吉本 隆明 (著)
今月の推薦図書コーナーより借りた2冊のうちの一冊。
この本の発売日は1997年12月だが、著者は前年の1996年8月、海水浴場で遊泳中に溺れ意識不明の重体になり緊急入院し、集中治療室での手当が功を奏し一命を取り留めている。
この本の執筆もそのことがきっかけになっている。1990年代後半以降は、著者の書く本は、どちらかというと硬質な文章ではなくエッセイ的なものが多くなるが、本書も読みやすい文章になっている。
実は私もこどものころ同じような体験がある。臨死体験があるので、P18「臨死体験」を、僕はこう考える、は興味深く読んだ。いわゆる幽体離脱(という言葉は使っていないのだが)
臨死体験で、あの時、自分の姿や、周りの様子、それに遠く離れた所での人の様子など、今でもありありと思い浮かべることができる。これは虚妄なのか?そうではない。ハンニン?は耳だと思う。人が死ぬとき、あらゆる意識が拡散して瀕死になっても耳だけは聞こえるという話はなんどか聞いたことがある。詳しくは時間がないので書けないが私の考えでは、耳で聞いたことが、のちにさらに記憶を捏造?するのではないか。それについてさまざまな角度からわかりやすく、説明されている。
たとえば、日本の詩歌で使われる「匂う」という言葉は本来の嗅覚だけでなく全感覚的に使われていることから類推すると視覚と聴覚が 未分化ということは十分に考えられる、というぐあいに説明される。
「前世」や「来世」についての考えや胎児の記憶や無意識といったことなどが述べれていて「論理的」に納得できそうだがしかし、かなり難しいことを言っているようにも思える。もう一度そこだけ読み返してみよう。
目次
死について(「死」をどうとらえるか
「死」を定義できるか)
国家について
教育について
家族について
文学について
わが回想(「死」から「生」へ
「60年安保」から「現在」まで)
最後に
amazon メタローグ
おまえ、溺れかかったのだから死んだも同じだ、ひとつ遺書という本を造らないかと角川春樹氏から提案を受けて執筆されたこの本、人間はおろか国家にも<死>や<来世>があるーーそんな「死」の行く先を見つめる強靭な視点に貫かれ、生温い日常に浸るわれわれに冷水のような言葉を突き付けてくる。全体がですます調で読みやすく、しかも、いま世界で一番重要な問題はイスラム原理主義と語るボ-ドリヤ-ルを評して、"フランス社会が神経麻痺で脚力を病んでいる証拠で、僕の身体みたいなものだ"などといったスパッとした物言いも健在な隆明先生、まだまだイケてます。(守屋淳)『ことし読む本いち押しガイド1999』 Copyright メタローグ. All rights reserved.
内容(「BOOK」データベースより)
人間の死は「死ねば死にきり」でよいという著者が、個人の死から、国家、教育、家族、文学の死までを根源的に考察した魂の一書。登録情報
単行本: 231ページ
出版社: 角川春樹事務所 (1997/12)発売日: 1997/12
おすすめ度: 5つ星のうち 4.0 (1 カスタマーレビュー)
遺書 価格:¥ 1,365(税込) 発売日:1997-12 |