「続 窓ぎわのトットちゃん」を読んでいて、「懐かしい!」と思い、思わず自分の脳裏にその光景が広がった場面があった。
それは、トットちゃんが疎開した青森県でのことだ。
戦争が終わってからのことで紹介されている。
1つ目。
(バスの車内で)降りる人が「おつる、おつる」と言いながら奥の座席から出てきたので、トットは落ちるのかと思ったけど、どうやら降りることを「おつる」と言うのだとわかった。バスガールの人が「おつるひとがしんでから乗ってけれ」と言ったので、びっくりしたら、それは「降りる人がすんでから乗ってください」ということだとわかった。
この「おつる」という言葉は方言で、私の育った新潟県下越地方でもよく使っていた。
「おつる」とか「おづる」という。
「降りる」と「落ちる」を同じような意味で使い、「おつる」とか「おづる」と言っていた。
汽車やバスなどに乗車の際、よくその言葉を使う人がいた。
「おめ、どごの駅でおづっかんだい?」
と問いかける姿もよくあった。
この問いかけは、標準語訳すると、「あなたは、どこの駅で降りるのですか?」となる。
新潟県下越地方は、東北との結びつきが強い。
かつて出会った人の東北弁は、何を言っているか、かなり多くが理解できたものだった。
それは今でも同様である。
2つ目。
陸奥湊の駅前には、「イサバ(五十集)」と呼ばれる魚を扱う業種の人たちが大勢集まる、市場のような通りがあったのだ。(略)
おもしろかったのは、そこで働いているのが「カッチャ」と呼ばれるおばさんばかりだったことだ。漁師は男の仕事と相場が決まっていたけど、夜中に漁に出て朝戻ってきたときは、もうクタクタになっていた。だから、仕分けなどを終えたら、そこから先の客商売は女の人の出番になるのだった。
陸奥湊の「イサバのカッチャ」は、みんな元気がよくて親切だった。どの魚が旬で、どんな調理をしたらおいしいとか、いろんなことを教えてくれた。
「イサバ」。
自分の中では死語になっていたが、身近な存在だった。
なぜなら、小学生時代、同居していた伯母が「イサバ」をしていたからだ。
こちらでは、「イサバ」は、魚の行商人の女性のことを指していたイメージがある。
「イサバ」のことは、「漁場」とも書く、と何かで読んだことがある。
「漁」には、「いさ」という読みもあるのだ。
伯母は、イサバの仕事をしていたが、毎朝早かった。
辺りはまだ暗いのにだいたい毎朝午前4時ころに、自転車に3段くらいの空の木箱を積んで、何人かのイサバ仲間と出かけて行く。
イサバの人たちは、3kmくらい先の魚の卸しをやっている店で魚を仕入れ、その後もっと遠くのあちこちの集落を回って夕方近くまで魚を売ってくるのだった。
自転車にのれないオバチャンたちは、背中の背負いかごに魚を入れて、バスで移動してイサバの仕事をしていた。
私が高校生の頃にも、イサバのオバチャンたちは仕事をしていた。
冬になると、自転車通学がバス通学になる私は、よくバスの車内でイサバのオバチャンたちと一緒になった。
そして、目的の停留所に近づくと、当時はまだ同乗していたバスの女性の車掌さんに、
「次でおづるすけ、止まってくらせ」(次で降りるから、止まってください)
と言っていた。
そして、降りるときには、運転手さんや車掌さんに
「おおきに、はや」(たいへんありがとうございました)
と言って、買ってくれる家々を訪ねていくのだった。
「続 トットちゃん」を読んでいたら、そんな50年前の光景がよみがえってきた。
方言も日常生活で普通に使われていた。
イサバの仕事をしている人たちがいた。
自分が生きてきた時代と、大戦直後のトットちゃんの時代が重なって見えた。
やっぱり自分も古い人間になってきているのだなあ…。