渡辺 宏 (著)
この記事は書きかけです。
薩英戦争 疾風編のつづきです。
(奄美)大島南部、瀬戸内阿木名(あぎな)村に遠島になっていた 重野厚安繹(やすつぐ)が重野厚之丞 (しげのあつのじょう)として本格的に登場します。
重野の遠島の理由は同僚の使い込みですが、それにしてはあまりに重い斉彬の処分。なにかわけがありそうですが・・・)
(重野は同時期、大島北部龍郷村に潜居していた西郷隆盛と会っている)
薩英戦争後のイギリス側との戦後交渉担当者、さらには軍艦購入の折衝のつとめを果たすためです。
重野厚之丞 (しげのあつのじょう)は、久光の側近の庭方として勤めていた。
このときすでに西郷は久光の怒りを買い、徳之島、沖永良部遠島になっていて物語には登場しない。薩英戦争の結果も沖永良部で聞くことになる。
以下西郷年表は書きかけです。
文久元年(1861年)10月、大久保らの進言により西郷に召還状。
文久2年(1862年)2月12日、西郷、鹿児島着。久光の公武周旋、挙兵上京に先立ち上京。下関待機命令を無視し、捕縛。4月10日鹿児島護送。
文久2年4月23日(1862年5月21日)寺田屋騒動。
7月2日に西郷、徳之島に到着。生麦事件(文久2年8月21日(1862年9月14日)
薩英戦争(文久3年7月2日(1863年8月15日) - 7月4日(8月17日))
文久3年(1863年)5月 長州藩の米艦砲撃事件、
8月 七卿落ち(八月十八日の政変)
元治元年(1864年)2月28日に西郷 沖永良部より鹿児島に帰還
元治元年7月19日(1864年8月20日)禁門の変(蛤御門の変)
元治元年(1864年)7月 長州藩追討の朝命(第一次長州征伐)
8月、四国連合艦隊下関砲撃事件
慶応2年1月21日(1866年3月7日)薩長同盟
1866年(慶応2年)6月7日第二次長州征伐
慶応3年10月14日(1867年11月9日)大政奉
さて、薩英戦争は薩英どちらが勝ったのでしょうか?過去の資料にそのことを明確に述べたものはないということですが、本書では薩摩の勝利と言える根拠を明確に示し、当時のイギリス議会の議事録など膨大な資料を使って戦後処理の交渉の様子を描いています。国際的な大事件だったことがわかります。生麦事件と薩英戦争は、維新への道のりの一つとして吸収されあまり
教えて!goo[薩英戦争 勝敗]についての検索結果 ( 約3件中 1~3件を
amazon 内容紹介
超大国イギリスを撃て! 薩摩側の死傷者20余名に対し、イギリス側の死傷者は旗艦ユーリアラス号の艦長・副艦長の戦死を含む63名と、この戦争で甚大な被害を蒙った。 薩英戦争は、ことの重要性に比して、その全容を記した著書は多くない。むしろ、忘れられた事件と言うこともできる。 薩摩はどのように戦い、終局を迎えたのか。列強はその後どう動いたのか。細部に至るまで渾身の力が注がれ、膨大な資料に基づいて史実は再現された。本書は空前の幕末スペクタクル巨編、疾風編の続編である。登録情報
単行本: 309ページ
出版社: 南方新社; 1版 (2009/6/6)
言語 日本語発売日: 2009/6/6
目次
一、嵐の前の吉兆/ 二、暴風雨の中の激戦/ 三、七月三日の朝/ 四、艦隊横浜派遣/ 五、急ぐ再襲対処/ 六、決意・講和へ/ 七、交渉前夜/ 八、和平交渉/ 九、講和の実行/ 十、幻の鹿児島
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薩英戦争 怒涛編 価格:¥ 3,045(税込) 発売日:2009-06-06 |