阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

住吉川を河口まで歩く   その2

2009年01月13日 | 神戸あちこち
2.7キロほどの歩道の終点は住吉川の河口です。沢山のカモメがいました。

河口を望む。右の六甲ライナーは無人で運転されていて、JR住吉駅を起点に阪神電車魚崎駅と交わりここから六甲アイランドへ向かいます。正面の高架橋は「阪神高速湾岸線」



喉が渇いたのとトイレを探したかったので、通行中の同じ年恰好の男性に声をかけました。近くに公衆トイレはないがここから500mほど東に歩けばホームセンターがありますよ、私はそこを時々借りてますとと教えてくれました。
住吉川の橋から左に歩きだすと酒蔵のような建物がありました。

「剣菱酒造」の蔵でした。

そこを通り過ぎると見た事があるホームセンターと、その向かい合わせに大きなスーパーがありました。そういえばここにはかなり前に車で通りかかったことがある、と思い出しました。住吉川河口と位置関係がこんなに近いと初めて今回知りました。前回車で通りかかった頃は、造り酒屋の蔵が阪神淡路大震災で軒並み崩れ落ち、周囲はまだ整地されていない場所もありましたが、今見ると跡地に大規模なマンションがずらっと立ち並び、当時を思い起こす風景はどこにもありませんでした。ペットボトルを買ったスーパーは買い物客で溢れるくらい賑わっていました。数え切れないほどのマンションが建って、相当な人口集積がすすんでいるようです。  続く
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島のサルたち  Isabonと奥方のマダガスカル個人旅行 その4

2009年01月13日 | ゲストルーム
バオバブの木の実物は一回見てみたいですが、これらのおサルさんにも会ってみたいもんです。
上下の画像は最近テレビでよく放映されて知られてきたシファカ。

輪尾キツネザル

インドリ

ネズミキツネザル(よく見てください、マナコが光ってます)

茶色キツネザル

Isabonさん、さすが旅にいいガイドを選ばれたようですが、サルたちにそう簡単に巡りあえたとは思えません。そんな中で見事なショットをものにされましたね。
続く
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住吉川を河口まで歩く   その1(改訂)

2009年01月12日 | 神戸あちこち
1960年代、神戸市が神戸株式会社と囃されていた頃のこと、神戸市は住吉川の上流に「渦が森団地」を造成しました。造成の為大量に掘削された土砂の輸送方法がユニークでした。
 海中に造成された「ポートアイランド」や「六甲アイランド」の埋め立て用土砂は、六甲山の西部から切りだされましたが、土砂は須磨海岸まで長距離地下コンベヤー方式で輸送されました。市街地、国道2号線、JR、山陽電車が走る狭いゾーンを直角に横切る24時間稼動の道路を作るのは物理的、社会的に不可能だったからです。須磨海岸でプッシャーバージに積み込まれた土砂は造成予定地に運ばれ、船底を開いて24時間土砂を海中に投下しました。
 「渦が森団地」の掘削された土砂はその方式を取らずダンプカーで運ばれました。地下トンネル建設のコストよりはるかに安価に土砂を輸送することが出来たそうです。つまり住吉川の河川敷の両側にダンプ専用の道路を作り、片側は満載したダンプ、もう片側は空荷のダンプが走る。信号も踏み切りもない一方通行の道路をダンプが疾走したもんです。そのダンプ専用道路が今は「ジョギングロード」として開放されています。ジョギングをする人、散歩する人、犬の散歩を日課でする人で賑わっています・・ということに先日「白鶴美術館」へ20年ぶりくらいに行ったとき気が付きました。そこで昨日初めてこの道を上流から歩いて見ました。
上の画像は下流方面。
こちらは上流方面。

この真下をJR神戸線が走っています。四日市の港中学で地理の時間に、豊田先生から習った「川には天井川という川があって、鉄道線路の上を流れる川もある、この写真は神戸の住吉川やわさ」というその場所に自分が立っているのも面白いことです。

道は国道2号線の下も通っていきます。

川の中を良く見るとメダカなどの小魚が沢山泳いでいましたが、そのせいかこんな鳥もいました。

しばらく歩くと「六甲ライナー」の駅が右上に、正面には阪神魚崎駅が見える場所にきました。

車の心配もなく歩く人、走る人、水辺で遊ぶ人、沢山の人が楽しんでいました。次回は河口周辺から御影郷・魚崎郷などの酒蔵風景などを。
 それにしても元日に立てた「1日1万歩を歩く」という“ちかい”のお陰で自分として歩いたことがないルートを見つけました。この日1日の漫歩計の数字は12793歩でした。
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これがバオバブ街道だ  Isabonと奥方のマダガスカル個人旅行 その3

2009年01月12日 | ゲストルーム
小さな王子様が住んでいたお星さまには、木といえばたった一本バオバブが生えているだけでした。それがなんとマダガスカルでは街路樹になるほどあります?!

水草は日本の河川でも悪さをしている繁殖力の強い布袋葵のようですね。
 
空から見たバオバブ街道。



この木は「旅人の木」だそうです。全体にたっぷり水分を含んでいると聞いていますが。

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訪ねた街やみかけた人たち  Isabonと奥方のマダガスカル個人旅行 その2

2009年01月11日 | ゲストルーム
「マダガスカルはアフリカ大陸の南東部から、モザンビーク海峡を隔てて392キロメートル東のインド洋にある島国。正称マダガスカル共和国Rpublique de Madagascar。世界第四の大島マダガスカル島と沿岸の小島からなる。面積は日本の1.56倍にあたる58万7041平方キロメートル、人口1597万(2000推計)。首都はアンタナナリボ(旧称タナナリブ)。」詳しくは こちら。 
お二人が訪ねた街や村や海岸の名前は旅行記を見てもらうとして、その画像を掲載します。
ベレンテイへ



フォートドフィンの街

バオバブカフェ

ナハンブアナの宿

tana空港

空港周辺






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バオバブの木  Isabonと奥方のマダガスカル個人旅行 その1

2009年01月10日 | ゲストルーム
2007年09月28日~10月17日の間、知人のIsabonさんが奥方と2人でマダガスカルを個人旅行で訪ねたことを知りました。バオバブの木やいろんな種類のキツネザルの実物を見られた羨ましさに、写真掲載を依頼したところ心良く了解してもらいました。今日はシリーズ第一回目(BAOBABその1)です。なお画像のネーミングは全てIsabonさんによります。トップの画像は「夕陽のBAOBAB」
「聖なるBAOBAB」

「町そばのBAOBAB」

「愛し合うBAOBAB」

旅行記の「悲しくも哀れで、それでいて愉快なマダガスカル旅行」は貴方をその場にいるような気にさせる傑作旅行エッセイですが、長文ですんで印刷して読まれることをお勧めします。こちら

書き出しの一部ですが・・

しょぼくれたおっさんの、
悲しくも哀れで、しかも、愉快なマダガスカル個人旅行(その不安な計画と実行)
旅の経過だけ見たい人は、序章を飛ばして3から読んで下さい。

1、何故、マダガスカルか 若しくは、何故マダカスカルへ?の序章
僕は元々、地球の果、土田舎のマダガスカルなんぞに行くよりは、イタリヤやスイスに行く方が好みである(我ながらかっこええなあ)。なぜなら、それこそ大変な決心と苦労の末に、その周辺には何度か個人旅行をして、土地感、交通網とか、どう身を守るかとか、特に食事は、どんな物をどのように注文して食えば良いのかとか、生きて行く上での、もろもろの事柄を習得して、異国のあれこれへの恐れも漸く克服し、かなり気楽に旅行できる状態になっているからだ。
だが女房殿は、亭主のこんな苦労と、その結果得られた、かくも貴重な安心感を無視して、ただ一言、「同じ所に行くのは面白くない」、と、のたまわった。ひっ、ひどいなあ。
そうして、悲しくも僕はそんな主張に唯々諾々と従う性格の弱いタイプで、女房殿の主張するペルーとか、ガラパゴスとか、個人旅行するにはかなり恐ろしげな国々の中から、まだ最も安全そうに思えるマダガスカルを選択することとなってしまったのだ。
つまり、僕には、特にマダガスカルにこだわる理由はないが、やむを得ずマダガスカルを選んだに過ぎないのが実情なのだ。ようするに悲しい性の為せる業と言えるだろう。
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白鶴美術館は正月閉館中でした。

2009年01月09日 | 神戸あちこち

何十年ぶりかで白鶴美術館まで歩いてみました。もう前はいつ来たかということも覚えていません。

阪神御影からJR住吉を通って渦が森へ行く神戸市営バスに乗れば、白鶴美術館前というバス停があります。





美術館を背にして大阪方面を見ました。住吉川の向こう側、ヘルマンハイツから西岡本と住吉川のこちら側の住宅地の変遷振りにはびっくりしました。
そういえば震災以降このあたりに来たのは初めてですから当然かもしれません。


 その昔、開館中のある夏にここでデートしたことがあったのを思い出しました。夏は内部が涼しく人も少なくて、ゆっくり珍しい展示品を見る事ができました。

白鶴美術館参照、

一部引用;「白鶴美術館 (はくつるびじゅつかん) は、兵庫県神戸市東灘区にある、東洋古美術を中心とした私立美術館である。

白鶴美術館は、白鶴酒造の7代目嘉納治兵衛(1862年 - 1951年)の収集品を展示するため、1931年(昭和6年)に財団法人白鶴美術館が設立され、1934年(昭和9年)から公開されている。藤井斉成会有鄰館、大倉集古館、大原美術館、根津美術館などとともに、第二次世界大戦以前からの歴史をもつ、数少ない美術館のひとつである」

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「灘目の水車」が再現されていました。

2009年01月07日 | 神戸あちこち
文禄三年の文字がある石仏の上の方に歩き出すと大きな水車がありました。「灘目の水車」だそうです。江戸時代住吉川には最盛時88基もの水車があったそうです。
「JR住吉駅から、有馬道を北上すると山田会館裏に「山田太郎・次郎水車」が2基ある、この水車は水車産業が盛んだったころを再現し造られました。
 六甲山地の南側を流れる住吉川は急流であるため古くから流域に水車業が発展し、明和7年(1770)油絞り株によって製油が幕府から認められると、それまでの人力絞りを圧倒して水車産業は有力な産油地になりました。  『摂津名所図絵』には「名産灯油、葦屋、野寄、住吉、五毛、熊内の五村、山水を樋にして水碓を以てそれを製す」とあります、少し前の登山地図には住吉川流域に四輌場・五輌場・八輌場などの地名が残っていました。」全文はこちら



このまま上って行くと白鶴美術館がありますが、そろそろ疲れたという相方の声で道を左に取って歩いていくと、この間も通りかかった旧武田邸、現在は武田薬品が所有者である「武田資料館」の前に出ました。

この近くにある「乾邸」はいまや貴重な戦前の洋風建築物ですが、相続税で神戸市に物納されたあと、取り壊されることになりました。しかし民間有志の保存運動のおかげで何とか維持保存の方向にあるようです。
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文禄3年の石仏がありました。

2009年01月05日 | 神戸あちこち
弓弦羽神社に初詣をした後、山側の道を白鶴美術館の方角へぶらぶら上がっていきました。
こんな石仏があるのに気が付きました。




このあたりは六甲山の南斜面で日当りが良く、水も花崗岩を縫った豊富なおいしい水ですから、遠い太古の時代から人が住んでいたのでしょう。
織田や豊臣、徳川の武士たちが覇権争いをしていた頃、当地にはゆうゆうとこの石仏を彫っていた石工もいたんだと思い浮かべると、何とはなしに嬉しくなって仏さまに手を合わせました。

国内外で有り難い聖人像や仏像を拝観させてもらう時には、その像を作らせた名家や大富豪またやんごとなき方々のお名前や、注文を受けてそれらの像を作った名人上手の名前を知る事が出来ます。しかしこういう野に置かれた地蔵や仏にも無名の作者がいて、遠い昔に刻んだ鑿跡がこうして残っていることの方に心が動かされます。それは自分が代々職人の家の血を引いているからかも知れません。
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阪神御影,JR住吉、阪急御影の3駅はトライアングル

2009年01月04日 | 神戸あちこち
飲んで食ってばかりなのでこれはいかんと、1月3日に万歩計をつけて一万歩を目標に歩きました。まず阪神御影駅を目指しました。駅の山側にあった市立御影工業高校の跡地に出来たショッピングモール「御影クラッセ」。昨年半ばにオープンした当初は賑わっていましたが、1月3日はお客の数は普通でした。駅の浜側も覗いてから2号線を東に歩きJR住吉駅近くの本住吉神社に参拝しました。

住吉駅ビルへ渡るデッキから三ノ宮方面に六甲山がよく見えました。

駅ビルのシーアで缶酒の菊水と、途中で携帯が鳴って相方から頼まれたバゲットと馬鈴薯を買って有馬道商店街を歩きました。

昭和33年の8月ごろ四日市市から引越して5年ほどこの有馬道のそばの室の内に住んでいましたが、その当時からあるケーキ屋さんがまだ健在です。店主は神戸洋菓子組合の理事長をしていたこともあるそうです。今は老夫婦二人で店をやっておられます。神戸はビッグネームの洋菓子ブランドも多いですが、こういう町のケーキ屋さんが多いのには驚きます。そしてまたそのケーキがそれぞれおいしい。

有馬道を上がって山手幹線を西へ歩き、平生記念館のところから山側に右折し、香雪美術館(旧村山邸)の横を通り阪急のレール沿いに阪急御影駅まで歩きました。

阪神,JR、阪急の三つの駅をぐるっと歩き、家に帰ると万歩計は10635歩でした。
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ヒマラヤ雪ノ下が咲きました

2009年01月02日 | 花・草・木・生き物
淡いピンクの小さな花がいつのまにか咲いていた「ヒマラヤ雪ノ下」。
つぼみも色づいていました。

ほかにはランタナ、瑠璃茉莉も花が残っていますが、四季咲西洋ツツジも冷たい外気の中で咲いています。

アロエの二つの花のうち大きい方はほぼ満開だと思います。



山茶花のセミの抜け殻は昨日の夜の強い風にも落ちていませんでした。
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新蕎麦打ちたて

2009年01月01日 | 食べる飲む
富士宮市で仲間と二反歩の蕎麦畑で蕎麦を作る義弟が正月に帰省して、新蕎麦を打ってくれました。熱い鴨汁につけて食べたら、ザル3枚分があっという間に腹に納まりました。静岡県の中でも山梨県に近い富士宮市には、昔から蕎麦食文化があるそうです。
 ところで彼のHPには四季それぞれの富士山をはじめ、美しい動植物の写真が満載です。
こちら
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恭賀新年

2009年01月01日 | 身辺あれこれ
零時になったら神戸港に停泊中の全ての船舶が、新年を祝う汽笛をボーッと鳴らして新しい年が明けました。近くのお寺からの除夜の鐘と船の汽笛が不思議な共鳴をして聞こえています。

今年もどうぞよろしくお願いします。
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