映画はどんな映画でも「ある意図を伝える、伝えたい」ということで製作される。そういう意味では“中立公正な新聞・テレビ”がこの世に存在しないのと同じく、 映画は全てバイアスがかかって偏見に満ちていると言える。例えば娯楽映画でも何らかの意図がなく、俳優のギャグだけに頼る映画は、面白くないし客を呼べない。 少なくともこの映画は、最初から多くの客を呼べる面白い映画ではない。 以降は弁護士として過ごす)2007年2月に袴田巌」は無罪だと発言したことをベースにして製作された。 つまり死刑判決を下した裁判官自らが、後に「実は被告は罪を犯した真犯人ではない」と発言した、いわゆる「袴田死刑囚冤罪事件」を映画化したものだ。 おそらくこの映画を製作した“高橋伴明”監督の製作意図に賛同して出演したような気がする。 最も大杉漣のように高橋監督とはピンク映画時代からの戦友と言う縁で出た俳優もいる。 同年8月18日に逮捕され、以来一度も拘束を解かれることなく、裁判で死刑判決を受け、30歳当時から74歳の今年まで44年間、死刑囚として刑務所に収監されている。 獄中の袴田は、毎朝、刑務官の足音に恐怖しているうちに(三人の足音がすれば、それは死刑の執行を意味する)拘禁症がすすんで、ついに精神に異常をきたした。 今日も尚、彼は死刑を執行されずに刑務所の独房で人生を送っている。 映画感想ここまで ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- |
◎ 最新の判決では、最高裁が2008年に特別抗告を棄却している。
死刑判決を出すのは、裁判所であるが、実際の執行命令書に署名するのは国会議員から任命された法務大臣だ。
一人の人間を精神異常に追い込むほどの44年という長期間、死刑を執行しないというのは酷いことだと思う。
法務大臣在任中、死刑執行に多くの署名をして朝日新聞に死刑執行人と書かれた鳩山邦夫元大臣も、同じく在任時代に何人かの死刑執行をした森英介元大臣も、
袴田死刑囚の死刑執行書に署名していない。映画をみているうちに司法当局が,これまで時の法務大臣に袴田死刑囚の死刑執行署名を求めない理由は何か?と考えてしまった。
(刑事訴訟法によれば、死刑執行の命令は判決が確定してから6か月以内に行わなければならないが、再審請求などの期間はこれに含まれない。)
☆事件が起きて捜査を担当する警察の前線の初動の視点が狂うと冤罪が起きる。最初が肝腎だが、警察もいつも初動捜査に万全であることはない。
時間がたてばたつほど真犯人捜査は困難になり、そうなれば、警察は当初の予断に基づくシナリオにしがみつくしかない。
一警官から最高裁判所の判事まで、その職についている公務員の面々が、「人を裁いて死にいたらしめる」ことの意味を、ほとんど考えていない・・。
彼らにとっては、事件や公判は、片付けなければならない毎日の仕事で、それをこなしていくだけだ。
しかし、この組織の裁きは「私刑」ではなく、「国家刑」だから、もし冤罪で死刑になった場合は、例え無実であってもくにたみが任せた司法専門職の人たちに、
容疑者は公的に殺されたことになる。そしてこの公的殺人は、携わった誰も殺人罪の咎を受けることは無い。
「お上のやることに間違いはない(官の無謬性)」のであり、いや、それに守られて「間違ってもそれはなかったことにする」にいたる・・。
一人のくにたみとしては、こんな映画は戦前には検閲でとても上映できんかった、こんな映画が製作されて公表されるだけでも一歩前進かなあと思うしかない。
熊本元判事は、退官後に自責の念から、自殺を図るまで追い詰められ、奥さんと女の子二人の家族と離縁するまでになっている。
高橋監督は袴田巌の、そしてもう一人熊本典道の人生を、彼の目を通したドラマで記録に残し、日本の司法制度に携わっているお役人さまたちに迫っている。
チョー真面目な映画ではあるが、さすがテダレ(手練)の高橋監督!要所要所で法曹ムラの住人たちをおちょくるシーンを挿入して笑わせてくれる。
冤罪を司法が起こすと、真犯人は追い詰められることなく逃げ切ることが出来る。
人が自分の身代わりで死刑になろうとも、名乗りを上げることはない人間がいる。この人間の心の闇も恐ろしい。
(7月21日大阪・十三「第7芸術劇場」にて中村隆次さんと観る)
映画『BOX 袴田事件 命とは』予告編
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