1、中学生のある日、三重県四日市の商店街を自転車で走っていた時、気がつくと道の右側レーンを走るバスと、左側のレーンを走るバスの間で、
バスとバスに挟まれて、センターラインのど真ん中の殆どハンドルの幅しかない空間に自転車に乗った自分がいた。
どちらかに身体が傾いて、バスの車体に少しでも触れたら自転車は転倒していた。
バスはすれ違ったわけだから、その間はほんの短時間だったと思うが、どちらかのバスに触れたら、車輪の下に巻き込まれていた・・。
アホなことをしたもんです。
2、高校生のある日新しく買ってもらた自転車で 神戸市灘区の六甲ドライブウェーを出た石屋川沿いの広い道を猛スピードで走り下りた。
下り坂の道の端は自動車のタイヤで砂と小石が厚く寄せられていて、自転車のタイヤが砂と小石の上でスリップした。
無意識にブレーキをかけてしまった自転車は大きく傾いて、横倒しになったまま道路のセンターラインに向ってに斜めに滑っていった。
そのときだけ、車の流れがたまたま途切れていた。 もしいつものように横を車が何台も走っていたら・・。 アホなことをしたもんです。
3、信州へ行くのに神戸から名神高速道路を1人で走った。フジフィルムの8mm撮影機を持っていったので、名神を運転しながら、
周囲の風景をちょっとだけ撮影しようという誘惑に、かられてしまった。
最初はカメラを右手に持って前方だけを撮っていたが、高速で動く景色が面白くて、つい横の方にカメラをパンしていた。
ハンドルは左手でしっかり握り、真っ直ぐ走らせるようにしていた。
しかしいつの間にか、自分の顔も前方から横に向いて、視線は高速で移動するサイドの景色を見ていた。
横の風景の撮影を終えて前を向いたとき、車は横の敷石に斜めに近づいていて、一段高くなった敷石にタイヤをこする寸前の状態で走っていた。
コンマ何秒か、前に向き直るのが遅かったら、タイヤは敷石に触れてバーストしていた。
右手に撮影機を持って、ハンドルは左手一本だったから車の制御は出来なかっただろう。あやうく側壁へ激突・・。
アホなことをしたもんです。
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4、神戸から紀州へドライブに行った。高速道路が出来る前で地道を走っていく。
目の前に長尺の鋼材を積んだ大型トレーラーがトロトロ走っていて20分ほど追い抜くチャンスが来なかった。
ようやく対面の車も見えない直線道路に出たので、アクセルを吹かして追い抜きをかけた。
トレーラー部分の半分の位置まで車がきたとき、なんと敵さんが幅寄せをかけてきた・・ように、トレーラー部分がこちらの車にふくらんで接近してきた。
よく見るとトラックヘッドは左側に曲がって殆どみえなくなっている。まさかトレーラーが左折をかけるとは思いもしなかった。
左折するウインカーは、こちらが追い抜きをかけてから出したらしい。左折にかかって、後部が右側に大きくふくらんできたのだった。
当たれば、車ごと空中に跳ね飛ばされる。必死でアクセルを踏み込み、赤い布をつけたトレーラーからもはみ出していた長大鋼材に触れる寸前に、なんとか追越が完了した。
定員の5人が乗っていた家族の車内はしばらく声がなかった。
アホなことをしたもんです。
5、台湾の高雄のダウンタウンのホテルから、高雄港へタクシーで向かった。かなり強い雨が降っているのに運転手はスピードを落とさず運転する。
ゆっくり走ってと言おうと思った瞬間、向うからきた大型トラックが十字路でウインカーも出さずに目の前で左折した。運転手はアイヤーと言いながら急ブレーキを踏んだ。
ちょうどタクシーは港への汽車の引込み線のレールの上を走っていたからたまらない。濡れたレールの上でくるっと回転して横スベリを始めた。
タクシーが停まるまでどれくらいの秒数がかかったか知らない。ずいぶん長く感じた。車内で自分はどうしようもなく固まっていただけだった。
車は対向車がなかった対抗車線に行き先と反対側を向いて停まった。
コワイ目にあったもんです。
6、台湾の高雄で日本からお供した会社の幹部の歓迎の宴の2次会で、余興にお客さん側とこちら側の酒の飲み比べをすることになった。
エライ人の代役でその場の一番の若手だった自分がこちら側の飲み方に指名された。酒は次々変わって最後はアルコール度数45度の竹葉青酒clickになった。
宴が果てた時、もう自分は立って歩けず 担ぎ込まれたタクシーを降りた時も ホテルのボーイに肩を支えてもらってベッドに倒れ込んで意識がなくなった。
朝、喉が猛烈に乾いて目が覚めたら 顔の左横にこんもりと吐しゃ物がもり上がっていた。ちょうどその頃 歌手の江利チエミさんが酔っ払って寝て
吐しゃ物がのどに詰まり亡くなったと新聞で読んでいた。そのことがすぐに頭に浮かんだ。枕の位置によっては同じことが自分にも起こっていた。
ルームメイドを呼んで不始末を詫び 洗濯代としていつもより多いチップを払ったが 「日本の人 時々やっているよ」と、特に驚きもしないのに驚いた(笑)。
アホなことをしたもんです(されたもんです)。
7、無人自動台車を10台ほど組み合わせて、大型建材を送り先別に仕分ける出荷製品倉庫内 自動化設備の商談を1年以上続けていた。
この商談は、お客さんの本社が自分の勤務先から歩いて10分の大阪の中之島という場所にあるという、他には二度と無かったケースだった。
お客さんの会社の役員会議で設備投資の最終決裁と、発注先業者の承認がそろそろ出るという頃、会社に来てくれと先方から電話を受けた。
それまでにある感触は持っていたが、最終の言い渡しを伺うまでは、どっちに転ぶかわからないのが、いつも競合会社と技術内容と価格を比較される
企業がお客さんである設備メーカー営業の仕事のツラいが面白いところでもある。
結果は「お宅でやってもらうことで決まった」と部長さんから言ってもらえた。
仕事はいつも営業と技術のチームワークでやっているので、この結果を一刻も早く「チーム バテタヨ」の面々に伝えたく、
取り合えずお礼を申し上げたあと、急ぎ足で会社へ戻ろうとした。
いつもは、その会社の玄関口から10mほど離れた横断歩道を渡るのに、この時は気がせいていたのだろう、隙間無く駐車している車と車の間をすり抜けて、
向う側に渡ろうと身体が半分ほど、一方通行で1車線しかない車道に出たとたん・・、猛スピードの貨物車が鼻先1cmを走り抜けた。
風圧で身体がよろっとしてメガネがずれた。ドライバーは横断歩道に誰もいないのを確認して、アクセルを踏み込んだ所で、加速もついていたのだろう。
まさに時速60キロの車に身体の真横からぶつけられるところだった。一年がかりで受注活動に励んだ○億の設備の内示発注を受けたその日に彼岸の川を渡るところだった・・
アホなことをしたもんです。
8、六甲山に登るカーブした坂で、スピードを出しすぎて曲がりきれない相手の車が、中央ラインをこえて こちらの車の運転席ドアへぶち当たってきたり、
中国道で追い越しをかけたトラックに右にハンドルを切られて、ブレーキをかけても減速せず、鼻先一つで追突を回避したり・・
右折しようとしたらバックミラーにはいなかったタクシーがその右側を猛スピードですり抜けたり。
車では何回も恐ろしい目にあいました。
◎ これらの数多くの「生死紙一重」の体験は、無神論者の阿智胡地亭をして「ひとえに神さんのお陰で生き永らえている」と思わせ、
神社の前を通ると必ず神前で二礼二拍一礼の柏手を打つようになりました。(本間加奈 ホンマカナ?)
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