奄美 海風blog

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笠利町 アマンデー(奄美嶽)

2004年12月21日 | 歴史 民俗

041221-amamidake

ネタ本は、籾(もみ)芳晴著 『碑のある風景』~足でまとめた奄美大島史~ 南海日々新聞。

まずは、笠利町「アマンデー」(奄美嶽)に行きました。
これは、観光案内看板や、名瀬市・奄美大島観光物産協会発行の『風は南から』というパンフの地図にも載っています。

名瀬から、奄美パーク少し手前、節田(せった)で県道を左折。すこし行くと、阿麻弥姑(あまみこ)神社。

そこから、少し行った、平(たいら)という集落の入り口付近の案内標識を右折。
防衛庁専用道路を登る。昔懐かしい「警笛鳴らせ」の道路標識がいくつもある、くねくね坂道は、しかし、とても手入れが行届いている。
「なんか、いままでと雰囲気違いますね。」なのは、登り切った、行き止まりに「航空自衛隊 奄美大島分屯基地」があるからだろうか。大刈山です。

その少し手前の「アマンデー入り口」の矢印看板を右折します。駐車場で車を降り、歩きます。
「さっき、インターネットで見たんですけど、ここは”神高い”山なんですね。そういわれてみると、ワー・・・。」とか言っているうちに、ここが「奄美嶽」。あたりをみわたせる高台です。

石碑には「阿摩美姑最初天降地」とあります。(写真向こう側)
碑は明治34年、町内の有志が建立。町の文化財指定は昭和40年9月。

阿摩弥古(あまみこ 女神)と志仁礼久(しにれく 男神)の二神が奄美の島々を造ったという開闢神話は宇検村の「湯湾岳」にもあります。

神話時代から、やがて輝く奄美の時代、黒潮の海の時代へと続く。

余談
女神男神の順は、奄美島唄「行きゅんな加那節」の「あんま」=母さんと「じゅう」=父さんの順と同じ。

ここからは、平、節田、和野のサトウキビ畑が見渡せ、奄美パーク、奄美空港滑走路、蒼い海、さんご礁に砕ける白い波、その沖には喜界島も見えます。さらに、奄美大島太平洋側の、住用村、瀬戸内町の岬も見えるという「お得な」ビューポイント。
見て帰ったら奄美通になった気分。昨日は曇り時々雨でした。
自分の乗る飛行機の着陸の様子を見る→山をおりる→空港でレンタカーを返す→搭乗手続き も可。空港まで10分くらい。