昨夜、NHK総合全国 歴史秘話ヒストリアを見た。
“逃げの小五郎”と呼ばれて
長州のヒーロー・木戸孝允の青春
●本放送 平成27年 9月 2日(水) 22:00~22:43 総合 全国
●再放送 平成27年 9月 9日(水)
14:05~14:48
西郷に関する本を読んでいて、ちょうど「薩長同盟」のところだった。(『西郷隆盛』七巻海音寺潮五郎
木戸孝允
↑教科書に載っていたこの写真が、日本史の先生に似ていたと卒業後きづいた。
有職読み(ゆうそくよみ)で、コウインと覚えていたと思う。タカヨシはうろ覚え。
漢字で手書きできるかどうか>
木戸が、桂 小五郎ともいうことはだいぶ後になって覚えた。
←この写真が単独でまちがいなく桂 小五郎と結びつくようになったのは最近だ。
維新の三傑といえば、木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通と、
西郷より先にあげられることもある(wiki)ほど有名なわりには
木戸は何をした人か鮮烈なイメージはない。TVドラマなどでの記憶もない。
“逃げの小五郎”も意外だ。
そういえば西郷にも”隠遁癖”がある。
明治新政府の成立直後や、明治6年の政変後の帰郷などがあげられるが、
その原因は 「西郷の潔癖性に由来する厭世感にある」 ともいわれ、西郷の人間的魅力の源泉でもあるが、
政治家としては大きな欠点でもあるだろう。後世の誤解のもとともなるだろう。
西郷の隠遁先として、島流しを経験した奄美大島が心の隅にあったとも言われる。余談だが西郷理解には大きな視点と言えよう。しかし、ここで”逃げの小五郎”と同列に論じることは、骨が折れることでもあるし適当でもないと思うので逃げることにする。
さて番組での エピソード1 長州のリーダーは“逃げの小五郎”であった。
新選組の池田屋事件でさっそく“逃げた”木戸は臆病者と大バッシング!?自信を無くした木戸は、山奥に引きこもってしまいます。そこに訪ねてきたのは、恋でした…。
1864年6月、池田屋事件、同年8月禁門の変以降、長州藩は朝敵とされ、桂は幕府から追われる身。
いろいろな職業の姿に身を替え隠れ潜んでいた桂に握り飯を持っていったと言う逸話の主は、
京の芸妓・幾松、のちの妻木戸松子。幾松はたいへんな美人である。
(安政の大獄で追われる身になって名を変え奄美大島に潜居した西郷と似ていなくもない)
エピソード2 長州のリーダー・木戸孝允 薩長同盟秘話
が、今読んでいる本↑でも登場する。
木戸は宿敵・薩摩藩との同盟を考えるも藩内は猛反対。交渉相手の西郷隆盛も、のらりくらりと同盟の話をはぐらかします。すっかりあきらめモードの木戸の前に現れたのは坂本龍馬!
難航する薩長同盟 木戸はまた逃げるのか…(再現)
薩長同盟は
慶応2年1月21日(1866年3月7日)に
薩摩の小松帯刀邸(京都市上京区)で締結された。
薩長同盟の締結の際、難航しあきらめムードの西郷と木戸を
坂本龍馬が、それぞれを別々に一喝するシーンが有名だ。
本では龍馬の登場はこうだ。(正確な引用ではありません。)
七巻P468しかし、世の中が大転換をしなければならない大事な時には、
天運があるものであろうか。奇跡がおこった。。
この日、21日に坂本龍馬が上京して来たのである。P468
煮え切らない木戸に龍馬が説教する。
木戸は鎮痛な表情で聞いていたが、
「貴殿がそう申されるのは道理です。
しかし、
拙者の立場を考えて下さい。はじめから長州藩は日本の国難を
傍観することができず、わが主人は憤然、大いに日本のために尽力しようと決心し、
・・・・・・」
つづけて木戸は、龍馬に、
「薩州の立場は違います。公然と天子に朝し、公然と幕府と会い、公然と諸藩と交わることが出来るのです。・・・・・・・
これに反して、わが長州藩は朝廷からは勅勘をこうむり、幕府からは反逆者と見なされ・・・・・・
全藩の士人たちのたのむところはただ一つ、自ら省みてやましきことなしの信念のみです。
これ一つをよりどころにして、一死をもって四境にせまる敵と戦おうとするのです。活路のないことは
言うまでもありません。・・・・・・・・こういう長州藩が先ず口をひらいて薩州と同盟を結びたいというのは、つまりは薩州を危険の地に誘うものであります。・・・・・・そこまで拙者等は心落ちぶれさせたくはありません。
もし薩州が日本のために尽くす料簡になっているなら、天下の幸いです。わが長州にかわってくれるでしょうから、長州はもう亡んでもかまいません。同盟のことは、拙者からは、口が切れても言い出すことは出来ません。」
木戸の言い分には、そうとう突っ込みどころもあったが、西郷はなにも言わず聞いて、「いかにもごもっともでごわす」とうなずいた。
こうして維新史の一大イベント薩長同盟は成った。
ここでの西郷の「いかにもごもっともでごわす」は重い。
権威主義で、古い型の策謀家である久光は
「こちらの方から切望しているような風を見せてはならんぞ。長州にまず言わせ、こちらは受けて立つという形にもっていけ、その方が将来のためになる。」
とでもいう指示があったのであろう。
このような策謀は西郷のもっとも嫌うところである。
久光も西郷が嫌いだ、そのせいでついこの間まで島流しになっていたのだった。
指示に反して、ふたたび久光の逆鱗にふれるようなことになってはならない。
他の人たちは、そして西郷自信も、つねづね西郷の言動が久光のどう報告されるか
心配したであろう。
出世主義的傾向のある大久保も久光の意向に反することはできない。
家老の小松帯刀でも判断はできないだろう。
龍馬の南海の海のような闊達でもの慣れた斡旋でもあった。
理屈家で志や理想を尊ぶ長州と、情熱的で現実主義の薩摩を結んだ。木戸 西郷 龍馬もえらい。
条文を読めばわかるが、七巻P472 この同盟は長州のためと日本のために倒幕を目的とする攻守同盟なのである。P472
番組にはないが、木戸と西郷のもうひとつのエピソード↓
木戸は、明治新政府の岩倉具視から政治的識見の高さを買われ、
岩倉使節団の全権副使として欧米を回覧視察。
征韓論の解釈は慎重でなければならないが、
木戸は、欧米視察後かつての征韓論などは引っ込めるが
それまでは、木戸は征韓論をとなえていた。
吉野誠著『明治維新と征韓論』明石書店 2002年
木戸は西南戦争のさなか病気でこの世を去るが、
意識朦朧の中、大久保利通の手をとり、「西郷もいいかげんにしないか」と
明治政府と西郷の両方を案じる言葉を残し享年45(満43歳没)
の生涯を閉じた、という話も有名である。
番組 エピソード3 日本のリーダー・木戸孝允VS.ちょんまげ !?
明治維新最大の難関は、ちょんまげ!?(再現)
アメリカの新聞に載った岩倉使節団一行の中の岩倉のちょんまげ姿。
アメリカ人の真意を知り、岩倉は髷をおとす。500円紙幣の岩倉
明治新政府のリーダーとして、新生日本の建設にまい進する木戸。しかし、そこに立ちはだかったのが“ちょんまげ”でした。「文明開化のため、まげ廃止!」という木戸の方針には批判殺到!「断髪離婚」や一揆などが頻発し、日本中が大混乱に…。近代日本人の髪型をめぐる、木戸の知られざる戦いとは?
もしかしたら薩長同盟より難関だったのかもしれない。
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きのうは ↓ も録画で見た。 幕末 長州づいている。
7月 30日 木
NHKBSプレミアム
午後7時30分~午後9時00分
英雄たちの選択スペシャル
幕末維新期、禁門の変や会津戦争で激しく衝突した会津藩と長州藩。なぜ両者はぶつかりあったのか?その背景にある、江戸期250年以上にわたる両藩の「選択の継承」とは?