を目指す同級生たちは、受験勉強のために授業が終わると、さあっと家に帰って行った。
だが、私は、さっさと家に帰る気にはなれないでいた。

高校3年生の今という時間は、もう2度とない。
この同級生たちと共に過ごせる時間も、少なくなるばかりだ。
今という時間が惜しい。
過ぎてゆく時間が、とても尊く感じられる。
今、感じること、思いをずうっと大事にしたい。

そんなことを考えながら、窓の外をぼうっと見ていた。
目の先には、グラウンドを取り囲むように伸びたポプラの木々だった。
時間が進むにつれ、その木々の向こう、西の空が、しだいに赤く染まっていく。
赤さが最も濃くなり、やがて陽が沈んでいくと、空はポプラの木々を隠すように青から闇へと変わっていく。
完全に暗くなり、空に月や星が輝くようになると、あきらめたように「さて、帰るか…」と立ち上がるのだった…。

近ごろ、きれいな夕焼けを見ることが多い。
今日は、陽が沈んだ後に、細い月が出ていた。


あの「もの思う秋」の時代を思い出していた。
コメント
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