新しい大阪駅を駆け足で見てきました。ここが大阪??という洒落れた空間がホームの上に
出来ていました。とりとめのないランダム配列ですが。
大阪は九条の映画館「シネ・ヌーヴォ」で白川和子さんの女神ぶりに再会したあと
地下鉄九条駅から戦後すぐからあるような商店街をぶらぶら突き抜けて歩いてみた。
商店街が終わってもう少し先まで歩くと「源兵衛渡」という名板がかかっている
交叉点に出た。しかし見える範囲には川がない。どこかに渡船が今もあるのかと
思って前を見ると、何人かの自転車の人が自転車と共に開いたトビラの中に入っていくのが
見えた。あれだなと思って近づくと大きなエレベーターがあった。以下画像でどうぞ。
後で写真を見ると遠くにJR大阪環状線のガードが写っていた。
地下道を歩いて向こうのエレベーターを上がったが安治川はやはり高い堤防があって川面は見えなかった。
さて戻るかと思ったが、目の前の道をとりあえず歩き出すとすぐにガードが見えて、そこは
JRの西九条駅と阪神なんば線の西九条駅だった。知らないうちにJRの一駅間を歩いたことになった。
デジタルカメラを持ち歩くと、こういう思いがけない街中の小旅行をすることがあって止められない。
Wikipediaから引用:
安治川で忘れてならないのが、河底トンネルである「安治川トンネル」の存在であろう。日本初の、沈埋工法によるトンネルである。
安治川の両岸は特に往来が盛んで渡船航路も多数あったが、安治川での各渡船運航は困難を極めた。と言うのも、安治川は河川舟運の重要航路で運搬船が頻繁に行き交い、渡船はその航路を横に遮るからである。一方で船舶の高さ限界との関係から、架橋も容易でない。可動橋案も出たが、やはり舟運との兼ね合いで却下となった。
このため昭和初期、全国でも類を見ない河底トンネルが計画された。特に渡航量の多かった源兵衛渡跡に1935年(昭和10年)から建設が始められ、戦時中供出された鉄材を受けてまで工事は進み、1944年(昭和19年)に竣工した。約14m下にある川面下の通路まで、両岸のエレベーターや階段で降りる方式。かつては人用の他に車両用エレベーターもあった(排ガス問題などにより1977年に閉鎖され、ゴンドラの入口が封鎖された状態で残されている。車両用エレベーターを閉鎖した後にスロープ型のトンネルに改造する計画があったものの、地元住民の了解が得られず頓挫したという説もある)が、安治川への架橋が進んだ現在では、歩行者・自転車用のみが両岸1台ずつ運行されている。歩行者・自転車用の通路は幅約2m、長さ約80mになっている。渡船と同じく利用料は無料で、朝夕のラッシュ時には1時間あたり約250人の利用者があると言われている。なお、エレベーター運行は午前6時から午前0時までであるが、階段は24時間開放されているので、階段を昇降可能な歩行者ならいつでも通行できる。階段にスロープはない。
以前は防犯面などを考慮して両岸のエレベーターには運転者がついていたが、大阪市の財政難のためエレベーターを無人化にする代わりに防犯カメラが増設された。現在トンネル内の警備は民間の警備会社に委託されており、朝夕のみエレベーター内に操作係を兼ねた警備員が立っている(日中のエレベーター内は無人、トンネル内を警備員1人が巡回)。
両岸にはエレベーターのための塔がそれぞれ立っており、JR西日本大阪環状線西九条駅~弁天町駅間の安治川鉄橋からなどの遠方でもよく見える。現在は隣接して阪神電気鉄道阪神なんば線の安治川橋梁が架けられている。安治川トンネルへのアクセスは、大阪環状線・阪神なんば線の西九条駅から南へ300m。阪神なんば線・大阪市営地下鉄中央線の九条駅から北へ700m。
阪急六甲から歩いて15分ほどの高台にある神戸松蔭女子大学の土曜講座をのぞいてみました。
土曜講座はひさしぶりに参加しました。お題は「電子メディア時代の雑誌・出版文化」。
電子書籍は今のところ携帯のマンガが圧倒的で、家庭にビデオを広める拡販ツールの先兵となったのがアダルトビデオ
だったのと同じように、現在はまだ成人用コミックやボーイズラブ・ティーンズラブ物が殆どで、一般書籍を電子ブック
で読む人はまだほんの少数だそうです。本は商品化して売れるか売れないかだけが物差しとなり中身が劣等化したが、
これからは本は本来のあるべき姿(伝えたい事を書く)に戻り、口コミなどで大切な本が少部数でも売れる時代に入る
のではないかとのことでした。つまり電子書籍時代になっても紙の本は決してなくならないだろうと。
終わってからJR六甲道まで約2kmぶらぶらと坂を下りました。ほぼ50年ほど前に毎日通っていた道ですが、
(その当時は女子大は灘区の青谷にあり、女子大生の姿を見ることはありませんでした。)
震災以降特に道の両側が整備され、マンションも多く建ってもう全く別の街を歩いて下りているような感じです。
ただ六甲学院の男子生徒が今は白い風呂敷ではなく、通学カバンでしたが、通学している姿は、当時も途中まで
同じ通学路だったのでなんとなく懐かしい。
開始15分ほど前の教室。始まる時間には40数名の受講者数になっていました。
鬱蒼とした大木も切られてしまい、遠くに前には見えなかった神戸のダウンタウンが見えました。
〇 白鳥の湖 中国サーカス団 http://www.youtube.com/watch_popup?v=GsTqmEeBKhw&vq=medium
〇 ロミオとジュリエット 現代カナダ版 http://youtu.be/9x0Um6r1hoo