奄美 海風blog

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デイゴ 見ごろ つづく

2008年06月05日 | 日記・エッセイ・コラム

080605deigo1

デイゴは、いつが盛りか、わかにくい。

それが魅力かも知れない。

以下、写真 と 文は 過去記事の貼り付けです。

徒然草 吉田兼好google 鎌倉時代 1330

080605deigo2_2 つれゞ草 下
第137段 花は盛りに

 
花は盛りに、月は隈(くま)なきをのみ見るものかは。
雨に向かひて月を恋ひ、垂れ込めて春の行衛(ゆくへ)知らぬも、なほあはれに情け深し。 咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ、見どころ多けれ。

歌の詞書(ことばがき)にも、
「花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ。」とも、
「障(さわ)ることありて、まからで。」なども書けるは、「花を見て」と言へるに劣れることかは。花の散り、月の傾くを慕(した)ふ習ひはさる事なれど、殊(こと)にかたくななる人ぞ、
「この枝、かの枝、散りにけり。今は見所なし。」などは言ふめる。
 よろづのことも、始め終はりこそをかしけれ。男女の情けも、ひとへに逢ひ見るをば言ふものかは。逢はでやみにし憂さを思ひ、あだなる契(ちぎ)りをかこち、長き夜をひとり明かし、 遠き雲井を思ひやり、浅茅(あさじ)が宿に昔をしのぶこそ、色好むとは言はめ。

 望月の隈なきを千里の外まで眺めたるよりも、暁近くなりて待ち出でたるが、いと心深う、青みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる木の間の影、 うちしぐれたるむら雲隠れのほど、またなくあはれなり。 椎柴(しいしば)・白樫(しらかし)などの、濡(ぬれ)たるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身に沁(しみ)て 心あらむ友もがなと、都恋しう覚ゆれ。
すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨(ねや)の内ながらも思へるこそ、いとたのもしう、をかしけれ。よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまも等閑(なほざり)なり。片田舎の人こそ、色濃くよろづはもて興ずれ。花の本(もと)には、ねぢ寄り立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌して、果ては、大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手・足さし浸(ひた)して、雪には下(お)り立ちて跡つけなど、よろづのもの、よそながら見ることなし。