奄美 海風blog

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赤尾木 風変わりな墓 &夏から冬へ

2004年12月05日 | 歴史 民俗

041205-shisekibo日本南の島に秋はないのか、と思わせた、今朝10時の名瀬の気温18.9度。風強く、冬到来を実感。(昨夜19時の気温25.4度)
そんな中、またまた龍郷町赤尾木へ行きました。

地元の人が「ハヤ」とよんでいるという風変わりな墓の写真を撮りました。
墓の上の盤石の長さは縦、横2m、1mくらい。畳一枚より少し大きい。石の厚さ2~30cmくらい。大、小いくつかあった。
他にもあるものの内、これは最大だという。
クワズイモ、ガジュマルの奥は畑、民家。前の道路は目の前の浜で行き止まり。海ではウィンドサーフィン。

説明版(昭和52年)には、(人骨を入れるために板石で囲いをしたもの)とあった。
「約300年前から明治初期まで続いたと思われる}との説明も。
これは板石墓という説明なのだろう。

これが、考古学上の支石墓=ドルメン(ドルは卓、メンは石)だとして、朝鮮人のものであったとすれば、話は弥生時代におよび、東シナ海文化圏へと、ロマンに満ちてくる。
お墓の歴史
弥生時代の墓制
長崎県原山ドルメン

ヒントは柳田國男 海上の道、子安貝、朝鮮西岸から中国東岸を南下する寒流。
海あるがゆえの「離島苦」は古代人の考えではない。海は未知の世界への羽ばたきの場であった。

支石墓という言葉は、前田長英著『道の島史論』奄美の歴史を考える 奄美文庫平成5年3月発行 で知りました。
その他の前田長英著書 『潮鳴島』 『徳之島の昔話』 『黒糖悲歌の奄美』 『黒糖騒動記』

歴史なんか知らなくても、目の前の海の風景を眺めるだけで、南の島の旅のロマンは十分味わえます。

目の前は、隕石落下で出来た奄美クレーターです。

大きい写真で見る 2006.04.13
An odd grave site near Akaogi-beach 龍郷町赤尾木海岸近くの風変わりな墓