9歳の時学校のブラバンでたまたま当たった楽器がアルト・サックス。そして24歳の今、すでに15年のキャリアがあることは、ステージの彼女の語りで知りました。こちら
画像は開演前の小ホール全景(兵庫県立技術文化センターHPから)と当日のセッティング(ロビーのモニターから)
サックスの音色が流れ出してコンマ5秒、もしかしたら際物かも?の不安は吹き飛びました。
彼女は前半、シックな黒のドレスに身を包み、後半は明るいミニでオーソドックスにして華麗な今様のモダンジャズを聞かせてくれました。
往時の「デーブ・ブルーベック カルテット」のように、ダークスーツにきちんとタイを結んだ河合代介(Org)、細野よしひこ(G)、田井中福司(Ds)との共演とその中のそれぞれのアドリブには血が揺れました。
ふだんはアメリカ在住の田井中は、Lou Donaldsonのレギュラードラマーとして24年活動中で、矢野沙織の生まれてから、これまでの年月をアメリカでモダンジャズのドラムを叩いてきました。これからモダンジャズを聴く時、彼の演奏が私の中のドラムの基準となると思いました。外人である田井中がアメリカの民族音楽であるモダンジャズの演奏家として、アメリカで受け入れられてる理由の一端を、そのアドリブで知ったような気がします。
彼のステージでの話の中の、はじめてLou Donaldsonに出会ったとき、「Japanese drummer can't swing」とにべもなく言われたというエピソードが印象的でした。
「なにが悲しうて日本人のドラマーとジャスやらなあかんねん」という、向こうから見ればそう思ってごく当たり前のセリフを投げつけられたようです。
CDで聴く音楽も好きですが、やはりこうして時々会場で生演奏を聴くと五感全部が活性化する。もしかしたら、外れかもと思いながらも出かけたコンサートでしたが、シニア料金の映画5本分と同等に楽しみました。会社帰りの熟年男性が250人の聴衆の中に相当数いたのは、モダンジャズの原点であるビーバップのファンがこの年齢層に多いということなのでしょう。
YouTubeから、あるステージの矢野沙織の演奏を:
Saori Yano "I & I" feat. Shinji Akita Trio
船橋の姐さんから便りを頂きました。
「どんどん、春めいてきました。下を見下ろせばの風景です。
間もなく桃や、桜が咲きます。お訪ね大歓迎です」
返事を書きました。
「なんと美しい!!!。昨秋いちど伺っていますので、この春への変化に大感激です。
画像を見ているうちに、急に小学校の国語の教科書に「菜の花と小娘」という短編小説があったことを思い出しました。教科書にその一部が載っていました。志賀直哉作だったと思います。
朗読に挙手したら指されて読んでいくうちに、小川に流された菜の花の「こわいわ、こわいわ」と言うセリフを女の子のように読んだようで、クラス中に笑われて真っ赤になったことを思い出しまし た!!。
追伸:「菜の花と小娘」をネットで検索したら、朗読のHPがありました。こちらです。」
日曜日のバースは荷役もお休みでがらんとしていました。
韓国や中国の港湾のコンテナーヤードは24時間稼動・休日なしで、しかも接岸料が安いとか。
このようなクレーンをその昔海外に売り込んでいた人間としては、船が接岸せず荷役がない状態を見るのはツライものがあります。
六甲アイランドのマップはこちら
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ワレニウス・ウィルヘルムセン・ラインズ(Wallenius Wilhelmsen Lines)はスウェーデン/ノルウェーに本拠を置く海運会社。
1999年、スウェーデンのワレニウス・ラインズとノルウェーのウィルヘルムセン・ラインズが合併して新たにワレニウス・ウィルヘルムセン・ラインズとして発足した。
車両貨物や重機械の輸送に強みを持ち、特に自動車船部門では年間取扱量が海上輸送では200万台、陸上輸送では380万台にのぼりるなど世界最大級。
オスロとストックホルムに本社機能を置き、ニューヨーク、東京、シドニーに主な海外拠点を持つ。世界各地に3,200人の従業員を抱える多国籍企業である。
船橋の姐さんの札幌にお住まいのご友人からの「鹿便り」です。「3月11日の夕方、自宅マンションの裏の山の斜面に鹿が2頭、何かを食べているのに出会いました。 最初見つけた時は2頭でしたが、
その後全部で12頭、現れました。雪が解けて地表が出てきたところへ集まってきたのか、草などをしきりに食べていました!!30分ほどいて、山の上の方へ戻っていきました。
リーダーは群れの背後でじっと見ていました。
2006年にも同じ場所で一度見たことがありますが、そのときは7頭くらいでした。
エゾジカだと思います。写真だけを見た方は、凄い山の中に住んでいる、と思われるでしょうね。確かに山の麓ですが!!」
☆家の近くに出るイノシシ親子とは違って、野生の鹿の画像は迫力がありますね。ありがとうございました。
なお、2008年にお借りした札幌の珍しい「まくれ雪?現象」の画像はこちら。
神戸は幕末の開港で居留地が出来て以来、外国人が住み着いた貿易港の町ですが、一方、富国強兵の国策に合わせて出来た重工業産業都市でもありました。川崎製鉄、神戸製鋼、三菱重工、川崎重工、三菱電機などの大型工場が港湾に面して林立し、その下請け中小企業の町工場群が市のあちこちにありました。そして神戸からは鉄製品・大型船舶・車両などが産み出されていきました。阪神大震災のあと川崎製鉄葺合工場は閉鎖されましたが、神戸製鋼灘浜工場は高炉が稼動し、関西電力へ売電をしている発電所から日々白い蒸気が立ち昇っています。昭和43年に親が現在地に住むようになってから長い間、風向きによっては、二つの製鉄所から赤い粉塵が六甲山麓へ風で流れてきて、うっかり洗濯物が干せなかったそうです。それももう昔のことになりました。
画像は高台から見た神戸製鋼の工場や街並み、神戸港東部の一部です。歩いて帰るルートとは別に、昨日は散髪に行った阪神御影からバスで高台まで上がり、そこで撮影してちょっと遠回りして歩いて帰りました。
ここから10分ほど急な坂と階段を歩いて降りました。
帰宅した夕飯は、ひな祭りの「ちらし鮨」が待っていました。