阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

東日本大震災が起こった後の [ 2011年08月09日(火)のブログ ] から    「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリー

2023年09月09日 | 東日本大震災ブログ
2011年08月09日(火)
 
米軍機の長崎原爆投下 昭和20年8月9日午前11時02分    アメリカ軍の従軍カメラマンだったジョー・オダネルの写真


アメリカ軍の従軍カメラマンだったジョー・オダネルは長く自宅の屋根裏に封印したトランクを置いていた。

ある契機により、彼はトランクを開いて、自分が撮影した原爆直後の長崎の爆心地とその周辺の日本人の写真を公表し始めた。

彼はアメリカ国内で猛烈な批判を受けたが、それにめげずに各地で実態を話す事が自分に与えられた使命だとして行動した。

 すでに放送されましたが、昨年亡くなったジョー・オダネルの息子が彼の遺志をついで活動を続けています。

その番組の概要をNHK福岡のサイトから引用します。

この写真を含めて彼が撮影した写真はFlickrに掲載されています。」

「今、1枚の写真が注目を集めている。63年前、被爆直後の長崎で撮影されたもので、亡くなった幼い弟を背負い火葬場の前に立つ「長崎の少年」と題された写真だ。

 写真家の名はジョー・オダネル。米海軍専属カメラマンとして原爆投下後の長崎・広島に入り、

その破壊力や人体への影響などを記録するために7千コマの写真を撮影した人物だ。

 事実を告発しようと、軍に隠れもう1つの私用のカメラで400枚の写真を撮影した。その1枚が少年の写真だ。

帰国後、爆心地で目撃した被爆者の記憶に悩まされ、悲劇を忘れようと全てのネガを自宅屋根裏に封印したが、晩年、自身も放射能の影響で余命幾ばくもないことを知り、原爆の悲劇の真実を訴え始めた。

 オダネルの死後も長男が引き継ぎ、父の写真をネットで世界に向けて発信し始めている。番組では、広島・長崎の体験を経た1人のアメリカ人写真家が、原爆の真実を伝えようと踏み切った思いを、残された写真や手記、音声テープからたどる。

 また、ウェブ上で写真の公開を始めた長男の活動と、全米各地から集まる賛否両論のメッセージから、今のアメリカが抱える原爆・戦争に対する心情を描く。」

TBSのサイト「原爆の夏 遠い日の少年」から:

<ジョー・オダネルのコメント>

佐世保から長崎に入った私は小高い丘の上から下を眺めていました。すると白いマスクをかけた男たちが目に入りました。

男たちは60センチほどの深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。荷車に山積みした死体を石灰の燃える穴の中に次々と入れていたのです。

 10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。弟や妹をおんぶしたまま

、広場で遊んでいる子供たちの姿は当時の日本でよく目にする光景でした。しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。

 重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意思が感じられました。

しかも裸足です。少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。

背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。

少年は焼き場のふちに5分か10分も立っていたのでしょうか?白いマスクの男たちがおもむろに近づき、

背中の赤ん坊をゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

 まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。

真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。その時です。

炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気づいたのは、少年があまりキツくかみ締めているため、

唇の血は流れることもなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。

夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去って行きました…。

3、ジョー・オダネルをもっと詳細に知りたい方はこちらへ。

 
 
″原爆の日″に全く触れなかった産経


特集満載の朝日・毎日とは対照的

一部引用・・

この日の朝刊は、全国紙のうち朝日と毎日の2紙は多くの特集記事を組み、「原爆の日」を大々的に取り上げていた。

これに対し、読売と産経はほとんど力を入れていない。読売の場合は一面の小さいコラムだけ。産経に至っては関連記事は皆無だった。

対照的な各社の書き方を比較してみた。(BLOGOS編集部・安藤)

全文はこちら

 
放射線:「除染急げ」 東京大学・児玉アイソトープ総合センター長

放射線:「除染急げ」 東京大アイソトープ総合センター長
毎日新聞 2011年8月7日 21時54分(最終更新 8月7日 22時45分)

児玉龍彦・東京大アイソトープ総合センター長=東京都目黒区の東京大学先端科学技術研究センターで、

武市公孝撮影 「7万人が自宅を離れてさまよっている時に、国会は一体何をやっているのですか!」。

東京大アイソトープ総合センター長の児玉龍彦さん(58)が7月下旬、衆議院厚生労働委員会で国の放射線対策を厳しく批判したことが反響を呼んでいる。

がん治療薬開発のかたわら、「行動する研究者」として福島県南相馬市で除染活動を続ける児玉さんに、政府がなすべきことを聞いた。【聞き手・青野由利論説委員】

 --今回の汚染はこれまでの考え方では対応できないと指摘していましたね。

 ◆私たちの推計では、福島第1原発からの放射性物質の放出量はウランに換算して広島原爆20個分に上ります。

しかも、原爆に比べて放射線の減り方が遅い。少量の汚染ならその場の線量を考えればいい。

でも、総量が膨大な場合、粒子の拡散を考える必要があります。これは「非線形」という難しい科学になり、予測がつかない場所で濃縮が起きる

だから、稲わらによる牛肉のセシウム汚染や、お茶、腐葉土の汚染といった問題が次々出てくる。

 --食品の汚染にどう対応すればいいですか。

 ◆最先端技術を使えば、たくさんの食品の汚染を一度に画像で判定できます。こうした分野で日本の技術は世界一です。

メーカーに聞くと3カ月でできるという。それなのに政府は何の対策も打っていない。これから、コメや海産物の問題も出てくるでしょう。食の安全を支えるために、最新の測定装置を緊急に開発し、各自治体に多数並べ、流れ作業で検知するといった対策が必要です。

 --子どもがいる人は家の周りや学校の放射線にも不安を抱えています。

 ◆被災地のすべての自治体に「測定すぐやる課」と「コールセンター」を置くことを提案します。電話を受けたら、20~30分でいいから、家の周りや子どもが行く場所を一緒に見て回る。線量が高い場所はパッパと除染する。南相馬では、子どもだけを避難させ、家族がばらばらになっている人たちがいますが、海側などでは線量が低く、子どもがいても大丈夫な所はある。それをきちんと見て、緊急避難的な除染は「すぐやる課」が手伝うことです。

 --低線量による内部被ばくの問題は専門家の間でも意見が異なり、混乱が生まれています。

 ◆がんは何十年かの間に複数の遺伝子変異が重なって起きます。チェルノブイリ(原発事故)でも、子どもの甲状腺がんの増加が統計学的に確かめられたのは20年後です。時間がたたないとわからないので、今「安全」か「危ないか」に決着をつけるより、「測定と除染」に徹することが大事です。

 --国会では、局所的な緊急避難的除染と、地域全体を対象にした恒久的除染を分けて実施するよう主張しました。

 ◆子どもたちが安心して暮らせる環境を作るために、幼稚園などで緊急避難的に除染をしています。

でも、側溝を洗った水は環境中に残る上、線量を下げるのにも限界がある。

これらを根本的に解決する恒久的除染は巨大な事業になるので、「除染研究センター」を作り、まず問題点やコストを評価する。

そして日本の総力を挙げ、最高の除染技術を福島に結集する。除染の方法などは住民の意見を取り入れて決める。利権がらみの公共事業にしてはだめです。何十兆円も出して「これしか除染できませんでした」ということは、日本の財政状況では許されません。

 --緊急事態に、国の動きは遅すぎますね。

 ◆私たちは、除染した後の土を残しておけず、ドラム缶に入れて持ち帰っていますが、本来は法律違反です。

現行法が今回のような事態を想定していないからです。旧来の法律で手足を縛られたままで、どうやって子どもが守れるでしょう。

まき散らされた放射性物質を減らすために、法整備をしてくださいと言ってきました。それを4カ月もやらずに、国は何をやっているんですか、ということです。

「食品の汚染検査」「測定すぐやる課とコールセンター」「緊急の除染」「恒久的な除染」、この四つをぜひ進めてください。

 ◇「国会何やってる」 委員会発言、ネットで話題に


 児玉さんは東大医学部卒業後、内科医として臨床と研究の両方に携わってきた。96年から東大先端科学技術研究センター教授としてシステム生物医学を研究、

11年からは同大アイソトープ総合センター長を兼務している。

 アイソトープ(同位元素)を使ったがん治療薬開発に取り組んでいるため、内部被ばくにも詳しい。

原発事故後、福島県南相馬市の依頼で毎週末、現地に足を運び、幼稚園などで放射線量測定と除染作業を続ける。

 7月27日、衆院厚生労働委員会に参考人として出席。食品の放射能汚染で不安が広がる中、

食品の放射線量測定に全力を注がず、子どもたちを守るための法整備も怠っていると、国の怠慢を厳しく批判。

「放射性物質を減らす努力に全力を挙げることを抜きに、どこが安全だという議論をしても国民は絶対信用しない」と訴え、

対策を具体的に提言した。その様子が動画投稿サイトなどで紹介され、話題となっている。

 
 
20110806 原爆と原発 2つの核に翻弄されて
 

「報道特集」より。核と人間は共存できるのか。8月6日、広島の原爆が落ちた日に、広島からレポート。

広島で被爆した人が福島原発から28kmの南相馬市で酪農を営んでいたが、原発事故の影響で廃業した。

原爆関係や「原子力平和利用」キャンペーンの古いフィルムがいくつも流されており興味深い。

20110806 原爆と原発 2つの核に翻弄されて 投稿者 PMG5

 
 
行政.電力マフィアの存在
 

行政・電力マフィアを根絶するか、脱原発か
福島第一原発事故を引き起こした張本人を見誤るな

一部引用・・

しかし、電力消費がピークを迎える夏本番に計画停電の憂き目に遭うことはなくすんでいる。

 計画停電とは結局、原発を止めたくない経済産業省や電力会社による国民に対する「脅し」だったことが徐々に明るみに出始めた。

 経済産業大臣は事務次官と資源エネルギー庁長官、原子力安全・保安院長の3人を“更迭”すると発表したが、

それが本当に更迭なのかどうかは別として、現代の人間社会にとって不可欠の電力を盾に取り、

国民を脅すような卑しい人種には1秒でも早く公務員や政治家を辞めてもらいたい。

 国民を脅す人たちには恐らく意識がないのだろうが、そうした卑しい手口こそが、日本の原子力の安全性を脅かし、

ついには大惨事を生じさせた福島第一原発事故の張本人である。

全文はこちら

 
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