神戸は幕末の開港で居留地が出来て以来、外国人が住み着いた貿易港の町ですが、一方、富国強兵の国策に合わせて出来た重工業産業都市でもありました。川崎製鉄、神戸製鋼、三菱重工、川崎重工、三菱電機などの大型工場が港湾に面して林立し、その下請け中小企業の町工場群が市のあちこちにありました。そして神戸からは鉄製品・大型船舶・車両などが産み出されていきました。阪神大震災のあと川崎製鉄葺合工場は閉鎖されましたが、神戸製鋼灘浜工場は高炉が稼動し、関西電力へ売電をしている発電所から日々白い蒸気が立ち昇っています。昭和43年に親が現在地に住むようになってから長い間、風向きによっては、二つの製鉄所から赤い粉塵が六甲山麓へ風で流れてきて、うっかり洗濯物が干せなかったそうです。それももう昔のことになりました。
画像は高台から見た神戸製鋼の工場や街並み、神戸港東部の一部です。歩いて帰るルートとは別に、昨日は散髪に行った阪神御影からバスで高台まで上がり、そこで撮影してちょっと遠回りして歩いて帰りました。
ここから10分ほど急な坂と階段を歩いて降りました。
帰宅した夕飯は、ひな祭りの「ちらし鮨」が待っていました。
画像は高台から見た神戸製鋼の工場や街並み、神戸港東部の一部です。歩いて帰るルートとは別に、昨日は散髪に行った阪神御影からバスで高台まで上がり、そこで撮影してちょっと遠回りして歩いて帰りました。
ここから10分ほど急な坂と階段を歩いて降りました。
帰宅した夕飯は、ひな祭りの「ちらし鮨」が待っていました。