阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

夙川の「ニテコ池」/清太と節子

2006年11月15日 | 神戸あちこち
池の向うに甲山が見えました。
小説家の野坂昭如が書いたまま、その後自分では一回も読み返したことがないと言われている小説があります。それは「火垂の墓」です。本当かどうか知りませんが、書き上げて何年かして一度手に取ってぺージを繰り出したとたん「この話は自分には辛すぎて読めない」と言って閉じたのだそうです。小説は事実をありのままを書くものではありませんが、3日間ほどで一気に書き上げたと言うこの小説は、野坂にとって本当の事を書きすぎたのかも知れません。

小説「火垂の墓」の兄と妹が住んだ防空壕はこの「ニテコ池」のほとりにありました。
池の左側一帯には故松下幸之助家の大邸宅があります。



長い間、一度この池を見たいと思っていましたが、阪神淡路大震災前に訪ねなかったので、地震で崩壊した池の様子はもう昭和20年当時のものではありません。

野坂昭如はJR六甲道に近い神戸市灘区中郷町の養家で張満谷昭如として育ち、成徳小学校を卒業、市立神戸一中4年生の時に米軍の神戸大空襲で焼け出されました。その時の体験が「火垂の墓」の原点になっています。なお市立一中は現葺合高校になり、もう一つの一中である県立一中は白州次郎や村上春樹などが卒業生である現神戸高校になっています。
コメント (2)
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