奄美 海風blog

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笠利町津代の戦跡へ

2004年12月23日 | 歴史 民俗
041223-tusiroここはマングローブパークではありません。笠利町手花部(てけぶ)の津代(つしろ)への入り口付近です。地図
津代は、1609年(慶長14年)に薩摩の琉球「征伐軍」が、最初に侵攻したという湊があるところです。奄美の史跡めぐりには欠かせないところなのですが、あまり知られているところではありません。旧暦3月4日山川港出港。総勢三千余、兵船百余艘(異説あり)。六日悪天候、隊伍乱れる。「七日之甲之刻程ニ」津代着、「次日八日打廻シ(戦闘)」。その後、3月15日焼内湾(宇検村)薩船三十五艘、そして徳之島、沖永良部、と向かう。3月25日薩軍主力部隊、沖縄北部の運天港着。
藩は奄美の、サトウキビ(黒糖)に後で大いに助けてもらったはずなのですが、わが愛すべき鹿児島県は、いまだにわが国でも指折りの・・・(う、またSyunnさんにオコラレマイかも)。
その後260年あまり続いた薩摩藩の統治は、期間を通じて一様だったわけではなく、島々によっても違いました。奄美が一様ではないことは、島伝い観光のお客さんからも教えてもらいます。奄美の魅力のひとつです。
砂糖の甘い汁は、「以後藩はない」と覚えた、あの廃藩置県(1871年明治4年)後も吸われ続け、黒糖悲歌はやみませんでした。その前後の顛末は、現在の奄美を考える際にもオモシロイところなのだ、そうです。キビの刈り取りは一部で始まっているところもあり、出荷作業は年が明けには本格化します。

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