千葉県印旛沼近くの里山に住むKさんからの便りです。⇒昨年秋成田にLCC Air Asiaの国際線が就航、就航記念のキャンペーンで安チケットを購入。安チケットの搭乗期限は3月末だったので、少しでも暖かい3月24日にソウルへ出発。運賃は21,823円/2人、成田・・ソウル往復、オプションの30Kgのケース往復、帰りの便の軽食2食込みです。他社は空港利用税、燃料サーチャージだけで9,000円/1人掛かるのでオプションを含めても基本料金は1,900円/1人とただみたいなものでした。なお現在は往復20,000円/1人前後です。LCCに関してはブログ、HP等でいろいろ書かれていますが、2時間程度のフライトですから全然問題ありません。今回はチケットをおさえてから何をするかゆっくりと考え 北朝鮮を垣間見る、ソウル城郭ウォーキング、NANTA観賞にしました。
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北朝鮮関連は、臨津閣公園と鳥頭山統一展望台へのツアーです。臨津閣公園からは、臨津江にかかる北朝鮮/開城への鉄路と板門店への道路が見渡せます。対岸は韓国領ですが一般人の立ち入りはできない。
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開城の工業団地では韓国の資本と技術指導による工場で北の作業員が働いています。工場幹部、技術員は毎日ソウル・・開城を電車で通勤している。電車は1日1往復らしいが、当日昼前に開城方面から電車が来た。現地ガイドは鉄橋を渡る電車を初めて見たと言っていた。
鳥頭山統一展望台は臨津江をはさんで北朝鮮と国境を接してて、展望台からは北の村が見渡せます。
説明によると、
1)この村は軍関係者が大半で、稲作時期になると農作業が始まる
2)一番大きな建物は金日成記念館
3)3階建の住居が建設されているが、未完成も多い
4)韓国から観られていることを意識しているので不相応な建物等がある、とのことでした。
この展望台では北朝鮮グッズは展示、販売されていました。ドングリを原料とした麺を買ったが、まだ食べていません。
◎アルバムには19枚の写真があります。∇をクリックするとスタート。マーカーを画面に置くと写真の番号が出ます。
アルバムの写真は、
01 臨津江を渡る電車
02 韓国領、臨津江、北朝鮮
03 鳥頭山統一展望台より北朝鮮を望む(真ん中の高い塔が金日成記念館)
ソウルの街歩きは日本の植民地時代に建てらた歴史建造物です。いずれも修復され、内部も一般に公開されていますが、時間の関係で外観だけしか見ていません。
04、05 貨幣金融博物館は旧朝鮮銀行で辰野金吾の設計です。
06 ソウル図書館、旧ソウル市庁舎、旧旧京城府庁舎です。
07 旧ソウル駅舎、芸術文化交流施設に生まれ変わりました。
朝鮮総督府は景福宮敷地内にありましたが、1996年に解体、撤去された。
現在この場所は、景福宮の無料開放区域で衛兵交代式が行われており多くの観光客が訪れている。
08 焼失した南大門の復元完成は近いようです。
09 新ソウル市庁舎のエントランスホールには大きなTVモニターが置かれていて、独島のライブ映像が流れていました。KBSが生中継しているようです。ソウルは城郭都市でした。最近城郭の復元、修復に力を入れ、ウォーキングコースとしても開放しています。今回は2007年に一般開放された、北岳山ソウル城郭コースです。一般開放されたといってもここは青瓦台の後面、大部分が厳重警戒区域で軍の管理下です。パスポートを提示、許可証をぶら下げてのウォーキングです。
頑丈な石の城郭の外には二重のフェンス、有刺鉄線で、軍の監視員が見張っています。写真を撮る位置、方向も制限されています。
2時間強のウォーキングですが、快晴だったので高台からの眺めはすばらしかったです。終点近くには美味しくて繁盛している餃子専門店があり、ビールと水餃子のランチです。
ウォーキングの出発点までは、地下鉄と市内バスを乗り継いでいきましたが市内バスは初めての乗車です。
降りるバス停の名前は覚えていたのですが聞き取れずにタイミングを失い終点まで行ってしまいましたが、幸い予定の一つ先が終点だったので問題はありませんでした。バスを降りると女子大生が英語でどこへ行くのか聞いてきました。心配してくれたようです。目的地への道を聞いて進んでいたらバスの運転手が追いかけてきて目的地を聞いてきました。同様に心配してくれていました。
10~13 ソウル城郭
12 北大門(粛靖門)
14 餃子のランチ
最後にソウルB級グルメです。
15,16 広蔵市場の屋台で朝食
17,18 南大門市場 カルグッス横丁でウドン
19 カンジャンケジャン(ヤカンに入ったマッコリ」
Kさん,やかんに入ったマッコリとはいいですね。ソウルはハングルの看板しかなくて何の店かもわからず困った記憶がありますが、今の町の有り様は日本と変わりませんね。
阿智胡地亭が最後に韓国に行ったのは昭和55年ごろですから、30年以上たった今の韓国は別の国でしょう。 是非一度行きたいとおもっています。
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北朝鮮関連は、臨津閣公園と鳥頭山統一展望台へのツアーです。臨津閣公園からは、臨津江にかかる北朝鮮/開城への鉄路と板門店への道路が見渡せます。対岸は韓国領ですが一般人の立ち入りはできない。
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開城の工業団地では韓国の資本と技術指導による工場で北の作業員が働いています。工場幹部、技術員は毎日ソウル・・開城を電車で通勤している。電車は1日1往復らしいが、当日昼前に開城方面から電車が来た。現地ガイドは鉄橋を渡る電車を初めて見たと言っていた。
鳥頭山統一展望台は臨津江をはさんで北朝鮮と国境を接してて、展望台からは北の村が見渡せます。
説明によると、
1)この村は軍関係者が大半で、稲作時期になると農作業が始まる
2)一番大きな建物は金日成記念館
3)3階建の住居が建設されているが、未完成も多い
4)韓国から観られていることを意識しているので不相応な建物等がある、とのことでした。
この展望台では北朝鮮グッズは展示、販売されていました。ドングリを原料とした麺を買ったが、まだ食べていません。
◎アルバムには19枚の写真があります。∇をクリックするとスタート。マーカーを画面に置くと写真の番号が出ます。
アルバムの写真は、
01 臨津江を渡る電車
02 韓国領、臨津江、北朝鮮
03 鳥頭山統一展望台より北朝鮮を望む(真ん中の高い塔が金日成記念館)
ソウルの街歩きは日本の植民地時代に建てらた歴史建造物です。いずれも修復され、内部も一般に公開されていますが、時間の関係で外観だけしか見ていません。
04、05 貨幣金融博物館は旧朝鮮銀行で辰野金吾の設計です。
06 ソウル図書館、旧ソウル市庁舎、旧旧京城府庁舎です。
07 旧ソウル駅舎、芸術文化交流施設に生まれ変わりました。
朝鮮総督府は景福宮敷地内にありましたが、1996年に解体、撤去された。
現在この場所は、景福宮の無料開放区域で衛兵交代式が行われており多くの観光客が訪れている。
08 焼失した南大門の復元完成は近いようです。
09 新ソウル市庁舎のエントランスホールには大きなTVモニターが置かれていて、独島のライブ映像が流れていました。KBSが生中継しているようです。ソウルは城郭都市でした。最近城郭の復元、修復に力を入れ、ウォーキングコースとしても開放しています。今回は2007年に一般開放された、北岳山ソウル城郭コースです。一般開放されたといってもここは青瓦台の後面、大部分が厳重警戒区域で軍の管理下です。パスポートを提示、許可証をぶら下げてのウォーキングです。
頑丈な石の城郭の外には二重のフェンス、有刺鉄線で、軍の監視員が見張っています。写真を撮る位置、方向も制限されています。
2時間強のウォーキングですが、快晴だったので高台からの眺めはすばらしかったです。終点近くには美味しくて繁盛している餃子専門店があり、ビールと水餃子のランチです。
ウォーキングの出発点までは、地下鉄と市内バスを乗り継いでいきましたが市内バスは初めての乗車です。
降りるバス停の名前は覚えていたのですが聞き取れずにタイミングを失い終点まで行ってしまいましたが、幸い予定の一つ先が終点だったので問題はありませんでした。バスを降りると女子大生が英語でどこへ行くのか聞いてきました。心配してくれたようです。目的地への道を聞いて進んでいたらバスの運転手が追いかけてきて目的地を聞いてきました。同様に心配してくれていました。
10~13 ソウル城郭
12 北大門(粛靖門)
14 餃子のランチ
最後にソウルB級グルメです。
15,16 広蔵市場の屋台で朝食
17,18 南大門市場 カルグッス横丁でウドン
19 カンジャンケジャン(ヤカンに入ったマッコリ」
Kさん,やかんに入ったマッコリとはいいですね。ソウルはハングルの看板しかなくて何の店かもわからず困った記憶がありますが、今の町の有り様は日本と変わりませんね。
阿智胡地亭が最後に韓国に行ったのは昭和55年ごろですから、30年以上たった今の韓国は別の国でしょう。 是非一度行きたいとおもっています。