1996年の本。当時天声人語も紹介。棚の奥で見つけまた読む気に。鹿児島も #西郷どん 一色ではない。庶民の目で「島津っちそんなに偉いのか」ちいう本。西郷もさん付けだが何度も斬る。鹿児島に今残る維新の錦の御旗に縛られた旧習も斬りまくる。が、どこか滲むユーモアに反論者も片頬緩むだろう pic.twitter.com/fO9gpRf6NI
— 奄美海風荘 (@amami_kaihu_so) 2017年1月26日
この、ツイートは思いのほかtwitterのインプレッションが多かった。
朝日新聞鹿児島版に一年あまり前から毎週連載された、『横目で見た郷土史』全48回のほかに、石亀日記 ぶらり人生のエッセイ集がある。
天声人語の冒頭で紹介された「西郷という人は大度量のある人物ではない。豪傑肌であるけれども度量が大きいとはいえず、いわば偏狭」という評は、西郷と同じころ奄美大島に島流しになっていて交流もあった、のちの東大教授重野安繹(しげの やすつぐ)の西郷評だ(たぶんその一部だと思う)。(重野は島で結婚した相手を赦免後、自ら迎えにきた稀有な薩摩人として知られる。)
重野安繹は奄美・瀬戸内町に6年遠島、土地の娘を妻に一女。龍郷で西郷隆盛とも出会う。赦免後薩英戦戦後処理での重野の辣腕を英は高評価、信頼関係が増し薩摩を支援、倒幕へ。有名な文学者になった後、島を再訪時、妻は再婚妊娠。そこには当時の役人達の多くが島妻を残し一顧だにしない現実があった。
— 奄美海風荘 (@amami_kaihu_so) 2017年2月3日
ほかに、斉彬の密命により琉球に渡りフランスと軍艦購入などの交渉に当たったこともある市来四郎の手厳しい西郷評もある。市来は西郷の長所を述べたあと冷静に評している。
あとの桐野による西郷射殺説の検証話が一番印象的だった。桐野wikiで調べても見当たない。司馬遼太郎の大作家であるがゆえに言いにくかったことは、類推するほかない。”翔ぶが如く”の翔ぶは、このパソコンでは変換候補にない。タイトルの中にもヒントがあるようだ。「泣こかい 飛ぼかい 泣こよか ひっ飛べ」。うーむどこまでも両義性がつきまとう。いいようにも悪いようにも取れる。
著者のみずからの人生のエッセイも面白い。『横目で見た郷土史』もサラリーマンではなかなか書けない視点だろうなあ、と思わせる。(駐車場繁盛記 カネよりヒマと廃業)挿絵も秀逸だ。