久しぶりに、すごく深みのある小説を読んだ。
そんな気がした。
図書館の返却されたばかりの本コーナーに、立ててあった本たちの中に、この本があった。
「東野圭吾かあ。最近は読んでいないなあ…。」
そう思って手に取ってみた。
普通の本なら、帯となっていた部分が表紙をめくったページに貼られてあるのだが、この本には、なぜか何も貼ってなかった。
どんな内容の本なのだろうと思って、ページをめくって見た。
すると、「プロローグ」から始まっていた。
「逢魔が時、という言葉がある。」
という文章から始まっていた。
その言葉は知っていたが、書き出しが「逢魔が時」からというのはいかにもミステリーだなと思った。
そして、もう1枚ページをめくって見ると、
「子供二人だけで、本当にあんなところまで行けるのか、(略)。あんなところ、というのは新潟県長岡市にある、怜子の実家だ。」
と、2ページ後に書いてあった。
新潟県が出てくるなら興味がある。
この「逢魔が時」「新潟県長岡市」に引かれた。
引かれたものがあるということは、読むに値する。
借りてみることにした。
読み終えた。
面白かった。
東野の小説によく出てくる加賀恭一郎の名前が出てきたところで、彼の名推理によって事件が解決する話なのだろうと思っていたら、まったく違っていた。
ストーリーは複雑さもあるし、ネタバレは避けたいので省略する。
お決まりのように殺人事件は起こるのだが、その犯人は、物語の意外と早いうちに判明する。
多くの登場人物が出てくるが、その犯人にも、被害者にも、取り巻く人物にも、主人公として活躍する刑事にも、深い事情があり、そこにスポットライトが当たりながら物語が進んでいく。
命の誕生、
血のつながり、
家族・親子の絆、
そして愛情。
…こんなことたちに、深い思いが至った。
時空を超えた「親子」ということについては、以前「時生」(ときお)という彼の小説を読んだときにも感銘が深かったが、その作品にはSF的な面があった。
この「希望の糸」という小説については、現代的なテーマを扱い、非常に現実味があった。
冒頭に書いた「新潟県長岡市」の登場は、2004年の中越地震とも関係していた。
そして、ひとひねりどころか、3ひねりも4ひねりもあるストーリーに深みがあり、感心した。
さすがだ。
東野圭吾は、単なるミステリー作家ではない。
そういえば、彼は、直木賞作家でもあった。
その重みを感じさせる1冊。
大満足。いい読書になった。