一部引用・・・
「何のために生き延びたんだ?」僕を抱きしめて泣いた談志
寺山修司が昭和10年生まれで、僕の3歳上。ミッキー・カーチスが昭和13年生まれで、同い年。阿久悠さん(昭和12年生まれ)も、和田誠さん(昭和11年生まれ)も、僕らは、敗戦時の記憶が人生に強く影響しているんです。
落語家の立川談志(昭和11年生まれ)とは、晩年に仲良くなりました。
「大林さん、鬼畜米英をやっつけることが正義だと信じ、お国のために死んでやろうと思っていたのに、負けた途端に、アメリカの正義が正しいと言われ、何を信じられる? 正義なんて勝った国の都合じゃないか」
談志は、よくそう言っていました。
談志が古典落語を選んだのは、そこに、敗戦で失った日本の良さが生きていたからです。その一つが夫婦愛。だから彼は「芝浜」の名人になった。
談志はがんになった後、「オレなりに努力して、ここまで来た。がんごときに殺されたくねえ。何のために生き延びたんだ? 大林さんなら分かるだろ?」と言って、僕を抱きしめながら泣きました。
中略
マッカーサーの占領政策は“敗戦”を忘れさせた
米国に負けたことを日本人が覚えていれば、将来、米国を憎むようになる。そう考えたマッカーサーの占領政策は、日本人の大人には敗戦を忘れさせ、子供には、戦争などなかったことにする、というものでした。日本人は、米国に負けたことをきちんと教えられなかったと、今も思っています。
今の若い人も、写真を撮る時にピース・サインをします。あれは、戦争に勝った国が勝利を誇示するブイ・サインであり、本来は平和を意味するピース・サインではありません。なのに、負けた国の若者が、何も疑わず、ピース・サインをしている。
この国の民は、戦争について教えられず、何も知らないんじゃないか。そう思うからこそ、僕は映画を撮るんです。
「がんになって初めて学んだのは“優しくする“こと」――大林宣彦が語る「理想の死のかたち」
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